山へ

山に登る奴は社会人失格。社会人足るもの、山に登るものではない。

20年前に亡くなった父は社会人の心得として言っていた。しかも私は運動誘発喘息症で241mの山の入口で小学生の時動けなくなって以来山登りは到底の話だった。50才近くなるまで山に登るなんて考えも及ばなかった。ところが中国の蘇州にいた時一変する。上海あたりには元は海なので山といった山がない。かろうじて太湖のほとりまでいくと山があった。そのころは忙しく、立ち上げた事業継続のため中国中をかけずり回っていた。体調は最悪で高血圧、糖尿病が体を蝕んでいた。肝臓はフォアグラ状態。体重は80キロ超、腹囲は100㎝を超えていた。意識を失うくらい連日酒を飲んでいた。朝は起きられない。昼はボーっとしている。夜は眠れない。悪循環。50才まで生きられないと思っていた。リーマンショックの所為で顧客から入金がなく、あてにしていた日本からの追加融資も断られていた。従業員の給料は、このまま事業は、まさにニッチモサッチもいっていなかった。一人精神的逃げ場を求め徘徊していた。人には言えない。

そのころ太湖に向かう霊岩山の山頂に有名な寺があると聞いた。高々標高182m、下から遠く寺が見えた。たいしたことはあるまい。休日で天気も良かった。ゆっくり登れば大丈夫、甘く見ていた。途中で動けなくなった。この山は安産のご利益があるとのことで、女性がハイヒールで登っている!小さな子どもも楽しそうに。私は全身汗だくで情けなかった。彼らに着いていくしかない、一歩一歩。いつの間にか風景が変わるのである。登っている。分かった。いつの間にか頂上にたどり着くと苦しみが喜びに変わっている。気分が爽快になる。空はどこまでも青く、眼下に日々の営みが垣間見られる街並みが広がっている。不思議な感覚だった。苦しければ苦しいほど、乗り越えた喜びはひとしお。今苦しんでいることさえ何とかなるのではないだろうか。とさえ思えるようになった。実際、結果として何とかなったのだが。

なぜ、父は山を登る奴は社会人失格だと言ったのか。父のアルバムを整理した。一枚の写真に優しく微笑む研究者の姿があった。父の部下であった。彼は家族を残し、山で行方不明に、今も見つかっていない。父の脳裏に山といなくなった部下への畏怖の念が刻まれたのではないか。そんな時代であった。走り続けるだけの高度経済成長の中で、働くことが生きることだった。

山に登る者は社会の敗北者なのか?山に消えた彼と私の違いはどこにあるのか?私は実に一人で登っていなかった。回りに同じように登る普通の中国人がいた。彼らの登る姿を見て、山の登り方が分かった。焦ってはいけない。自分のペースで登る。おばあちゃんはおばあちゃんなりに、子供は子供なりに登れば良い。けして無理はしてはいけない。何故なら無理をすればそれ以上登れなくなるからである。苦しければ休みなさい。しかしけして諦めず前に進みなさい。頂上は自ずと近づいてくる。山では、社会的勝者も敗者もない。ただ、自然と一体化した一人の登山者になる。目的は無事登り下りていくこと。達成感が全てになる。山は一歩間違えばさようならである。登山者同志助け合うことが多い。これが下界の社会の世智辛さと違うところだ。

山に登ることは生きようとする意志と力の証明なのだ。誰でも生きる権利はある。私は今も一人で登っている。喘息がいつも襲ってくるからである。同伴者に迷惑をかける気がする。休み休み登るからである。人の2倍掛けても登る。還暦を越えても登っている。コツコツと。いつの間にか、メタボも高血圧も糖尿も肝臓のフォアグラ状態もなくなっていた。

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投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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