庭を蘇らせる

庭とはもともと農家の軒先の脱穀や籾すりなど農作業を行う作業場のこと。校庭がこの意味に近い。中国では家の庭のことを『院』と言う。宗教的な意味合いからだ。理解できる。ただ、中国の院を日本で個人の庭に持ってくるには烏滸がましい気がする。やはり庭は庭。この1年間、庭と向き合って分かった。庭は作業場である。中国では完成された庭を前提に『院』としたが、日本では作り上げることを重点に置き『庭』としたと言えば分かり易いのではないか?まして個人の住宅であれば真冬の一時期を除き、庭は向き合わなければ美しさを保てない。庭師が常駐していれば別だが、そんな贅沢をこじんまりとした庭では不可能。家が小さくなり庭も小さくなる昨今、庭師も合わせて減っており、暇な庭師もいない。寧ろ個人の庭を相手にしてくれなくなった。労多くて益なしだ。自分の家の庭は自分で守るべきは基本なのではないか。その上での庭師参上とすべきと今になって思う次第。

昨年3月仕事を辞し、毎年剪定と消毒に20万円以上掛かっていた庭の維持管理をどうすべきか悩んだ。厳しい費用負担だ。ずっと庭師任せ、春と秋二度刈り込みと消毒を頼んでいただけだった。秋の剪定と言いながら実際は冬にずれ込んでいた。時期が庭師としてのかき入れ時と重なり、なかなか来てくれない。結果として年老いた木々は枯れ、虫に食われ、見るも無残となった。木々も寿命を迎えていたかに思えた。樹齢55年以上の木がほとんど。実際シンボルツリーだった2本の柘植の木は年々枯れていき最後は別れを告げざるを得なくなった。門前のゴヨウマツも枯れてボロボロ、金木犀は虫に食われ遂に咲かず何の木か分からなくなった。枝垂れ梅は実を一個しか成らせなかった。人任せだから費用が掛かる。費用を掛けながら愛着が無ければ庭は荒れる。庭の価値を自分で定め、その上で庭師に相談すべきだ。素人なりにやるだけやってみよう。我が家の庭が本来の意味の作業場になった。実際、その時まで消毒をどうやるのかも知らなかった。剪定も然りである。脚立に立ち作業をするのも怖い。雑草を取り、草花を植え、庭を掃くのが関の山だった。庭師と真面に話したことも、費用の査定の仕方も分からなかった。庭の美しさを取り戻しながら金銭的負担を減らしたい。これはもう庭を一番知っている庭師に聞き勉強しなければならないインターネットも頼りになった。樹木による剪定時期と方法、消毒剤名から使用方法、時期まで細かく出ている。戦いが始まった。

剪定:先ず勉強は見積りからだった。今まで頼んでいた庭師以外にも見積りを出すようにした。どうすれば安く済ませるか。剪定費用の大まかな決まりがあることが分かった。樹高が3m以下で3,000円、3~5mが6,000~7,000円が相場だが、5~7mの大木になると途端に 16,000~17,000円 となる。大木は個人には負担大だ。人工代は別途一人一日当たり15,000~30,000円、この大きな差はプロであるかないかによる。

コストを下げるには木を5m以下に抑え、手間の掛かる木を減らし、プロに頼まず、剪定する木を予め指定すること。肝に銘じた。藤棚、枝垂れ梅、百日紅は自分で見様見真似で 剪定 し、5m以上の木のみ指定し、小平市のシルバー人材センターに見積りを頼む。流石に安い。何と春冬の剪定費用はトータル5万円弱、1/4の費用で済んだ。春は人工は2名、冬は3名、それぞれ1日だった身の丈に応じた庭にすべきなのだ。因みにシルバー人材センターの職員から私も登録しないかと誘われた。センターの皆さん、定年後剪定を始められた方ばかりで、プロの庭師ではない。

施肥/消毒:庭は愛情のありようでどうにでも変わる。木々への愛情は施肥そして消毒だ。庭師に施肥 までは頼めないし、消毒を待っていては時すでに遅しになる。消毒はまめにしなければならない。手を抜くとどんどん木々はだめになる。これは反省の弁。実際、1年間、施肥、消毒で木々は全く変わるものだ。光は太陽から、水は雨から。しかし、土は放っておくと痩せていく。木々は根から栄養を摂る。やはりまず土が大切なのだと気が着く。兎に角、冬12月に寒肥と消毒剤を両方、木々の下に播いてみた。消毒剤はオルトランDX粒剤を選んだ。問題の金木犀やゴヨウマツの下周辺には相当腐葉土も播いた。御呪いみたいなもの。即効性は疑われたが葉の消毒の先手と考えた次第。



春3月と4月の晴れの続く日の朝一番に木々に消毒剤を噴霧した。近所から散布に対するクレームを避けるためと一応重装備で作業をするために寒いほうが暑苦しさから逃れられるため。枯れた木や虫に喰われた木には特に念入りに。ゴーグルとマスクをして脚立を抱え庭中を動き回り、脚立の昇り降りもあるので結構しんどい。消毒は殺虫用にオルチオン乳剤と防黴用ストロビー粉末それぞれ展着剤ダインと混ぜ水を希釈してポンプアップタンクを使い散布する。慣れるまでが大変だった。







頑張った成果がゴヨウマツにまず現れた。更に金木犀も、梅も新緑が映える。やれば庭は素直に成果を見せてくれる。枝垂れ梅は実を多数付けている。昨年植えたジュンベリーも見事に赤い実を付けている。鳥に取られないように網を張った。庭は1年で蘇った。収穫が楽しみだ。

門近くのゴヨウマツが元気に、その脇の金木犀も今年は花を咲かせそうだ

雑草との戦い:庭仕事で剪定と施肥と消毒は頻繁に行う必要はないが一番大変なのは冬以外の雑草との戦いだ。一番の敵はスギナ、笹、ドクダミに尽きる。なかなかしぶとい。有効なのはグランドカバーを植えていくこと。しかし時間が掛かる。庭師が以前は抜いてしまうのでうまくいかなかったが、剪定する木を決めることにより守ることができた。グランドカバーはハーブ系と蔦系が一番強い。ハーブは香り、蔦は色合いに魅力がある。見た目で成功したのはセダムとヒューケラだ。ジュンメリーとバイカウツギの下に植えたが、見事にバランスを取ってくれた。形では成功したが、雑草は毎年必ず這いだしてくる。鼬ごっこ、仕方ないと諦めるしかない。これが庭との付き合いにつきものと思うべきだ。相手は自然なのだから敵わない。

バイカウツギの回りをヒューケラが彩る

庭作りは終わらない:昨年まで1年掛け庭の1大改造を行った。柘植、木蓮の大木の鎮魂。全てをサラにして出直し。26万円以上掛かっている。問題は業者の選定だった。2社しかも遠くの業者を使った。遠くの業者は責任は取るとは言いながら呼ばなければ来ることはない。遠いと相談し難い。直ぐ会って相談できる業者ではなく直接、地元の植木屋さんがいいのではと思うようになった。ここで生きていくのだから。ただ地元の植木屋さんには付き合いがない。植木屋さんは一般客を相手にしないのだからSNSでPRなんてしない。昔ながらのお得意さんのみ。今回最後の改造を思い立った。 庭の真ん中に鎮座する樹高5mのマテバシイ を切り、代わりに枝垂れ桜を植えようと思った。どう見ても自然に生えているマテバシイ、剪定費用が掛かるだけ、そして庭の中央には桜を植えたいと言う気持ちだった。我が家に桜はない。更に女房が東側に柑橘系の木を植えたいとの要望、これは確かにバランス的にも木が必要な場所であった。ヒイラギがあるが高くはならない。皐月を移動しなければならない。一方、以前木蓮の代わりに植えたカラタネオガタマがか細く、脇をミツバツツジと梔子でバランスを取りたいと思っていた。近くの植木屋さんを数件直接訪ね見積りを頼むことにした。会って話すといろいろ教えてくれる。勉強になった。安く上げる方法である。マテバシイは抜かず、根部分まで切るようにすれば安く上がる。なるほど!結果、9万円を切った。

庭をある程度片付けると欲が出てくる。植えてみたい木が頭に浮かぶ。一方、何故この木がここに植えてあるのか考えるようになる。この木の植えてある意味は何処にあるのか?何のために植えたのか?庭は作られた美とバランスの世界だと気づかされる。その上で自分の好きな木を植えられるか?植えるとなると他の木を切るか、移さなくてはならなくなる。費用も掛かる。回答は庭に求めるしかない庭は確かに中国語での院に寧ろ近いのかもしれない。しかし、庭の気持ちがないと院は作れない。両方の気持ちが必要なのであろう。そう思い、いつも庭に出ている。

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投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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