
幸いなことに私は戦争を身を持って経験したことも、戦火に見舞われたことも、戦争のために人を殺めたことも、殺戮の場に立ち会ったこともない。もう戦争に引っ張り出されることもあるまいが、巻き込まれる可能性はある。戦争は突拍子もないところから起こり得るからである。若いころはまだ戦争の傷跡が至る所にあった。街中には傷痍軍人がアコーデオンを弾きながら金銭的援助を求めていた。両親も戦争の経験をよく話していたし、テレビでも戦争の検証番組も多かった。反戦を訴えるデモもあった。私もデモに参加したことがある。戦争の匂いはまだ身近に残っていた。ソ連が北海道に攻めてくる話もあった。時の流れ、人の変遷、経済成長と豊かな生活が戦争の記憶を風化させた。

日本では今まで75年間、他国と戦争をせず、戦場になっていないアジア唯一の国だ。これは戦争を放棄した戦後の憲法によるものと言えようが、そればかりでもない。日本は国連たる米軍から監視され、勝手な行動ができない。野放しすると怖いと見られているのか、中露に対する前線基地と見ているのか、寧ろ日本の要請にも拠るものか、動こうとしない。もう75年である。一方で、虎の威を借る狐よろしく日本は平和国家を標榜している。米軍の在留経費をほぼ補っており、一蓮托生と見て構わないのでは。米国は世界一の軍事国家である。この75年間の戦争にほぼ関わってきた国だ。以前北方領土を取り戻すためにロシアと戦うしかないと酒の勢いで元島民のお爺さんに絡んだ議員がいるが、自衛隊は独自でまず動けない、米軍は黙っていない。敢えて言えば、朝鮮戦争の二の舞になる。世界に展開する米軍45万超のうち1割強は日本におり、東京の横田基地には国連軍の武官も駐在している。国連の監視下にある。朝鮮戦争、アフガンにおいて戦争状態にした国連軍は米国主導の軍隊だ。

平成24年度版防衛白書より抜粋
何故こうなったか、実際、日本は75年前戦争に負けた。先の米国大統領が述べた悪の枢軸国と言う言葉にピンと来た人間は多くはあるまい。日本は枢軸国側として連合国側と戦い第二次世界大戦で負けた。今でも枢軸国は国連にとって有無を言わさず軍事的制裁の対象となっている。戦後秩序は連合国を中心に動いている。英国、米国、中国、今のロシアである。国連とは連合国であり、元枢軸国は今も監視下に置いている。日本が勝手なことはできないようになっている。このことを憶えておかなければならない。自主憲法をと言うトップがいるが、身の程を弁えなければならない。戦後秩序は今もここに成り立っている。
一方、この調子でいけば米国という名の連合国管理下、安寧に過ごせるではと言うと俄に信じ難い。虎の威を借りていても所詮、狐は狐。虎の権威が落ちれば単なる狐に成り下がる。米国は大戦後明らかに勝った戦争はない。いつ権威が地に落ちるか分からない。世界はアメリカが思っているように動いている訳ではない。遠くの親戚より近くの友人というように近隣と仲良くすべきなのにできないのが日本である。いざこざが絶えないのは何故か?連合国たる国連より権限を持っているのは個々の国である。国の権限の方が国連より強い。従って国連が何と言おうと個々の国の決定に従う。朝鮮戦争は国連軍が北朝鮮及び中国に駆逐される結果になっている。個々の国はそんなにやわではない。

日本はまず今からでも過去をきちっと清算することだ。近隣諸国に対し戦争の歴史を検証し、その上に立って主観的ではなく客観的に判断、対処すべきだ。けして外交関係に感情も持ち込んではならない。相手の立場になり踏み込んでみることだ。殴られた人間は殴られたことは忘れない。殴った人間は得てして殴ったこと自体を忘れる。自己正当化、自己防衛バイアスである。相手に対し、一歩引き、相手を立てて話し合うべきだ。忘れてはいけないのは先の戦争で一番国民が死んでいるのは旧ソ連ロシアである。日露戦争、第一次大戦後のシベリア出兵(ロシア内植民地化)、ノモンハン事件(ハルハ河戦争)、戦争の歴史が壁として残っている。朝鮮半島は日本が35年に渡り領有している。ロシア、朝鮮が日本を領有した歴史はない。
まず清算すべきは日本にとって一番の紛争地域である朝鮮半島であろう。平和の構築は朝鮮半島からが基本だ。元の自国である。個人の訴えを現政権に政治的に利用されない。事実確認の上、きちっと補償すべきだ。慰安婦問題、徴用工問題も個々に事実確認し補償すべきだ。けして自ら運営する団体以外に政府から金を渡すべきではない。金は更に金の要求を生む。然し解決にはならない。個人を元日本国民として対応すべき。客観的事実確認の上での個人補償が平和のカギになる。くれぐれも政治に流されない。韓国人への原爆補償が参考になろう。北朝鮮に帰った人々にも被害を被った人には事実確認の上要求に応じ支払うべきだ。人的交流の拡大、相互留学生優遇も視野に入れなければならない。韓国も日本も人口は減少に転じてくる。北朝鮮の優秀な人材を発掘、育成し、広域文化交流を実現すべきだ。草の根交流の実現こそ重要だ。日本の文化は朝鮮半島経由で大半がやってきたことを忘れてはならない。朝鮮半島の遺跡を更に検証すれば新たな日本の文化の流れが分かるはずだ。朝鮮半島の和平は日本の防衛費の無駄な出費を減らせるばかりでなく恒久的なアジア全体の平和につながっていく。ここを重視すべきだ。朝鮮人も日本人も一番近い人種、文化圏といった目が必要だろう。相互の言葉を勉強し、お互いの文化の違いを理解し尊重し合うことが重要だ。1千年前の交流はより密であったことを思い出すべきだ。

領土問題は費用対効果で判断すべきで、保有する意味を再考すべきだ。自国民は確実に減る。紛争領土を維持する費用に対して効果はどのくらいあるのか、冷静に判断すべきだ。国家の三要素は領域、人民、権力である。領土は国家の基本になるが、保有すべきか否かは維持費用次第になる。時代は変わっている。漁業権で維持する経費は補えるのか?資源の採掘費用は?どのくらい利益が上げられるのか?住民に還元できるのか?自国に紛争地域を持つことによる警備費用はそれに見合ったものなのか?日本は広大な海を保有する。今持つ海の開発こそ先行すべきと考え直す時がきたのではないか?自国に紛争地域を持たないことは平和を維持するうえで最も重要なことである。しかも人口は減っていく。領土にこだわる必要があるのだろうか?頭を冷やして考えるべきだ。領土問題より早く講和の機会を重視すべきで経済優先に転換すべきだ。時代は変わっている。領土問題を政治的に利用することは止めるべきだ。元々領土確定の意味はそこに住む人間から税金を取り、福祉で返すことから必要なのである。住んでいる人間が帰属を希望しなければまたこれも紛争の種になってくる。無駄なことは止めた方がいい。住んでいない地域であれば、維持経費で考えるべきだ。住民に紛争地域の維持経費を払うことの無駄を説明すべきだ。200海里問題は資源開発、維持運用経費を見ていない。単なる陣取り合戦であれば無駄な経費を生むだけである。
拉致問題については、何故このような事件が起きたか、考える必要がある。北朝鮮も元の自国であったことを忘れてはいけない。腹を割って話し合いのできる環境を整備することから始めるべきだ。政治家は拉致問題の解決優先というが、個人の問題より政治が優先になるのは自明である。奪われた個人より飛んでくるミサイルの方が優先される問題になる。脅しで人間は本当のことは言わない。信頼関係の上で本当の話は出てくる。これを理解すべきだ。早く相互理解できる土俵に上るべきだ。このままでは永久に解決せず、不信感の中で埋もれていく。人より国家が優先されてしまう。国防の前でちっぽけな人権は優先されない。ごまかされてはいけない。
古い国家観に縛られることが平和を否定することにつながる。恒久的な平和は武器では生まれない。恐怖政治を生み出すだけだ。相互理解と人的交流で平和は初めて可能になる。草の根からの平和、力に頼らない平和こそ真の平和となる。もはや原宿ではない。より刺激のある新大久保だ。様々な人種の交流こそ面白いし、平和はここにある。
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