窓辺にミューズを

窓は光の通り道。日が昇り、朝が訪れたことも日が暮れ、闇が帳を下ろすことも教える。窓は風の通り道、春は微風を、夏は凪を、秋は涼し風を、冬は凍てつく空気を届ける。窓は景色が通う道、カーテンで縁取られ、風景を切り取る。鳥の鳴き声とその姿、四季により移り変わる木々の緑、色とりどりの花とその香り、空の色、流れる雲、行き交う人の声、子供の燥ぐ声、通り過ぎる猫、それが窓と一体化し一幅の絵となる。

4年前の師走、家族皆で晩餐の食卓を囲む中、ワインを片手に義父は天に召された。急性脳幹出血だった。呆気なく死は訪れた。半年後に卆寿を迎える矢先だった。18年前に妻を急性白血病で失い、一人になって旧宅を壊し、既に庭にあった我が家と繋げる新しい家を建てた。妻を亡くした寂しさからか、酒の量が増え、ブランディ片手に文章を書く日々だった。何より孫たちを愛した義父だった。今でも憶えている、 彼女たち の帰りを待つ姿、居間のソファ―に深々と座り、窓越しに庭の門から入って来るのを待っていた。暗くなるとカーテンを開け、明かりを庭の通り道に照らした。彼女たちのために。西に門、南と西に庭が広がっている、足元が既に覚束なく、引きこもりがちになっていた。視界は既に狭くなっていた。窓は唯一外界と義父を繋ぐ媒体だった。窓を通して庭を愛で、四季の移ろいを感じていた。義父が幸せだったのはこの愛した孫たちと最後の晩餐を楽しめたことかもしれない。義父は孫たちにとっては父親も同然。私の余りにも長き不在の代償、13年余り、やっと遠く家から離れた会社を辞め帰ってきたその日にお役御免でホッとしたのか、義父は永遠の眠りに就いた。

義父の家は建って20年以上。水色の外壁で、窓は広く、1階と2階は吹き抜け。1階は和室と居間と納戸、2階は書斎と書庫、洗面所、一人暮らしには最適だ。終の棲家に相応しい。何も言い残さず去っていった義父の遺品、書物、衣服、調度品の整理をしながら、自身の残された時間を見つめている自分に気が着いた。いつの間にか自身のものの整理ともなっていた。私もそれほど残された時間は長くはないだろう。この家で最期を迎えたい、そんな家にしたい。整理に3年かかった。人生最後に余計なものは排した。Simple is best. 居間には4つの籐椅子と小さい丸テーブルのみ。一方、和室は賑やかになった。亡き家族の大事にしていたものを全て並べた。嘗て亡き実父の家の装飾品もある。思い出が皆鎮座している。この思い出は家族でなければ分からない。和室を鎮魂の舞台とした。納戸にも最早使われないキッチンにも飾る。絵を愛した義父、人形を愛した義母、仏像を愛した父、全てをできる限り残した。思い出に浸るのは残されたものの特権だ。

目が覚める。まだ日は昇っていない。小鳥の声が夜明けを告げている。四十雀だ。この家周辺をテリトリーにしている。吹き抜けの2階の窓際に寝ていると鳥を近くに感じる。北窓に日が差し込んでくると家中のカーテンを開ける。キッチンで白湯を沸かし、昨晩の残りのコーヒーを温める。リクライニングチェアに体を沈め先ず体を暖める。インターネットでバロック音楽を聞きながら、朝が訪れるのを待つ。自分だけの時間を楽しむ。隠居して分かる自分との対話に風景は欠かせない。心を和ませる風景が欲しい。

義父のように窓を見ている。一人でいると自然と窓を見る。今は体が動くが何れ動かなくなるだろう、その時窓の外の風景はどうなっているのだろうか?自分と外界を繋ぐのは窓だ。いつも朝日が射す北の窓に義父が和室に飾っていた不釣り合いだったヴィーナスの裸像を飾ってみた。朝日を浴びて白い肌が生き生きとしてきた。ギリシャで買ったグラスウェアを組み合わせた。西側の強い日差しを受ける窓には義母の趣味で作ったステンドグラスを飾る。夕日に映えて美しい、中国でもらったグルジアのワインボトルを飾り、窓際を楽しくした。ベッドの脇、西側の出窓にはサンピエトロ大聖堂で見たミケランジェロの聖マリアが十字架から降ろされたイエスキリストを抱く『ピエタ』を飾った。憐憫である。私も死して聖マリアに抱かれたいと思っている。キッチンの東の出窓には、ルーヴル美術館の『ダリュの階段踊り場』に置かれているギリシャ彫刻のサモトラケのニケを飾った。勝利の女神だ。死ぬまでに一度 ルーヴル美術館 に行きたいがためである。祈りを込めた。二階の書庫の窓にはアルフォンス・ミュシャの『ラ・ナチュール』を飾った。アールヌーヴォへの憧れからである。像の頭部のグラスの飾りが朝日に照り輝くことを気に入っている。

後何年この窓辺のミューズを眺めることができるのであろうか?義父や義母のようにあっと言う間に神が迎えに来られれば行かざるを得ない。その時が明日なのかもしれない、明後日かもしれない。この世との別れはいつなのか分かるものではない。心臓は勝手に動いているのだから勝手に止まるであろう。後悔なきように慈しむようにミューズを眺め時を過ごしたい。窓越しに孫たちの帰りを待つ実父の姿に自分をいつしかラップさせるようになった。命の蝋燭はそれほど持つものではない。ただ、慈しむものの姿を瞳に焼き付けることはこの世を去るときに微笑みに一粒の泪として目からこぼれ、地に流れ落ちることだろう。

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投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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