ウクライナから平和を叫ぶ

2022年8月6日、日本初公開となったドキュメンタリー「ウクライナから平和を叫ぶ」を見た。東京渋谷円山町、映画館はマニアックな店の3階、1階では、少女たちが踊り唄っていた。日本は平和だ。145の観客席は新型コロナの再蔓延の所為か、空席が目立っていた。閑散とする劇場で。日本で今のウクライナの状況を理解する難しさが分かる。日本から8000km離れたウクライナで、2月24日にロシアの軍事侵攻で始まった戦争は泥沼化し、今も続く。最早半年近く経ち、終わりの見えない戦いにうんざりし、忘れ去られようとしている。戦力の圧倒的優位なロシア軍に対しウクライナ軍の想像を絶する踏ん張りと欧米軍事支援がこの戦争の先を見えなくしていると言えば聞こえはいいが、実際は違う。この映画を理解するにはウクライナの戦争が今に始まったことではないこと、ロシアによる軍事侵攻は当然の成り行きだったことを先ず理解しなければならない。しからばどうすれば平和がウクライナに訪れるのか?このドキュメンタリーは見るものに厳しい課題を与えてくれる。

我々が理解するために、例えを言おう。政権の在り方に不満を持った北海道が日本から離脱し独立を図ろうとする。当然、政府は独立派を反政府勢力とみなし、攻撃する。独立派は自らを守るためロシアに支援を求め、ロシアは応え、守るための戦いを仕掛けてくる。日本はもはや戦場と化す北海道の独立戦争を正とすれば、ロシアの支援は北海道にとっては大きな支援になる。沖縄を仮定すれば、親中を選択し、中国支援の元に独立を求める場合も考えられる。全て大国の思い通りとなる。誤解しては困るが、これはあくまでも仮定であり、露中との言語、文化、歴史的繋がりが無ければこのスキームは無理なことと付け加えておく。更に実際の問題であれば、中国に対する香港、台湾、チベット、新疆ウイグルの独立運動が分かり易い。我々はこの地域を支援するが、中国にとっては反政府勢力となる。将にこれがウクライナルガンスクドネツククリミアになる。三地域は全てロシアとの繋がりがウクライナ以上に深い。この地域の独立運動に対し、黙っていたウクライナが力で抑え込もうとした。これが現大統領の方針転換だった。これを待っていたロシアは軍事侵攻で応えた。両国単位で見ると往々にして見誤るものだ。要はロシアは地域紛争に乗じて軍事侵攻へとつなげていく。この構造を理解しなければならない。

2014年4月17日分離独立派による行政庁舎などの襲撃事件が起きたウクライナ東部の都市を示した図。(c)AFP

チェコ人のカメラマンであり、このドキュメンタリーの監督であるユライ・ムラヴェツ Jr.はソ連崩壊後、独立した国々の現状を知るため各地を訪れた。これが「ウクライナから平和を叫ぶ」の元になる。彼は第三者として、政治的なことは何も言わない。ただ現状を伝える。ドキュメンタリーは2013年ユーロマイダンのシーンから始まる。首都キーウの独立広場における体制側の親露政策否定親EU政策への舵切りを求めたデモ、対する政府側の弾圧を伝える。これがウクライナ内戦へのプロローグとなる。2014年この革命は成功する。遂にウクライナは親EUへとシフトする。親露旧体制側であったルガンスクドネツククリミア共和国の独立宣言は同じ2014年である。内戦が始まる。8年前だ。ロシアの国家戦略である親ロシア地域支援名目の軍事侵攻は、ジョージアへ2008年、アゼルバイジャンへ2020年、ほぼロシア側が勝っている。ウクライナに対しても軍事侵攻は時間の問題だった。ロシアは機の熟するのを待っていたに違いない。ウクライナ侵攻理由がルガンスクドネツク両共和国の要請に応えたものとして国際法違反を逃れていることからも分かる。単なる軍事侵攻ではない。主体は独立宣言をした三カ国なのだ。ウクライナは国内紛争ながら地の利を生かせない理由が分かるだろう。ウクライナはロシアだけでなく内なる外国とも戦っている。

このドキュメンタリーに出てくるのは普通の人々、特別ではない、ただ、共通しているのは平和を望んでいる人々だということだ。平和は戦禍に苦しむ人間が求めるものであり、国以上だ。何故なら彼らは平和が来ない限り命の保証はない。戦争の惨禍を受けるのは寧ろ老人や子供だ。何故なら戦う兵士には武器がある。武器を持たなく、逃げ惑うのは弱い老人や子供だ。国破れて山河ありというが、停戦し、そこに住む人間の意思によって統治のあり方を今一度確認すべきではないのか?国への地域の帰属を争うから平和は永久に戦禍に苦しむ人間にやって来ない。罪がないにもかかわらず、戦争に苦しみ、逃げ場のない老人や子供を先ず救うべきではないのか、兵隊をお互い引き上げ戦争によって苦しんでいる人間の声を聞くべきではないのか。平和は彼らのものだ。このドキュメンタリーを見てそう思わざるを得ない。

奇しくもこの日は広島に原爆が落とされた日だった。77年経っている。しかし、この日を我々は忘れていない。何故か?戦争とは罪なき人々まで殺される恐ろしさを原爆が教えてくれたからだ。戦争を選択するのは国の特権だ。しかし、得てして殺されるのは普通の人々だ。戦争は力の弱いものから命を奪い去っていく。国に戦争のために駆りだされた人々も普通であれば人を殺すこと必要のない生活を送っている。戦争は人に人を殺すことを強いる。殺す相手も普通であれば人を殺すなんて考えも及ばない人である。

https://youtu.be/_d8C4AIFgUg

/https://bb-maybe.jimdofree.com/songs/war-edwin-starr-lyrics/

エドウィン・スターが1969年ベトナム戦争に反対する唄を米国でヒットさせた。戦争と言う歌。紹介する。歌の内容はエリーさんのHPから拝借した。戦争の悲惨さを一番表した曲だろう。グラミー賞を取っている。

戦争、ああ そうだ!何のためになるんだ?良いことなんてひとつもない 戦争、ああそうだ!何のためになるんだ?良いことなんてひとつもない もう一度言おう、みんな!戦争、ああ 気をつけろ!何のためになるんだ?良いことなんてひとつもない 聞いてくれ 戦争を俺は嫌悪する 無垢な命を奪うからさ 戦争で数千人の母親たちが涙を流す 息子たちが戦争に赴き命を落とすのだから だから言っただろ 戦争、ああ ああ神よ 何のためになるんだ? 良いことなんてひとつもない、もう一度言おう  戦争、ああ 主よ、主よ、主よ 何のためになるんだ? 良いことなんてひとつもない聞いてくれ!戦争 それは悲しみ以外の何ものでもない  戦争 葬儀屋だけの友人だ戦争は人類すべての敵 戦争のことを考えると頭がおかしくなる 戦争は若い世代に不安をもたらした 徴兵そして破壊を 死にたい奴がいるか?ああ! 戦争、ああ ああ神よ何のためになるんだ? 何も良いことなんてひとつもない、言ってくれ 戦争、ああ ああ、そうだ何のためになるんだ?何も良いことなんてひとつもない 聞いてくれ戦争 それは悲しみ以外の何ものでもない戦争 そのただひとりの友人は葬儀屋 戦争は多くの若者の夢を打ち砕いた 彼らに障害を残し、冷酷で卑劣な人間にした 戦争をするには人生は短く貴重すぎる 戦争は命を与えることはできない命を奪うことしかできない、ああ!戦争、ああ ああ神よ何のためになるんだ? 良いことなんてひとつもない、さあ言おう戦争、ああ 主よ、主よ、主よ何のためになるんだ? 良いことなんてひとつもない 聞いてくれ 戦争 それは悲しみ以外の何ものでもない 戦争 葬儀屋だけの友人だ 平和、愛、そして理解 教えてくれ、こんなものが入り込む余地は今はもう無いのか? 奴らは自由を守るために戦わなければいけないと言うでも主はもっといい方法があるはずだと知ってるさ 戦争、ああ ああ神よ 何のためになるんだ?教えてくれ、言ってくれ 戦争、ああ ああ神よ 何のためになるんだ? 立ち上がって叫ぶんだ 何のためにもならない

ウクライナの戦争の悲惨さは、優位であろうとなかろうと、戦争が続けば続くほど、国内を疲弊させると言うことだ。確かに軍事侵攻してきたロシアが悪いが、戦場はウクライナ国内だ。今やロシアは東から南へ戦いの場を拡大している。ウクライナ全土が戦場になることが考えられる。戦争前に戻す条件で停戦協定を結ぶべきだ。ルガンスクドネツククリミア共和国の独立を認めるべきだ。最早心が離れた国民は戻って来ない。武器を捨て、荒廃した国土をまず元に戻す、避難した国民を国内に戻し、復興支援を頼むのが先決だろう。戦争は何も生み出さず、国をただ荒廃させるだけなのだから。愛国心よりまずウクライナの子供たちの将来を考えるべきだ。安心して生きられる国を再構築しなければならない

投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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