新型コロナ蔓延から学ぶこと

我々は学ばなければならない

2020年1月日本国内で新型コロナウィルス感染者が初めて確認されて丸2年が経った。2021年11月に収まりかけたにも拘らず、オミクロン株の急襲から、日本中への蔓延という新たなフレーズに入っている。けして収まらない新型感染症のパンデミックが我々に示唆するものは何か、我々はパンデミックに向き合ったこの2年間の経験から真摯に学び、そして後世に伝えなければならない。何が良くて何が悪かったか。判断を下すのは我々の子孫である。今までがそうであったようにこれからも我々はパンデミックと戦い続けなければならない。過去は未来の先生である。まずは如何に我々がパンデミックと戦ってきたか振り返ってみたい。

1656年に描かれたローマの医師。ヨーロッパにおける17世紀のペストの大流行の際、医師は、クチバシ付きマスク、革手袋、長いコートを着用し、感染を防ごうとした。不吉で象徴的なその姿は、今日でもよく知られている。(PHOTOGRAPH BY ARTEFACT, ALAMY)
ペスト菌から身を守る術

1.ペスト

我々人類の発展の歴史は常に疫病との戦いと共にあった。ペストから天然痘そしてインフルエンザ新型コロナ。避けては通れないであった。その中でも疫病の代名詞となっているのはペスト黒死病として恐れられ、ペスト菌ノミを介して血を侵し、敗血症を起こし、全身が壊死していく恐ろしい病気。凡そ7000年前に人への感染の痕跡がある。場所はラトビア、地中海に面した東欧、そして最初のパンデミックは1347年、4年間蔓延し、累計2億の人が世界中で亡くなった。そのころ世界は3億7千万の人口に過ぎなかったのであるから半分以上の命がを失われたと言えるだろう。このペスト、そのころの中国を起源としシルクロードを通し、世界中に広がった。新型コロナに似ていないか?このパンデミックにより日本でどのくらい亡くなったかというと皆無である。何故か?元寇の失敗で中国との国境が閉ざされたからである。ペストには有効なワクチンは今もない。罹った人間に近寄らなければ良いとしか言えない。検疫という言葉はペストによって生まれた。治療は今も抗生物質の注射しかない。この治療が実証されたのは1894年136年前に過ぎないのである。最初にパンデミックから何と1729年過ぎている。人類はペストへの恐怖と戦い続けてきた。1927年以降日本での感染者は出ていないが、アフリカアジアでは今もなお感染者が出ており、2010年~2015年、3248人が感染し、584人が亡くなっている。失われない死の恐怖が今も続いている。

牛頭天王

2.天然痘

疫病の中でも日本での戦いが長く深刻だったのが天然痘だ。ペストと違うのはラクダの疱瘡に由来し、人のDNAにより変異した天然痘ウィルスが元で、感染者との接触や疱瘡の飛沫によってに感染し、膿疱が全身を侵し、肺まで達した時、死に至る病である。仏教伝来と共に6世紀中頃朝鮮から伝播したとみられている。パンデミックが起きたのは737年、その頃の総人口450万の3割100~150万の命が失われたという。日本において中国の医書を元にした種痘が天然痘に有効と実証されたのは江戸後期の1789年であり、人痘法では天然痘に罹った人の膿を乾燥させ粉末にして鼻から注入するため、数%重症化する問題あった。一般に普及するのは牛痘法、即ちワクチンが出島を通して入るまで待たなければならなかった。実際、江戸で公けにワクチン接種が行われるようになったのは1858年である。更に明治以降も数度天然痘の蔓延があった。戦後ワクチン接種が進む中で1955年の完全撲滅まで天然痘の伝播から何と1400年以上の長きに渡って日本人を苦しめてきた。全くなす術がなく、宗教に助けを求めざるを得なかった。しかし神も仏も勝てない。最後に頼ることになったのが牛頭天王でなる。この神、実際は疫病神である。毒を持って毒を制する。将にワクチンに通じるものがある。ワクチンも牛痘由来のDNAウィルスを使う。天然痘から牛が人を救ってくれることを予感したのであろうか?不思議でならない。牛頭天王は明治の国家神道によって駆逐されることになる。名は失せ、天王神社或いは八坂神社(祇園神社)、或いは御霊信仰と結びつき、天神天満宮として残ってる。明治政府の意向に沿い素戔嗚尊菅原道真に取って代わられているが、実際は疫病と戦った牛頭天王を祀っている。天王は天皇のみとなり、見事に消された神である。名残は祭りとして、祇園祭蘇民祭天王祭八王子祭、或いは地名に残ることになる。祇園八王子天王洲と民衆は疫病から救ってくれる神を忘れはしないのである。

ワクチン接種で牛が体から

天然痘3100年前のエジプトのファラオ、ラムセス5世の遺体に見られた痕跡で最初とされる。最大のパンデミック1520年に新大陸としてヨーロッパによって征服される北中米、南米大陸で起きる。日本と同様、免疫がない中米のアステカや南米のインカ両帝国の先住民の人々はなす術ないまま、遂には新大陸で5600万の命が奪われることになる。征服される前のアステカの2520万の人口が107万に、インカは887万が60万に、最終的に95%の先住民の命が失われる。これは全てが天然痘によるものではないが、ヨーロッパからもたらされた疫病が要因であった。天然痘はペストが東から西へ向かったのと違い、西から東に向かう。2つの大きなパンデミックは交錯して世界中に蔓延した。天然痘との戦いは42年前の1980年5月8日WHOの地球上からの天然痘根絶宣言を持って終結を迎える。3000年以上戦った末、ワクチン接種が大きな要因として勝利となる。

戦争がパンデミックを引き起こす

3.インフルエンザ

20世紀を特長付けるパンデミックはインフルエンザであろう。20世紀は世界戦争の世紀であり、ウィルス蔓延の素地を作る世紀でもあった。20世紀初頭に起きた第一次大戦インフルエンザパンデミックを引き起こす。米国は途中参戦にも拘らず、ウィルスに感染した米兵が主戦場のヨーロッパに向かうことにより。参戦していた各国の兵隊にうつし、世界中にインフルエンザウィルスを撒き散らしたと推測されている。中立国であったスペインから悲惨な現状が報道されることにより、スペインかぜと不名誉な名を残すことになる。戦争はインフルエンザの蔓延により兵站が立ち行かなくなり、結果として早く収束することにはなったが、感染による死者は世界中に広がり、累計1億にも達することになる。スペインかぜ1918年6月から1919年4月まで波を作りながら世界中を蹂躙する。その頃ワクチンもなく、なぜ収束したか、今も分からないままだ。

渡り鳥がインフルエンザウィルスを運んでくる

ウィルスは北極圏、南極圏至るところに1千万以上眠っている。毎年ガンカモ渡り鳥が餌と一緒に啄み、せっせと運んでくる。そのフンが鳥インフルエンザを引き起こす。このままでは人間に感染しないが、アヒルを介すことにより変異し、人間にも感染する。では何故、渡り鳥はウィルスに感染し死なないのか?これは数万年の歴史の中で免疫ができているからだ。鳥が6600万年前滅んだ恐竜の進化形であることを思い出させる。人間も数万年というスタンスで考えれば、渡り鳥のように免疫を得られるかもしれない。スペインかぜの収束という謎は一種の免疫が自然に人間に備わったからかもしれない。ただ、今尚、インフルエンザウィルス変異を重ね、収束せず、毎年数万の人の命を奪い続けている。ワクチンを今は毎年打ち続けることにより凌ぐことしかできないのが現状だ。

スペインかぜとマスクで立ち向かう

インフルエンザ禍の歴史は長く、古代エジプトにも記録されているが、この名の通り、季節性一過性流行り病として歴史の中に埋もれていく。スペインかぜというパンデミックにより、初めて怖さが認識された。従来は感冒の一種とされ。かかる時期を耐えれば済んでいた。日本においてもスペインかぜで39万人の命を奪われた。見過ごせなくなった。変異ごとにワクチンを開発せざるを得なくなる。スペインかぜへの対抗策として生まれたのがマスク着用である。医療用を一般人も着けることとなる。これしかなかった。何とも心許なかった。

コロナウィルスを運んでくるコウモリ

4.新型コロナ(COVID-19)

コロナウィルスもインフルエンザウィルス同様、パンデミックを起こす前は単なる感冒として見られていたに過ぎない。江戸時代にも流行り病として記録に残っている。21世紀に入って、中国でのSARS、中東でのMERSの出現により危機感が募ることになるが、今回の新型コロナ感染拡大により最早、従来の見方を一変せざるを得なくなった。怖さは変異の早さと感染力の強さにある。将にパンデミックの申し子のように振る舞う。感染元はいずれもコウモリの可能性が高い。コウモリから動物に感染し、人に感染することとなる。この動物は中間宿主と呼ばれる。SARSがハクビシン、MERSはラクダ。新型コロナはセンザンコウが疑われている。何れにしてもコウモリがインフルエンザの渡り鳥のように飛んで自然界のウィルスを集めてくる。変異が中間宿主、そして人の遺伝子を介して進行する。動物から人へ、人から人へ、地域から地域へ、際限なく変異していくかのようだ。いつごろ、この変異が解け、落ち着くのか、ワクチンを打ちながら、待つしかない。最早宗教に頼る時代は終わった。しかし、変異が次から次へと起こると対応するワクチンととのいたちごっこが始まり、際限なくワクチンの開発が必要になる可能性もある。インフルエンザ同様だ。渡り鳥のように自然抗体が生まれるまで耐えるしかないのか。そして、強化すべきは検疫にある。外から如何に感染者が入らないようにするかである。世界の感染者は4.4億人、死者は既に600万人に達する。日本の感染者は500万人、死者は24000人。第二のインフルエンザにしない努力が必要だ。

新型コロナ感染者数日中比較

2019年9月、武漢の河南海鮮市場近辺での新規発症が見られ、感染拡大は11月、日本への感染は早かった。2020年1月には武漢から東京に帰ってきた邦人に感染が見られ、瞬く間に旅行者を通し日本へと広がったが、パンデミックとはならない。これは早い時期に中国でのパンデミック収束が成功したことと入国における検疫が功を奏した結果である。2003年のSARSの経験が生きた。パンデミックの危機を迎えたのは東京オリンピック開催時期前だ。先月世界中を沸かせた北京冬季オリンピックが終わり、次のパラリンピックを待つばかりだが、東京と北京の違いは新型コロナのパンデミック対策の違いにある。日本はオモテナシの国だ。コロナ対策が甘過ぎた。実際、日本のパンデミックの原因は東京だ。その後収束するが、北京においては全くパンデミックは起きていない。オミクロン株蔓延はデルタ株よりきついはずにも拘らずである。オリンピックを開催するのであれば、開催前から戒厳令を布くくらいの徹底策が必要だった。結果として無用なコロナ蔓延を日本にもたらす結果となる。中国との差が歴然であることを誰も認めようとはしない。オリンピックを開催するということは選手だけではなく、運営側の安全を前提にしなければならない。日本の提唱したバブル形式ピンホールだらけだった。然もこの時期まだ国民全員にワクチン接種がいき渡っていない。全対象者の2割程度に過ぎない。しかも特に危険な若者には全くと言っていいほど辿り着いていなかった。ピンホールだらけのバブル形式の受け入れ体制の中、ワクチンの防御なしでオリンピックを迎えることになった。全く暴挙としか言いようがない。都民ファーストがオリンピックファーストにいつの間にか置き換わった。https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/olympic_paralympic_infection/https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000809571.pdf

一方、北京オリンピックにおけるバブル形式は鋼鉄のバブルだ。抜け道がない。パンデミックを防ぐにはこの手法しかなかったであろう。https://number.bunshun.jp/articles/-/851870?page=3

更に追い打ちをかけたのがオミクロン株の蔓延だ。これも水際対策の不手際だ。内なる外国にしてやられたとしか言いようがない。検疫強化、海外からの渡航者の受け入れを禁止し、国民に不要不急の外出を禁じた中で、昨年12月15日沖縄米軍基地からクラスターが襲ってくる。それが山口岩国基地に感染し、本土攻撃が開始された。将に寝耳に水だ。オミクロン株の蔓延は米国を中心にした欧米・インド中心である。日本は米国からの感染によって始まった。在日米軍は日米地位協定によって、日本の検疫外で、検疫義務から外されている。米国で感染した人間でも自由に日本に入り、外でマスク無しで遊び、飲める訳だ。オミクロン株の世界的蔓延を理由に米国は本件の責任逃れをし、地位協定の見直しに応じることはないし、日本の現政権も地位協定の見直しに及び腰であることに将来の恐怖を覚えるしかない。占領軍優先は敗戦国の宿命である

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/76599.html

3月に入って感染状況
2度のパンデミックは東京と沖縄で起きた

原因があって結果がある。結果から原因を辿ることが重要だ。細菌学の権威ルイ・パスツールが証明した通り、腐敗は菌があって始めて起こるものであると言うこと。市中感染はその前に外からウィルスを持ってきた人間がいたからとなる。検疫をしっかりしていれば起こりえない。何処で検疫逃れが起きたか追及しなければならない。島国は海外からのウィルス伝播を防ぎやすい。今回のパンデミックの原因は例外を許したことにある。オリンピック内なる外国の存在に甘いオモテナシをしたことである。これを肝に銘じ日本人は歩み続けるべきだろう。人類の英知がワクチンを生んだ。体の状態により打てない場合があっても、打てる人間は打つべきであろう、自然抗体が渡り鳥のように生まれるまでは。人も何れ鳥のように飛べる時が来るかもしれない。その時ウィルスは怖くなくなるに違いない。

投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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