東京大空襲再び

東京大空襲の焼失地域を示した「帝都近傍図」(1945年、日本地図株式会社製作)

平和憲法が今危うい。中国初め東アジアの軍備増強の流れが止まらない。守るために戦争を。いつの時代も変わらない国民感情。為政者は更に煽ってくる。外圧は内政の危機を誤魔化す道具になる。かつて太平洋戦争も連合国に煽られ、窮鼠猫を噛む。真珠湾を攻撃し、敗北への道を辿った。私たちにとって戦争は何だったのか?戦後76年、忘却の彼方に消え去った記憶。無理やり消し去さざるを得なかった過去。東京大空襲による死者は東日本大震災や関東大震災より多かった。忘れていけないのは空襲は天災ではない、人が人を殺したのだ。1945年3月10日たった2時間余りの空爆で失われた命は11万5千人以上。関東大震災の10万5千人、東日本大震災の2万2200人を超える。何故これだけの人々が一気に亡くなってしまったのか、逃げなかったからだ。当時の防空法に従い米軍のB29から落とされた33万発の焼夷弾による消すに消せない火に銃後を守る人々は立ち向かった。戦争とは政治の道具であることも忘れてはならない。

戦争は国の為政者の勝利への確信に基づいて行われなければならない。戦争の名の下、軍人は何人殺しても構わない一方、民衆は何人殺されても文句は言えない。「欲しがりません。勝つまでは」「本土決戦 1億総玉砕」 。しかし勝てば官軍、負ければ賊軍。この戦争で日本は一部を残し焦土と化した。320万人が亡くなっている。 不思議なことに為政者は国民に対して敗戦の責を負うことはなかった。寧ろ戦後にっくき敵であった米国に擦り寄り、組み込まれることにより自ら生き残りを図った、戦勝国が敗戦国を裁けるのか?でよくやり玉にあげられる東京裁判はあくまでも連合国向けであり、寧ろ米国の目的は日本人に戦争責任者を裁く機会を与えたくなかった。米軍が使えると判断した軍人や政治家は罪に問わなく米軍支配への絶対的協力者に寝返らせた。これが今も続く戦後の構図である。負け犬のしっぽ振りが今も続いている。虎の威を借る狐。国民に謝らない為政者は他の国にも謝らない。米国より弱い国には強気になる。米国のふんどし担ぎに成り下がった。「一億総懺悔」為政者の詭弁である。為政者のための戦後保証に過ぎない

東京はこの大空襲において実際壊滅してない。皇居も国会議事堂も丸の内、日本橋日銀、財閥の本社や住居、更に主要な軍の施設、市ヶ谷本部、羽田空港、NHKさえも空爆を受けていない。米軍の戦後を見据えた空爆であった。為政者への戦後保証でもあった。米軍は日本を太平洋の新たな基地とする。対峙するソ連、中国、朝鮮への橋頭堡とする。広島長崎の原爆投下も対ソ連を踏まえたもの。ソ連に日本を獲られないための先手を打つ。戦後日本を自国の基地化するため。日本の為政者も軍も財閥もマスメディアも従った。敗戦の責任逃れをし、生き残りを図るため黙った。彼らも既に戦後を見据えていた。被害を被ったのは何も知らない一般市民である。国を信じて戦い、国のために若者は特攻兵として散っていった彼らが浮かばれることは永久に来ない。戦争とは得てしてこういうものなのかもしれない。国民の犠牲は政治につきもの。国体を最後は守るとは如何に詭弁か。空爆の前に米軍は逃げなさいと言うビラをご丁寧にばらまいている。軍部は逃げるなと国民に指示している。どういうことか?制空権を握ることの重要性を既に日本は中国戦で知っている。逆に米国に制空権を握られたことは敗戦が既に近いことを知っていた。ソ連に救いを求めたことを米軍は知っていた。ソ連と日本を切り離すためにも原爆が必要だった。北方領土問題は永遠に残す必要があった。戦後は日本の飢餓作戦を展開し、米軍の食糧供給戦略を展開させた。食料を戦闘機が空から民衆にばらまき、ジープから飢える子供たちにばらまいた。そしてマスメディアを握った。米国は平和の使者、民主主義は米国にあると繰り返し流させた。東京大空襲を闇に葬らせた。

米軍の首都制圧は76年たっても続いている。悲しいかな、米軍の飛行機やヘリコプターは好き放題に東京上空を飛んでいる。日本の民間機は米軍の管制区域を避け、遥か上空や、遠回りをして羽田空港に入らざるを得ない。文句は言えないのだ。北方領土、竹島、尖閣列島の前に本土の米軍所有地を返せ、東京の空を返せと言うべきなのではないか?領土問題は日本の米国支配を正当化する詭弁。沖縄の米軍基地移設反対の声を寧ろ抑え込もうとしている東京は最早米軍の作戦本部なのだ。唯一の戦争被爆国が国連決議の核兵器禁止条約に批准できないでいる。当に米国占領下でぐうの音も出ない。日本を敗北に導いた軍部は米国の手先となり、基地を共用に導いた。米軍は「オトモダチ」である。戦後、日本の共産化を防ぐことに米国は躍起となっていた。朝戦争の敗北更にベトナム戦争の敗北は日本を米国の防護壁にせざるを得なかった。首都圏は米国の空でもある。

戦後東京大空襲の爪痕はほぼ米軍の指示の下為政者の敗戦責任を有耶無耶にするため消された。唯一確認できるのは東京多摩の東大和にある。是非見に来て欲しい。米軍の凄まじい空襲の跡を。 都立東大和南公園の旧日立航空機立川工場の変電所である。何とこの変電所は平成まで使われた。1993年まで。昨年夏、私は初めて見に行った。よくぞ残っていたものだ。これぞ、米軍への都民の怨念に違いない無能な日本の為政者への嫌味である。変電所の上空を横田基地から飛び立つ米軍の飛行機が耳を劈く騒音を上げ飛んでいく。立川の国営昭和記念公園は美しい公園だ。昭和天皇の50才を記念して開設されたとされるが、違う。砂川闘争で米軍を追い出した跡を公園としたのだ。戦後初めて米軍に農民が立ち向かい、自らの力で勝ち取ったものだ。国営昭和記念公園とはよくも名付けたものだ。多摩の人々は少なくとも明治以降より江戸時代を大事にしている。米軍の福生の占領状態が続く限り、この傾向は変わらない。

もし米国と中国が戦争となると東京は将に米軍の最前線基地として指揮展開を行う。中国は報復で東京の米軍基地を襲う。当に東京大空襲は再現する。米国は戦争で日本に勝って以来勝っていない。一緒に撃沈を覚悟せざるを得ない。日本の為政者も今度はどうしようもないであろう。日本の外交は常に米国追従であり、自ら動くことは稀だ。これは日本が米軍の基地であることを証明している。憲法を改正するとしてもどう米軍と折り合いをつけるのか?如何に戦争を回避するか、これは会話以外の何物でもない。隣国の韓国や北朝鮮とさえ会話のできない今の為政者に期待することは愚問となる

引用記事:

投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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