老い

老いは忍び寄る影のようなものだ。体の節々に、言葉の端々に、心にじわじわと、自分の意思には関係なく、避けることはできない。ここまで生きたのだから仕方ないと諦めるべきなのだろう。しかし、どこまでどのように体を、頭を、心を蝕んでいくのか、いずれ老いに身を任せそのまま死の床に就くのにしても。

細胞の老化と肉体の老化につながる。人間の細胞分裂限界は120年である。今のところ寿命は最長でほぼ120才。所詮細胞自体が老化していくのであれば、どうしようもない。諦めざるを得ない。差し迫る老化を寧ろ冷静に受け止め、見つめて生きるべきか。

老体に鞭打つという言葉がある。老化の進んだ体に無理を強いても無駄ということだ。年を取れば取るほど無理は利かなくなる。しからばどこまでが無理になるのか、この判断が難しい。頭の中に幻影として若い頃の肉体が残っている。それが邪魔をする。何でもない高さと思われる崖から降りる時が一番危ない。膝を壊しかねない。着地には細心の注意が年と共に必要になる。登るスピードにも注意が必要だ。途中で動けなくなる。老化した体は素直だ。年と共に頭ではなく体の言うことに耳従わなければならない。体の叫びを素直に受け止める勇気が必要だ。

とりわけ頭の老化が一番危ない。頭の中にある画像が言葉として出てこない。画像は鮮明にも拘らず。言語機能のまず老化。脳の中の記憶が途切れる。脳のシナプスがなかなか繋がらない。記憶と実際が結びつかない。脳機能の老化。先日どの山を登ったのか、名前が出ない。時間の経過と共に急に出てくるのだが、何せ思い出すのに時間が掛かる。喉の奥まで出掛かっているのが分かる。辛いものだ。脳が固まる。脳の刺激のため本を読んでいる。しかし、以前に比べすぐ眠くなる。この葛藤の中で脳を活性化させるしかない。テレビではない、読書なのだ。そして書く。何でも良い。書くことにより老いと戦う。

心の老化は諦めで現れる。「もうダメだ」が先に来る。もうちょっとなのだが、ダメになる。足が出なくなる。気が萎える。心の葛藤がか弱い。自分に打ち勝つ余力がなくなっている。自転車ももはやマウンテンバイクからランドナーに変えた。重いペダルに耐えられなくなった。格好はいいのだが、何せ重い。さらばマウンテンバイクよ。一緒に旅した思い出は忘れない。しかしロードではなくランドナーにしたのは意地である。若き頃の旅に明け暮れた日々に戻るためだ。もう一度原点に帰って旅に出る。バックを自転車に括り着け旅に出た、あの若き日々よ。もう一度の気持ちだ。土俵際で老いと戦っている自分を感じる。

老いは天国への階段だ一歩一歩上っていく。それでいい。遅かれ早かれ天国へは行かなければならない。老いとうまく付き合えばすんなりと天国へ行けるかもしれない。ゆっくりと自分のペースで向かう。間違っても踏み外してはいけない。階段は老人にとって命取り、大きな怪我につながる。今は動けるが、いずれ動けなくなる。階段に上るのもしんどくなる。杖も必要になる。年齢別幸福度調査結果によると60代以上で幸福度が高まり82才がピークだった。最低は47~48才。頷ける。老いと共に人は幸せになっていく。そして幸福度の尺度は金や地位より健康であることが面白い。

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投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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