
願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃
人は老いを迎え、死の遠くないことを感じ、人生最後に最良の姿を求める。満開の桜の下、甘い香りに包まれ釈迦の涅槃の如く死を迎えたい。西行法師はこの句の10年後、73才で望み通り薨れた。私も斯くありなん。仏が入滅された如月の望月は、旧暦の2月中頃、今であれば3月中旬から下旬。この花は染井吉野ではなく山桜。今以上に木々は低く、花は近く、香り高かった。花は美しいばかりではない。香りたち、ハラハラと数千枚の花びらを舞い落とす。その下で眠るように最後を迎える。自然に流れ落ちる泪に一片の花びらが着く。静かに笑いを浮かべた頬を春風が撫でていく。空は何処までも青く、地の緑はまだ浅い。何と素晴らしいことか。何と芳しいことか。人生最後の晴れ舞台に違いない。人は死に向かう時、何もいらない。ただ、花のみあれば良い。他に何があれば良いと言うのか。

3月から4月にかけ、私は花を求めて、都内を自転車で走り回った。昨年は3月一杯まで仕事で満開の桜を満喫することができなかった。今年はこの年になって初めて様々な桜の名所を訪ねることができた。平日も動け、しかも自転車で、人込みは避けられる。私は生きる幸せを初めて感じることができた。花を愛で、花の下で自分の時間を過ごせ。桜吹雪を目一杯浴びることができた。芳しい香りも楽しめた、そして何より花の移ろいに接することができた。桜はカンザクラに始まる、更に、エドヒガン、ヤマザクラ、そしてソメイヨシノ、締めは八重桜が待っている。私はカメラになり、風景を切り取る。桜の下、子供たちは無心に遊び、老人は春を慈しみ、若人は我が世の春を謳歌し、家族は今この時を永遠に想う。
花が何故桜なのか?奈良時代以前は花と言えば梅だった。これは「花」は中国から来た言葉で日本にはなかった。梅は花の代名詞として遣唐使が持ってきた。韓国でも花はフワと言う。中国から来ているからだろう。日本では花は全く違うハナである。このハナは韓国語の「一」と言う意味で、花を意味するものではない。鼻もハナ、「ハナから」のハナではないかと言われている。花は日本にはやはりない言葉であったことが分かる。しかし、花として日本で愛でるには身近で美しいものが相応しかった。日本には元々様々な桜が咲いていた。原産の山桜、中国を先祖とするカラミザクラ、台湾から寒緋桜、島々からオオシマザクラ、北方のタカネザクラ、全てが混じり合い、日本の春を彩っていた。平安朝に花は桜となっていった。サクラは純粋な日本の言葉だ。今は英語でもSakuraと言う。因みに、ジンチョウゲ、シャクナゲ、ムクゲのゲは韓国語の花を意味する「コッ」が変化したものとされる。桜は韓国語でポッコッ。また、リンゴ、イチゴ、マンゴは中国語の果(グオ)からきている。
中国では桜の花見がが流行っていると聞く。私が上海にいた20年前は人の集まりを禁止しており、花見なぞ考えも及ばなかった。外に集まるのは真夏の夜の夕涼みのみ。暑いから仕方ない。つくづく平和になったと思う。監視の目は警察からカメラになったのかもしれないが。上海の桜は背が低く、八重、香芳しく、ピンクが強い。中国の桜はサクランボをメインにしたもので、食用が基本。見るよりは食す、中国らしい。桜の漢字は勿論中国語から。インと発音する。全く違う、サクラは日本では花のみを指すが、中国では桜花まで言わなければ通じない。そういえばゆりも純粋日本語、漢字の百合は中国語から、意味はユリ根の何枚も合わさった形から、中華料理に欠かせない。日本語のユリは花が大きく、揺れているからという。



中国・唐の詩人于武陵が詠った詩「勧酒」をを井伏鱒二が翻訳した「この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」私はこの詩を桜に捧げた詩に思えてならない。実際そうではないだろうが、パッと咲いてパッと散る。春に2日と晴れなし。嵐と共に桜は潔く散っていく。これぞ桜の本領だ。儚い人生、我が人生に重ね、覚悟を決める。庭に桜を植える準備を始めた。居間から真正面に植える。春が来たら会える。また会えたら杯を重ねる。最後は潔く死を迎えたい。我が人生悔いはない、西行法師の如く。
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