日記

2010年9月6日(月)

50才になって初めて日記を書こうと思う。何となればガン宣告されたからに他ならない。丸善にてこの日記帳を買う。2,100円也!若林堂にてニーチェの言葉という本を買う。1,785円也!まず”カタチ”から入る私らしい。病名は膀胱癌!生命に関わる病である。今まで成り行きで生きてきたため日記なぞ書かなかった。書く気もおこらなかった。癌は人生を見直す契機をもたらすものとしては重要である。これからは少しは自省的になりたいものだ。今晩はやっと涼しくなったのでちょうど良い!本当に良いタイミングだ。由貴はおふろ、未央とママは楽しく勉強。愛する家族のために楽しく自分に向き合い、自分を鼓舞できればそれで良い。これが日記を書き初めた理由である。今日はもう眠いのでここまで、また明日。

11年前になる、日記の書き始め。日記帳に話しかけている。癌になった自分に大丈夫だよねと確認している。日記のいいところは、他人に言っても分かってくれない苦しみ、悲しみ、辛さを思う存分思いのまま書ける。書くことにより自らに対し客観的になり、心が落ち着き、感情的に他人に当たることが無くなる。初めて命の危険を感じた時、自分を見つめ、残された時間を大切に使おう。日記に書くと考えが整理され、どうすべきか、どうすべきだったか、もう一人の自分が回答してくれる。そう自分を見つめ直す。一方大切なものへの想いがそのまま出てくる。そう家族だ。家族のために頑張らなければならない。

更にここで何故ニーチェか?書かれた言葉がその後に人生の全てになった。ニーチェの珠玉の言葉が力になる。

自分が常に切り開いていく姿勢を持つことがこの人生を最高に旅することになる
・今のこの人生をもう一度そのままくり返してもかまわないという生き方をしよう
・遅かれ早かれ死ぬのは決まっている。だからほがらかに全力で行きていく
・喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう           ・過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える           ・世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。

この日記帳は日本橋丸善に行った際、カバーの織布の藍色の美しさ手に馴染む温かみに惚れて、少々高いが購入した。阿波しじら織り。独特の風合い。そしてノートの行間の広さ、書きやすさも良かった。この手帳の虜にすぐなった。あの頃は万年筆で書いており、ささっと書いていたので誤字脱字が多かった。尤も字を書くこと自体も忘れていた。パソコンでのキーボードや携帯での文字入力は漢字への自動変換機能があり、漢字の記憶が大まかになる。形状が浮かぶが詳細が出てこない。当たり前の漢字も書けなくなる。便利は便利なのだが。日記を付けることは漢字を思い出し、書くと言う作業を思い出すのに丁度良かった

しかしよくも11年続いたものだ。理由は簡単だ。日記を書くというより助けを求めていたからだ。日記は都度みごとに答えをくれた。最初の癌は手術で乗り切れたが、また8年後再発し、抗癌治療に涙する、日記はずっと寄り添ってくれた。今までの人生、成功より挫折。”あと一歩で”と言う言葉が今も耳から離れない。越えることができたら人生も変わっていた。もっと努力すれば、集中すれば、我慢すれば、後悔先に立たず。今更なんだ。もう既に人生も終着点を迎えようとしている。取るに足らない、薄っぺらな、何も後世に残すものはない。おさらばする時が刻々と近付いている。この世から消え、地に戻る。それもいい。体に生じた癌は身から出た錆と思えた。そんな自分を冷静に日記は解読してくれた。微笑みを私にくれた。自分が自分らしくなすがままに生きよと。だから日記を続けられた。

三重県に二年、長野県に二年、中国に八ヶ月、彷徨い続けた。この間も日記を手放すことはなかった。寧ろ日記なしでは生きていけなかった。2017年11月6日この日記帳ともお別れすることになった。理由は形に拘ることを止めようとおもったことだ。中国に移って一カ月、中国に居を構え、この日記帳が手に入らなくなると覚悟したこともあった。その時の日記。

2017年11月6日 (月)

疲れた。問題が山積み。たまらん。まあ今日は寝よう。この日記帳とも今日でサヨウナラ。もう全て捨てる。あとは質素に日記を付けていく。もう形はどうでも良くなった。どうせ”無”に皆戻っていくのだ。形にこだわることはない人生”無”だ。どうでもいいのだ。形あるものは消えゆくもの。今を生きていけば良いのだ。体を元に戻し何とか生きのびよう。明日は明日。辛い日々も去っていく。私の記憶の片隅に残るのみ。全てはサヨウナラ。私の心の問題だ。これからを私は私なりに生きていく。もう何も残さない。それが私らしい。そのままの人生なんだ。素直にそのまま生きていく。

このあと、日記帳はありあわせのノートになり、書くものも万年筆から鉛筆に、字も書きなぐりとなり、自分でもあとから読めなくなっている。しかしほぼ毎日書く。手帳、サブノート、日記ノートの3本立て。手帳には予定、サブノートには反省や目標をまとめる、そして日記には日々の想いを書いている。山だって旅先だって持っていく。電車で書くこともある。コンビニ、マック、喫茶店。中国の庭園でお茶を飲みながら日記を書いていた時、見知らぬ中国人が覗き込んで来て、面白い漢字だ。と言ってきたのには驚いた。日記は元々中国語だが、中国では公式な記録のこと。日本のような日記文学は聞いたことがない。漢字の書くなぐり文化はないようだ。この中国人は旅行者で、湖南省から団体で来ていた。日本人だって見たことがなかったのだろう。公式に漢字を使うのは今や中国人と日本人のみとなっている。1千数百年の時代の流れで意味も形も違う部分ができている。思えばカタカナもひらがなも書きなぐりが元といえばなるほどなのかもしれない。芭蕉の奥の細道の原書も漢字書きなぐりに見えなくはない。

時代も変わり、ブログを日記としている人が多いようだ。しかし、私は鉛筆書きに拘っている。そうしないと自分に向き合えないような気がする。昔は夜寝る前に書いていたが、ワイン一杯で酔っ払って寝てしまうことが多くなり、書けなくなった。昼、コンビニで外の景色を眺め、100円コーヒーを飲みながら書く。それで充分。贅沢は言わない。今の自分を見つめるのに丁度いい。鉛筆は温もりがあっていい。シャーペンでは寂しすぎる。消しゴムは必要だが。あと何年書けるだろうか?それが今自分の問題の様な気がしてならない。ボケとの戦い、年を取ると、いつ意識が無くなりそのまま別の世界に行ってしまうかわからない。書くことがなくなることも怖い。何もすることが無くなれば書けなくなる。主体的に物事に取り組むから書ける意欲が無くなったとき筆は折らなければならない。その時は遅かれ早かれ来るものだろう。その時が来るまで日記帳を片時も離したくないと思っている。

投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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