
今日8月15日は終戦の日。今は亡き父とテレビで夏の甲子園を見ていると急にサイレンが球場に鳴り響く。正午。選手が試合を止め、帽子を取り、頭を下げ、直立不動で黙祷を捧げる。合わせて応援も放送も何もかも止められ、球場全体が数分間静寂に包まれる。父に言われ、家族全員一緒にテレビに向かい、直立不動になり頭を下げ、黙祷を捧げる。日本独特のけたたましい応援合戦の異常な雰囲気がガラッと変わる一瞬の時だった。庭のクマゼミの声と扇風機の音が急に大きくなる。これが私にとっての終戦の日だった。高校野球と戦争、そして終戦が持つ意味合いは何なのか。長じてくると終戦の日とは何だったのか疑念を持つようになる。終戦は日本がまず降伏を宣言した日なのか?終戦を一方的にできるのか?と言うことだった。一方的な降伏はそう簡単に許されるのかと言う疑念もあった。終戦の日とは玉音放送が流れた日に過ぎない。しかし高校球児にとって何の意味があるのか?

実際米英中ソによるポツダム宣言の受託を海外に向け宣言したのはは8月10日である。5日前にはもう既に海外に対して無条件降伏を告げている。一方ソ連からは中立条約の破棄と宣戦布告をその前日に受けている。最早ソ連は止まらない。これはポツダム宣言履行によるものだ。日本の敗戦は既に既定路線に入っており、時間の問題だった。5月にナチスが敗れ、6月のソ連への敗戦仲介要請は徒労に終わった。尤もこの前の年にサイパンを抑えられ制空権を米国に握られた時点で最早敗戦が濃厚であったのは軍部も承知していたのではないか。将に四面楚歌の状態だった。そこに原爆投下。寝耳に水。国体護持しか為政者に頭になかったはずだ。いつ白旗を上げるか。日清、日露と日本は常に引き際を念頭にして戦っている。けして両国に勝ったわけではない。全面戦争は避けていた。日本には局地戦の妙しかない。真珠湾攻撃は窮鼠猫を噛む、ソ連への和平交渉は手負いの熊に命乞いをするようなものだった。真綿で首を絞められるように全土への空襲と艦砲射撃の前に押し黙るより仕方なかった。8月15日は国民への敗戦告知の日であり、戦争はけして終わっていなかった。ソ連の攻撃は続いていた。終戦の締結は9月2日まで待たなければならなかった。終戦の日の意味は対外的ではない、若人を特攻と言う死の世界に送り込むことを止めさせた日なのだ。

太平洋戦争の是非が問われるのは、神風特攻隊を生み出したことだ。失われたのは年端もいかない若い命だ。未成年の若者に死を恐れぬ自爆テロを強いたのは誰か。為政者は問われなければならない。若い命は戻らない。過ちを繰り返してはいけない。敗戦と言う事実を認め、戦後復興から過去を拭い去るのではなく、和平交渉がまだ済んでいない北朝鮮、ロシアとどう向き合うか、日本は米軍の基地なのか。植民地とした地域があるモンゴル、韓国、中国との関係。戦後76年経っても敗戦処理は残っている。黒い雨訴訟の判決が下りたばかりだ。まだ戦争は終わっていない。戦争に対する責任を負うことを逃れ、票取りのために靖国神社に行くのが政治家の仕事ではない。今こそきけわだつみの声を聞くべきだ。何故高校野球でサイレンが鳴るのか、失われた若人の声をサイレンが代弁している。忘れてはいけない。失われた若人の声だ。
人間は、人間がこの世を創った時以来、少しも進歩していないのだ。
今次の戦争には、もはや正義云々の問題はなく、
ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。
敵対し合う民族は各々その滅亡まで戦を止めることはないであろう。
恐ろしき哉、浅ましき哉
人間よ、猿の親類よ。
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