

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が平和の少女像の展示が「反日的だ」との批判により三日で中止した。当に表現の不自由が日本にあることを十分に世界的にアピールした。ベルリンではこの少女像を撤去することを昨年否定された。この像の価値を認めているからだ。この少女像を直視できないのは心の何処かに疾しいものを感じるからではないか。余りにも無垢な顔をされているではないか。この少女像が問いかけるものは何なのか?胸に手を当てて聞く時がきたのではないか?世界的に見て国内外で反日を問う国も珍しいのではないか?この少女像は韓国において日本大使館の前に初めて設置されて以来10年、100体以上各地に設置され、日本以外中国、香港、台湾、米国、オーストラリア、ドイツ、カナダ、フィリピンでも会うことができる。韓国のみを”反日”的だと一概に言えるのだろうか?”反日”を越えたところに真実はある。
韓国の裁判では1月8日、従軍慰安婦の訴訟が認められ、日本に対し総額1憶2千万円相当の損害賠償を認める判決が下りた。この判決に対し日本は韓国政府に対し主権国家である他国を訴えることは国際法上認められないと返答している。控訴権も併せて放棄している。問題の根本を理解していない。グローバルな見方ができない。この慰安婦が語っているのは個人の権利は国家間取引より重いということだ。もし国際司法裁判所に訴えられた場合、敗訴する可能性がある。人権をより重視する流れが国連の中で生まれつつある。日本の態度は一貫して政府間交渉において行われている。ドイツの首脳陣の態度と余りにも違う。ポーランドのアウシュビッツに戦後何度ドイツ首脳が直接謝罪に訪問しているか考えなくてはいけない。日本の態度は韓国の経済成長は日本の御蔭であるという見方のみ先走りしており、個人に対する補償は等閑にしている。政府間協議で何度もこの問題を韓国政府との間できちっとした形で完結させていない。韓国においても負の歴史であり触れたくない。最後は資金拠出でチョンチョン。これがまずい。金の要求は更に金の要求を生んでいく。民衆は一方で納得しない。これでこの問題は永遠に続いていく。
そもそも従軍慰安婦問題は戦後75年何故解決できないでいるのか?この問題提起は1970年日本から田中美津氏によってウーマンリブ運動の中であった。遥か40年前である。しかも日本は1993年に韓国の従軍慰安婦から起こされた訴えを日本の国内裁判で国の関与を認めているにも拘らず、1965年の日韓請求権協定により金銭的にも解決済との判断により2000年に最高裁は控訴を棄却している。支払いは政府間のみで行われ、従軍慰安婦への直接謝罪も補償も行われていない。個々の補償は韓国政府に任せているからこうなったと考えて仕方ない。民衆は許さないのだから。何度もチャンスはあったのに逃している。1995年折角立ち上げたアジア女性基金は実質蹴っ飛ばされた。戦犯の非を一貫的に認めるドイツと違うことが国際的に攻められているのである。尤も他の謝罪もすれば切りがないとなるかもしれないが、戦後補償の全ては国家間金銭的に行われてきた。だから、何かあると中韓の民衆が”反日”と呼ばれるデモに遭遇することになる。国としては仕方ないが、実際死の恐怖を味わった民衆としては許していないのである。上海での”反日”デモは官制デモと言うがどこまで本当か。事ある度に中韓の反日教育の実態を言うが、言える権利はあるのか?
2015年の慰安婦問題日韓合意が最たるものだ。10億円の使い道の検証もなしでどう使われたのか?使途不明金の調査はなされるべきではないか?不作為による政治的誤謬である。明らかに無駄な対外出費である。政府間の約束の反故で済まされない。政治は結果で評価される。結果が出なければ責任を問われる。いくら戦争が正しかったとしても敗北は国の責任である。先の大戦の起因責任を自国ではなく米国やソ連に求める論調が多い。しかし、戦争を起こしたのは大日本帝国以外の何物でもない。追い込まれたから勝ち目のない戦争をしたというのは言い訳以外の何物でもない。国民を含む失われた人々の命に対しどう償うのか?引き際を探した戦争だった。負け犬の遠吠えにしか聞こえない。日本の人民は日清戦争から太平洋戦争の敗戦まで50年近く国外との戦争に対するストレスの中で生きざるを得なかった。昨今の論調が罷り通れば、想定した正義のためにまた戦争をして勝たなければならない。勝てるのか?
戦後は枢軸国体制は破壊され、米英仏露中中心の国際連合体制に移っている。ここを理解しなければならない。しかも今は更に個人の権利を守ることが叫ばれている。男女の違いによる差別、肌の色による差別、人種間の差別、職業による差別は許されていない。国全体の利益を守れば個人の権利は守らなくていいという時代は去っている。
私は思い出す、昭和天皇が崩御の報を聞いたのはウィーンだった。あの頃ベンツの高級車だったタクシーの運転手から、何故私を日本人と分かったか知らないが「あなたたちのカイザーが亡くなったよ」と。そうか、天皇はカイザーなのだ、そしてオーストリアにはもうカイザーはいない。敗戦後追われたのだ。ドイツは分断された。日本は国体護持が他の枢軸国と違い認められた、これにより戦犯が生き残った。他の枢軸国から見たら羨ましいと思われて当たり前なのだ。私はその時何故かうしろめたさを感ぜずにはおられなかった。
私が上海で反日デモに遭遇していた時、上海市内でドイツ映画が上映されていた。私は映画館の大画面で見た。「ジョン・ラーベ~南京のシンドラー」である。当を得た映画であった。中国語が分からなくともほぼ英語、時々日本語が出て、本当に分かりやすい映画だった。ここでもドイツに負けたと思った。反日に便乗したドイツのプロパガンダに覚えた。シンドラーのリストはナチスからのユダヤ人の逃走だったが、今度は中国で大日本帝国から如何に中国人を救うか、ドイツのシーメンスの社員の奮闘である。こりゃやられた。何れにしてもシンドラーはドイツ人なのだ。ナチスではない。日本は最早大日本帝国ではないとアピールできないものか?これが全ての問題を解決するキーである。これができた時初めてドイツを越えられるのではないか?メルケル首相は日本には来ないが中国には良く訪問している。日本の首脳にはできないことである。
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