祈り

皆川達夫さんが今年4月に亡くなられた。その1月前までNHKFMの『音楽の泉』のDJをされていた。92才であった。私が皆川達夫さんを初めて知ったのは中学のとき。やはりNHKFM「バロック音楽のたのしみ」朝6時、紹介される曲はいつも心に響き、崇高な光を感じ気持ちよく目が覚めた。wikipediaによると1965年から10年間担当されていたそうだ。55年前からDJをされていた。なんと長いことか。

皆川さんの凄いところはバロック音楽に造詣が深いばかりでなく、日本の隠れキリシタンの讃美歌オラショ」の原曲をイタリアからスペインに探し求めたところにある。長崎・天草の隠れキリシタンは2018年に世界遺産に登録された。皆川さんの思いは世界に通じた。隠れキリシタンの歴史は豊臣の時代から2世紀半に及ぶ。島原の乱以降の厳しい迫害から逃れ、隠れ、故郷を或いは捨て、踏み絵の試練も何度も乗り越えた。明治以降も迫害は続いた。明治憲法が発令するまで耐えた。宗教を捨てず、守り続けた。祈りは通じた。彼らのオラショ「ぐるりようざ」と原曲「Gloriosa Domina」を聞き比べて欲しい。祈りの気持ちは通じる。

祈りは救いを求める声である。讃美歌はだから心に響く。特にグレゴリア聖歌(kyrie eleison)はいい。聞いているうちに心が落ち着いてくる。これは旋律の美しさは勿論、コーラスからくる心地よさにあるのではないだろうか?言葉は分らないのだが。オラショを歌う人々に歌の意味はもう伝わっていない、口から口にただ歌詞と曲のみ伝わってきたという。歌とは心情の発露である

西洋かぶれと笑われるかもしれない。しかし、美しいものに触れることを否定できるだろうか?何故世界の人々にクリスマスは受け入れられているのか、これは普遍的な愛を慈しむ心があるからではないか、私は30年以上前、五島列島を一人、教会を巡ったことがある。隠れキリシタンは迫害の歴史から解放されたとき教会を作り上げた。私は復活の喜びをこの教会群から感じることができた。ギリシャの島々の教会、そしてサンピエトロ教会、何故、崇高な中に愛を感じることができるのであろうか?

今日はクリスマス。インターネットから流れる聖歌を聞きながら一人過ごしている。皆川達夫さんのラジオが私の音楽の原点だ。ただ感謝の一言だ。日本中に私のような人間がたくさんいるだろう。しかし、45年前にバロック音楽の番組が何故花開いたのか、人々が求めていたものがここにあった、精神の救いの求めに応じてくれる音楽がここにあった。既に同じ師の服部幸三氏もいらっしゃらない。師は去るとも音楽は残る。これが讃美歌の意味。オラショと同様に愛を求める人々に讃美歌は永遠に伝わっていく。人々の祈りの音楽、これが讃美歌。

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投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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