納豆と味噌は何処から?そして何処へ?

納豆は昔もっと臭かった。食べるとすぐ分かる。納豆臭いとよく言われた。納豆臭いイコール田舎臭い。今でこそ健康食と持ち上げられて皆こぞって食べるようになったが、昔は世間一般で品の良い食べ物とは思われていなかった。我が家では仙台出身の母が納豆汁をよく作ってくれた。これがご飯に掛けて食べるより美味しかった。納豆が味噌汁にとろみやまろやかさを与え、独特の風味を醸し出す。しかも味噌汁が納豆の匂いや糸引きを抑える。一石二鳥。今でも東北の人間は寧ろ納豆汁を食べる。体も暖まる。納豆の季語は冬。テレビの関西系のお笑い番組では「あんな腐ったものよう食べますな」とまで言われたことを思い出す。あの頃、関西人はこの匂いを毛嫌いし食べなかった。露骨にこの匂いをまず嫌がっていた。いつから関西人が食べるようになったのか?匂いばかりか下品と言われた糸の引き具合も抑え、製造工程を残した清潔とは言えない藁の包みを清潔なビニルを納豆に被せた発泡スチロール製パッケージに変え、更にタレ、カラシまで付いて売り出したからに違いない。しかし、納豆の消費は今尚、東北、関東が優位。それほど東日本に定着していることがわかる。そこに納豆伝来の秘密がある。

納豆は大豆のメリットを最大限生かしている食品だ大豆はタンパク質を多く含み、畑の肉大地の黄金と評され、豆の王様。大豆の大の意味は中国語で”大きい”ではなく”本当の”という意味。豆の中の豆。納豆はこの大豆をそのまま発酵させて作られる。味噌や醤油に比べ、製造工程がシンプルでしかも大豆のタンパク質を壊さない。従って栄養価も高くなる。発酵食品なので、整腸、免疫力強化、感染症予防、解毒に効果大。納豆が愛される由縁だ。大豆は4,000年前には東北アジアで栽培されており、2,000年前の弥生時代に朝鮮半島から伝わったと言われている。日本にも大豆と同じ豆が存在したと言われているが、野生種であり、栽培まで至っていない。豆はそのまま保存が効き、煮て食べれば、敢えて納豆を作る必要もなかったろうし、一方、納豆を作る技もなかった。これは大豆を長年食し、生かす方法を知る人間にしかできない術。納豆が大豆栽培と共に西からやってきたとすれば、なぜまず関西人から食べるようにならなかったのか誰がどのように技を伝えたかここに納豆の名に隠された謎がある。

納豆の元と言われる”“が日本史上初めて登場するのは奈良時代の平城宮跡から出土した木簡。「武蔵国男衾郡余戸里大贄一斗 天平八年(736年)十一月」古の納豆の元は奥武蔵でまず作られ、大贄即ち朝廷へ貢物として一斗缶相当が奈良の都に納められたことが分かる。男衾郡高句麗からの渡来人の男衾氏の拓いた地域。男衾の名は今は残っていないが、壬生氏、更に鎌倉殿で一世を風靡した畠山氏が継いでいる。今の埼玉県寄居市がこの地である。この20年前の霊亀二年(716年)武蔵国に高麗郡が設置され、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七カ国の高麗人1,779人を武蔵国へ移したと続日本記に記されている。高麗郡は今の埼玉県日高市、鶴ヶ島市全域と飯能市の中心部、川越市、狭山市、入間市の入間川以西の広大な土地になる。この高麗とは高句麗、668年に唐によって滅ぼされた。高句麗は中国東北部に発する国であり、700年に渡り中国東北部を領した、正に大豆の故郷にあたる。今でこそ東北部は中国最大の穀倉地帯だが、その時代は稲作ができず、粟、キビ、オオムギ等の雑穀が主食だった。渡来した高麗人がを作る技術を持ち、都に納めたと考えるのが筋。渡来人は語らず、物納で応えるのみ。その後もを納めているのは高麗由来の相模国のみである。相模国の高座郡は高句麗からの渡来人が拓いた地である。寒川神社は彼らが氏神を祀っている。”“は高麗から持ってきた技術で作った清麹醤(チョングチャン)を乾燥させたものに違いない。清麹醤(チョングチャン)は大豆を茹で、藁に包み自然発酵させたもの、納豆以上に強烈な匂いを発する。清麹醤の清麹とは麹なしでという意味。発酵に麹を使わない正に自然発酵の醤正に納豆。高句麗は別名を(狛)族の国としていた。神社の犬はここからきている。また後世高句麗は国名を高麗としたので、狛が高麗となった。彼らには自然発酵で大豆から味噌と納豆を作る技術があった。

とは?承平8年(938年)に編纂された和名類聚抄によると、塩 ・醤 ・未醤などの塩梅類として五味を調和するものとあり、正倉院文書の神護景雲4年(770年)や宝亀2年(771年)の記録によれば、末醤(味噌)2.5倍から4倍と高価だったとある。今の納豆とは大違いで寧ろ調味料もしくは漢方の生薬であった。中国では豆豉と呼ぶ。麻婆豆腐の味付けに欠かさない。私も中国に駐在していた時、辛く味付けした豆豉のビン漬け老干媽に随分お世話になった。欠かせない調味料。勿論納豆の匂いはしないし、決して糸も引かない。この元になったと思われる豆豉を20年前に上海の下町の市場で初めて見た。納豆の匂いがするので気が付き、買ってみた。日本円で百円ほどだったと思う。食べてみると臭みを抑えた乾燥納豆だった。私はこの時納豆は四川省で生まれたと思った。何故なら四川料理に醤、豆腐、豆豉は欠かせないものだからだ。この時はまだ納豆と豆腐、私は2つの言葉は取り違いで日本に入ったと思っていた。豆を腐らせたのが豆腐、四角く納めたものが納豆のはず。日本における道理。ややこしいことにこの言葉は標準の中国語と同じ発音。正に中国の言葉。あの頃上海の下町では凄い匂いがいつも漂っていた。屋台で臭豆腐を売っていた。臭豆腐を売りにした食堂もあった。腐った豆が豆腐でも間違いないとその時分かった。しかし、豆腐はいいとして納豆は中国にはない。生の豆豉になる。豆豉が何故日本では納豆になったのか?まず納豆のは納めるの意である。納入、納税、これは中国でも同じ意。その頃、都では豆豉高価買取都に納める豆で食い物ではなかった納豆は納めるもので、食うものではない裏返しの意があったことに気が着く。豆豉を作るためのは中国から手に入れるしかなく、誰もが作れるものではなかった。しかもあの頃の常識で臭いものは腐ったものとして敢えて食すものもいなかった。本能的なもの、見た目もある。動物の糞に見えなくもない。今も大徳寺納豆、浜納豆が作られているが、日本中に広まることはなかった。の漢字が日本に定着しなかった理由もここにある。の字は最早中国で使われていないが、日本に今尚使われ、酒、味噌、醤油作りに大事に使われているではないか。関西人が納豆を食べなかった理由もこれでわかる。然らば、何故東国の人間は納豆を食べるようになったのか?

納豆が東国で食された理由は食べ方にあった。味噌汁に入れ、納豆汁として食べた。韓国でも清麹醤(チョングチャン)は余りの臭さに直接食べない。チゲに入れて食す。テンジャンチゲになる。テンジャンメジュで作る。メジュは正に大豆を自然発酵させたもので、味噌玉にして数年かけて熟成させたもの、を使わない。自家製で、各自の家の軒先に吊るし、自然発酵、熟成を待つ。私が以前信州にいた頃、地元の方に伺った。昔は味噌は買うことはなく自分たちで作ったものだと。手前味噌とはよく言ったものだ。味噌納豆は冬場の重要なタンパク源。寒い地方にとって味噌は命、しかも納豆の臭みを消す。味噌も高句麗の言葉からきている。高句麗味噌に中国では蜜祖の漢字を当てはめていた。満州語ではミスンになる。現代の韓国ではメジュとなる。も然り、高句麗の言葉シレから。チゲは寧ろ新しい言葉になる。正に失われた高句麗満洲の言葉が今日本に生きている。高句麗からの渡来人は正に味噌汁を伝えると同時に清麹醤(チョングクチャン)を伝えた。言わば味噌汁なしでは納豆は食べられなかった。それでは誰が広めたのか?武蔵から相模にかけての坂東武士だ。源氏と結びつき、その勢力を東北まで広げることになる。坂東武士を従えた源義家は後三年の役(1083-89年)で東北遠征を行うことになる。納豆発祥の地を標榜する茨城県水戸秋田県横手では納豆を見たことはなかったであろう。坂東武士は茹でた大豆から納豆作りを見せたであろう。戦うための重要な糧になる。味噌玉は馬に乗せ持っていった。納豆を味噌と一緒に食べ、彼らは冬場を凌ぐ味噌と納豆を初めて得ることになる。彼らはただ知らなかっただけに過ぎない。納豆は兎も角、味噌玉は寧ろ戦国時代を生き残る糧を武将に与えることになる。武田信玄から織田信長、豊臣秀吉そして徳川家康である。彼らが勝ち残った理由は足軽まで味噌玉を与えたということだ。今も山間部で味噌玉は作られている。戦いの時代は終わり、生きるための知恵が味噌玉として残った。重要なことは武田信玄は信州に日本一の味噌の文化を作り、伊達政宗は仙台味噌を残した。徳川家康は三河に八丁味噌を生み出した。偉大な武士とされたのは地方の人々に食の恩恵を施こしたからだ江戸末期になって江戸で醤油が供給できるようになると納豆を温かいご飯に掛けて食べる習慣が生まれる。これは臭みをものともしない江戸っ子気質から。何故ならもっと臭いくさやを食べていた。発酵食品の美味さを熟知していた。江戸っ子は納豆と読んではいたが、チョングクチャングチャグチャとして残したのではないか。日本では韓国語を擬音語で使っている。モグモグペコペコノロノロ等がある。納豆はグチャグチャにかき混ぜてこそ美味しくなる。

清麹醤(チョングチャン)を私が初めて食べたのは上海近郊の昆山であった。4年ほど前になる。昆山は台湾が開発した町だったが、韓国系大企業も進出しており、韓国料理店が数ヶ所あった。日系企業は少なく、日本料理店は少なかった。昆山は日系の衣料関係の工場が昔は進出していたが、人件費の高騰から撤退を余儀なくしていた。その中で面白いことに韓国語と日本語を話す人々が日韓両方を顧客にしていた。彼らは中国の少数民族の朝鮮人である。ほぼ遼寧省吉林省出身だった。朝鮮人遼寧省には25万人、吉林省には120万人住んでいる。この地域は旧満州になる。日本との関係も深い。朝鮮族も満州族も日本語がうまい。同じ言語系列にあたるから不思議はない。日本語も韓国語も中国の東北部が言語学的に起源とナショナルジオグラフィックに発表されたのは昨年である。9000年前の話になる。高句麗発祥の地であることは何か因果を感じる。まして味噌や納豆の発祥の地でもある。彼らの店のメニューは韓国語と日本語で表記されている。清麹醤(チョングチャン)は日本語で納豆汁になっていた。韓国料理に納豆汁があるとはその時知らなかった。納豆は日本独自のものという意識も大きかった。嬉しかった。中国で納豆汁が食べられる。中国人はまず食べないので、日本人向けに特別に作り、提供してくれているのかと思った。感謝の気持ちで一杯になった。全く故郷の味。清麹醤(チョングチャン)とは全く気がつかなかった。キムチと豆腐が味噌と納豆に絡み、とろみそしてまろやかさもあり、豆も納豆そのもの、納豆特有の香りも漂っている。日本の納豆汁より断然美味かった。韓国に何度も出張で行っていたが、食べたことがなかった。昆山では訪ねた店では納豆汁を必ず出していた。今思うと、本当の納豆汁とはこういうものかと納得してしまう。

日中韓、国家間は得手して上手くいかない。国はお互いに意地の張り合いを繰り返す。権力者は常に保身のために大衆に国力を必要以上に誇示しなくてはならない。国内の政治が上手くいかなければ国外の危機を煽る。常套手段。それでもダメなら国内の粛清に及ぶ。権力者が独裁者として国を治められたとしてもたかだか数百年に過ぎない。人類の文化の蓄積は数千年に及ぶ。国の盛衰を超えて人類は文化を蓄積してきた。様々な食や文化の継承は国境を越え、結果的に人類の繁栄に寄与してきた。私は高句麗扶餘城近くの顧客に訪問したことがある。遥か14年前。天津でお会いした朝鮮族の方だった。名も忘れたが、日本語はペラペラだった。今の吉林市、空港に降りると一面のトウモロコシ畑。中国一の生産地。規模が違う。越えると市街地。松花江が流れていた。朝鮮民族共通の聖地白頭山の源から発し、黒竜江省ハルビンからアムール川に注ぎ込み、ロシアに入って、ハバロフスクからオホーツク海に辿り着く。吉林市にはこの川に架かる豊満ダムがある。貯水量約100億t総出力100万kw。堤防は幅1080m・高さ90m、実は私はこの存在を知らなかったのだが、彼が見せに連れて行ってくれた。実に日本が旧満州時代に作った壮大なダムだった。建設後70年が過ぎても風雪に耐え、川の安全を守り、電力を供給し続けたことに驚かされた。彼がもう一ヶ所紹介したのが、高句麗の扶餘城跡だった。ここに朝鮮人の故郷があると言っていた。満州高句麗も今はない。しかし、ダムは尚稼働し、電力の供給、飲用水、農工業用水の確保だけでなく、17万haの灌漑により稲作増産を可能とした。稲作のできなかった高句麗の地に寒冷地に強いジャポニカ米が導入され、今や旧満州の地の米の生産量は日本を凌駕するようにまでなった。中国は稲作において世界一の座に着いている。高句麗の遺跡は朝鮮人に民族の誇りを残している。高句麗が我々に恩恵を与えてくれた大豆は世界の農産品になっている。世界の大豆生産量は年間約3.2億トンに達している。その用途は主に搾油。 国別では、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンの南北アメリカ3国で世界の生産量の約8割を占めるようになった。これからも国の盛衰は繰り返されるが、民衆に求められるものは守られ、残り、広められていくのであろう。あの納豆でさえ世界の市場規模は、2021年から2025年の予測期間中に8.46%の成長率で推移し、13億9,000万米ドルの市場成長が見込まれているという。驚くべきは韓国にも納豆が逆輸入され、健康食品として売られていることだ。日本独自の納豆菌が清麹醤(チョングチャン)の製造工程を短縮し、更に臭みと糸引きを抑える技術が認められたからだろう。食は止まらない。進化し続ける。

参考資料:妄説 納豆の歴史 起源は?発祥は?知られざる納豆の歴史 第6回 日本の発酵大豆とご飯にかける納豆 高座郡と渡来文化 納豆の発祥は日本or中国?豆腐と深い関係があった! 大豆にはどんな歴史があるの? 日本人と大豆~その歴史的変遷から 古くはアジアだけで栽培、食されていた大豆 醤と味噌 古代における「䋬」の復元 日本の納豆に似ている生豆豉について ベストフード「チョングッチャン(清麹醤)」 韓国の調味料チョングッチャン(清麹醤) 韓国料理の味を支える伝統発酵調味料と塩の関係とは? 大豆由来と穀物由来が融合?みそ汁の起源をたどる 韓国と日本のお味噌の違い。 テンジャンへのこだわり セムピョ食品イ・センジェ常務 韓国のテンジャンチゲと日本の味噌汁は同じルーツですか?どちらの起源が先ですか? モンゴル帝国と奇皇后、高麗醤、大豆味噌文化を共有する北東アジア みそは紀元前700年前に誕生。中国誕生説って?  メジュ(味噌玉麹)・木簡…高麗の生活・租税くっきり メジュから作る味噌 「豆味噌」「豆麹」ってなに?ほかの味噌と何が違うの? 戦国武将たちも愛したみそ 「満州国」における豊満水力発電所の建設と戦後の再建2007-05南 龍瑞著                    平成25年度海外農業・貿易事情調査分析事業「中国のコメ生産・消費・輸出状況等(ジャポニカ米を中心に)」2014-03日本総合研究所総合研究部門 【納豆市場2022】フレーバー・ひきわりのトレンド継続 中国向け輸出も好調

投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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