
庭は50坪ほど。元々一昨年亡くなった義父の純和風の庭。随所にみごとな石が重きを与え、一基の石灯篭が静かに見守っていた。シンボルツリーは枝垂れ梅に2mを越える柘植の木が2本。春に数日白い花を咲かせる2本の大木の木蓮が北と南で睨みを利かしていた。静寂の庭だった。義父は自然を愛した人だった。至る所で土筆が取れ、タンポポが咲き、春の到来を告げていた。夏に向けて名も知らぬ草花が生えていた。コオロギの合唱に秋を感じた。立ち枯れの雑草が冬の寂しさを教えてくれた。庭は自然の名の下に荒れるに任せていた。私にも葛藤があった。あるがままで良いのか、それとも?8年の長い中国滞在から戻ってきた。私の頭にあったのは中国の美しい庭園への思いだった。庭は美しく整った姿にしなければならない。これは住人の使命であり、義務である。原っぱは庭ではない。
中国で稼いだ金を庭に投じた。当初庭を触らせなかった義父は遂に何も言わなくなった。義父を襲っていた老いがそうさせたのかもしれない。したいようにしなさい。庭は片時の夢に過ぎないよと心で言っていたのではないか。庭は所詮真夏の夜の夢、夢が覚めれば自ずと自然に戻っていくのだ。義父も若いころは庭を芝生にし、花壇を作り、大事に面倒をみてきたようだ。私もいつまでこの庭を見続けることができるのだろうか?ふとそんな考えが頭をよぎった。
この庭の改造に結局10年かけることになる。最初はイングリッシュガーデンをもってきた。一方で、縁側と藤棚でバランスを取り、東側にバラのアーチ、北側に洋風のプチ物置。雑草との闘いに様々なグランドカバーを試した。門近くの風知草は良かった。60種以上のミント、タイム、バジルを植えたハーブ畑、ハツユキカズラ、テイカカズラ、ヘデラアイビー、ヒメズルニチニチソウの蔦類は強い。更に彩を庭に与える花木を植えていった。香と花のある木々、沈丁花、花海棠、蠟梅、そしてウツギ、更に東日本大震災を機に売り渡した実家より、ユキノシタ、ツワブキ、萩を持ってきた。
義父の死に合わせたかのように2本の柘植の木はその寿命を終わりを告げた。私は思い切り、この木々を葬り、ジュンベリーとバイカウツギに植え替えることにした。かぼそい枝は風にそよぎ、芳しい香を漂わせ、白い花が庭を明るくするだろう。風薫る庭へ。木の下、グランドカバーにセダム、ヒューケラを植え、下からも明るくするようにした。雑草防止にもなる。一石二鳥。一番の古木で、大木でもあった木蓮も1本のみ伐採し、カラタネオガタマを植えた。門外には柊を植えた。初冬に甘い香りの白い花が咲く。ここに私の思い描いた庭はほぼ完成した。
義父はイングリッシュガーデンをけしてほめることはなかった。ただ、デイケアに迎えにくる看護師の方がいつもいい庭ですねと言うんだよと言っていた。義父はデイケアがない日は日がな一日庭を眺めていた。その姿が何故か今、私に重なってくる。義父はこの家で家族に囲まれて大好きなワインの杯と共に天国に旅立っていった。
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