幸せ

幸せとは目に見えるものとは限らない。目に見えないところに寧ろ隠れていることが多い。「愛、喜び、笑い、感謝」といった肯定的な感情にこそ幸せはあるという。そう全て個人的価値観の中に幸せは存在する。幸せになるとはこの自分の理想とする価値観に少しでも近づくこと。しかもこのプロセスの中にも得てして幸せは隠れているものだ。これは頭の中で描いた絵である。正に想像の中である。理想の絵を頭に描いて悦に入る。これが幸せなこと。

球根を85個買った。チューリップもあれば水仙もある。他にもアリウム、イフェイオン、ホメリア、ワトソニア。我が家の庭に植える。庭の絵を描き、何処にどの球根を植えるか決めている。これだけあると植えるのは勿論疲れる。球根や土、肥料に全部で5千円も使っている。三つの店を回りかき集めた。全く無駄な投資ではないか。全く自分のためだけに費用と時間と労力を掛ける。何も生み出す訳でもなければ、ましてこれにより美味しいものが食べられたり、利益をもたらしてくれるものではない。一つ一つ土を掘り、肥料を少々捲く、球根用の柔らかい土を入れ、球根を埋めていく。85回。全て来春のための作業だ。球根は種と違い、決まった時期に花を咲かせてくれる確率が高い。冬の寒さに耐え、早春に芽吹き、花を咲かせる。今咲いている花々は凡そ冬には枯れ一旦土に戻るがまた夏に蘇る。早春は従って寂しい。そこを見越し、球根を植えていく。庭が寂しくなるときに今手を打つことが球根を植えること。しかもこの球根は毎年咲いてくれる。この労力は少なくとも5年間を見越した投資となる。美への投資と思えば如何。花は美であり、春を迎える喜びである。花の美は季節に応じ移ろうがまた蘇るところがいい。

我が家は勿論オランダのキューケンコフ公園でもなければ、日本の昭和記念公園でもない。しかし、私一個人の空間にとっては同じ価値上にある。私の空間は限られており、一人占めできる空間が大きくなる必要はない。小さくても自分の美というものを満足させてくれればそれで良い。人はそれぞれ自分の空間を持っている。この空間を満足させれば良いのではないか。それはけして庭である必要はない。窓辺やベランダ、部屋、玄関、あらゆるところに自分の欲する美の空間を設けることが自己満足につながる。これは金銭的価値観とは掛け離れた自分の価値観を満足させる幸せの空間。

幸せはけして遠くに思うものではない。自分の間近に感じること、自分のできる範囲内にそしていつも心の中にとっておくもの。自分を大事にする人は幸せを感じやすい人なのではないか。幸せと言う言葉はなんて暖かい言葉なのか。私は自分の感じる美の中に、そして身近な花や木やそして庭の中に庭を訪れる鳥の声に風の音に幸せを求めていきたい。これは小さな幸せ、けして仰々しいものであってはならないと思う。

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投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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