将棋

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私の将棋との出会いは小学生、父と兄に教えてもらった。強くはなかったが、たまにとんでもない手を指すのが嫌われて相手にしてくれなくなった。もう55年、相変わらず変な手を指している。上図は指した将棋の最終局。私が先手、相手が飛で竜を切ると頭金で勝つ。竜がいるので桂で馬は取れない。玉は馬がいるので逃げられない。守るとなると持ち駒なく、銀を下げると頭金で詰み、飛の守りは4九金王手からタダ取りされるので投了。僅か41手。私は飛車角だけで攻めた。相手は面白くない。頭にくるともう私と指したくなくなる。将棋が原因で友人を失ったこともある。

しかし、たまたま今回うまくいっただけで、大概ボロ負けしている。いつも短手筋を目指しているからだ。負けても気にしない。さっきの将棋が勝ったのか、負けたのかさえ憶えていない。プロ棋士の上達の基本は負けたくないから強くなったとよく聞く。藤井総太二冠は小さい時から負けたら悔しく泣いて勝つまで何度も指されたと聞く。詰将棋もきっちり勉強されている。将棋の本を読み、あらゆる手を勉強し尽している。彼は19歳、勝負を前に年齢も性別も学歴も職歴も関係ない。強い人間は強い。私は全く何も勉強していない。本も読んだことはない。詰将棋も苦手でちょっと見ただけで諦めている。私の手は適当、思いつきと経験から指している。全くの素人将棋。縁台将棋。しかし、ここに将棋の面白みがある。勝つか負けるかはその時々のお互いの指し手の流れに従う。定石に従わない、伸るか反るか、毎回新鮮で面白くなる。素人が素人として楽しめるからこそ将棋の裾野が広いのではないか?

将棋は指す駒が決められている。トランプや麻雀と違い、全くのオープンである。配牌の妙はない。囲碁と違い、一から勝負を連ねていくものでもない。お互い既存の駒を動かしていく。しかし何処かで勝負手を打たなければならない。これはお互い様だ。王を取るか、取られるか。相手の守りを崩して攻める。攻めるうちにも守らなければならない。攻めと守りの相反する選択が迫られる。これが妙手か悪手か、厳しい瀬戸際に追い込まれる。肉を切らせて骨を断つ勝負手に賭けるプロは自分が詰まないか先ず考えるそうだ。素人は相手を詰ますことをまず考えてしまうから攻めに失敗すると負ける。しかし攻める時に攻めないといつの間にか墓穴を掘ってしまう。攻めれば自然、自陣が薄くなる。いつの間にか王がにっちもさっちも。いくら優位でも勝機を失うと厳しい結果になる。一方、将棋の妙は逃げ切っても勝ちになる。逃げるが勝ち

中国にいたころ道端で人垣を見かけた。大概数人で一生懸命下を見ている。議論している。何を?将棋盤に並べられた丸い駒。そう詰み将棋、賭け将棋だ。中国では将棋は象棋(シャンチー)。日本と違い駒組みが粗く、王の守りも薄く、シンプルだ。双方の真ん中に川があるが意味はない。大抵折り畳みの小さい椅子が道路側に盤に向かって置かれ、仕掛人は盤を広げて客を待つ。盤は大概紙。客の候補は見ている数人のうちにいる。サクラもその中に入っている。熱心に議論を吹っかけている。仕掛け人は椅子に向かって黙って100元を見せている。何処の将棋もそうだが、勝てそうな局面でも実際勝てない場合がある。するりと逃げられる道筋が用意されている。日本でも昔は祭りの時に必ず賭け将棋が見られた。日本と違うところは仕掛け人が若い女性の場合がある。そこが大きな罠。結局あと一歩で詰ませることはできない。賭けた金は取られるのが落ち。悔しそうに帰るカモの背中を見ることになる。将棋は優位な駒組みでも勝てる保証がない。逆に優位な時こそ危険な場合もある。そこが将棋の妙

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将棋の発祥の地は遠いインド。ここから西洋ではチェス、アジアでは将棋と世界中に広まった。このゲームは良くできている。なかなか詰まないように計算されている。戦争を避けるためのゲームといわれ、確かに疑似戦争。王を取れば勝ち。王を取られれば負け、へぼ将棋、王より飛車を可愛がり。実際、飛車を切って勝つと気持ちいいが、飛車を取られて投了も多い。素人は特にうっかりが多い。一手のミスが敗着につながることが多い。王を取られることは心臓をエグリ取られるように思われる。昔、将棋を昼休み指していて、脳溢血で斃れる人がいて将棋禁止令が会社で発令されたくらいだ。縁台将棋では負けると将棋盤を引っ繰り返して帰るおじいさんが定番。

将棋は昔から囲碁より低く見られていた。企業のトップは囲碁を嗜み、下っ端の人間は将棋と言うのが定番であった。囲碁は世界の言葉であり、確かに世界で幅広く打たれている。日韓中大会、世界大会と新聞を賑わす。中国で2000年前には打たれていた。私も教えてもらい、打ったこともあるが、どうも白黒の世界は寂しく、無味乾燥な感じを受けた。生来、抽象的な世界に弱く、計算が遅く、エリート意識にも乏しかったことから自然と差しで王を取り合う将棋の世界が好きになった。今でこそ羽生九段、藤井二冠とスターがファンを引き付けているが、吹けば飛ぶような将棋の駒に~の「王将」で有名だった無頼漢”坂田三吉”のイメージ。自分はこの方が好き

会社時代の将棋は先ず碁会所だった。問屋のおじさんと二人、神田で飲んで、行きますか?駅裏の碁会所に入る、そこで将棋が始まる。将棋・碁を打っている人の間をやっと通れ抜けるほど狭くてきれいとはお世辞にも言えない碁会所の中は煙草の煙とおじさんたちの体臭でむせ返っている。勝っても負けても楽しい思い出だった。問屋のおじさんはいつも煙草を燻らせていた。もうあの問屋のおじさんもこの世にいない。もう30年も前の話。その後は一人飲んで、帰り際、池袋の汚いゲーセン、100円でゲーム機相手に指していた。時代は過ぎ、今はインターネットで誰とでも指す。日本でも中国でもどこにいてもインターネットがあれば、サイトにアクセスし、相手が誰かは分らないで指す。24時間関係ない。もう碁会所も見ない。ゲーセンで将棋ゲームは既にない。私が今アクセスしているサイトはSDIN、昔は様々なサイトがあったが、消えていき残ったのがこのサイト。

https://sdin.jp/browser/board/shogi/

レートは1000点が基準。私はほぼ900点台で蠢いている。勝ったり負けたり。弱い相手には勝たせてもらい、強い相手にはほぼ負ける。たまに1000点台に上がり1100点台目前になると負け続け、最終的に900点台で落ち着く。相手は自分の点数に合わせ、900点台であれば900点台、1000点台に上がれば1000点台としている。希望レートを選べるのが良い。先手後手はランダム。昔は試合毎に挨拶していたが、盤を大きくするため、画面上、挨拶の欄を見えなくしているので挨拶抜きの不躾である。持ち時間の基準は5分から20分まで、集中が続かず、疲れるから。自分の設定は10分1手時間3分としている。チャットは断る。将棋を指すのは朝、目を覚ましたい時、寝る前にリラックスしたい時、気分転換を図ろうとする時になる。勝っても負けても恨みっこなし。勝てない相手はほぼ決まっているので避ける。へぼ将棋に付き合わせるのは失礼と勝手に思っている。相手を選べるのがいい。但し名前は都度選べるので変えられたら分からない。

インターネットでの将棋は面と向かって指すべき1対1の将棋本来の人間味を失わせるものだろう。しかし、純粋に自分の空間で将棋を集中して楽しめる。好きな時、四六時中、世界中どこででも指せるところがいい。駐在した中国でも楽しめた。出張時、米国でも英国でもアイルランドでも指せた。世界中で将棋愛好者がいつもどこかで指しているのではないか?見たことがないから判らないが、日本の夜中は中南米の昼間、世界中何処かは昼である。24時間楽しめる理由はここにあるに違いない。相手はけして見えない。PCの先の何処かに私と同じようにPCの前で将棋を指しているはずだ。私はいつもインタネットで24時間途切れないFM1のバロック音楽を聴きながら寛いで将棋を楽しんでいる。他には何も考えない時間だ

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相手はほぼ日本人とは思っている。少なくとも中国、韓国人に違いない。欧米にはチェスがある。いつも様々な人々と指している。相手は疲れた中年だろうか、私の様な老いさらばえた老人だろうか、はたまた若い人、女性や子供なのだろうか。マイナーなゲームだが、脳の活性化、ボケ防止、気力の鼓舞にはもってこいだ。最早私は将棋を続けて指すことはできない。一手終わると頭がボーッとする。脳が疲れて集中力の限界。高々20分でもである。それでもコーヒーやお茶で気分展開し、一休みすれば、また指そうと言う気になる。懲りないお爺さんに戻れる。今度は違う手を指してみよう。もう一度指し直そう。今度は勝てるかな。これが私の一番の喜びだ

投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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