




2023年5月10日朝8時45分。晴天、風なし、サイクリングを楽しむ穏やかな1日が始まる。狭山・境緑道を東へ、向台中央通りから千川上水沿いの道に抜ける。千川通りに入り、環八を超えて新青梅街道に入る。哲学堂を越えたら新目白通りに入り、高田馬場駅に抜ける。後は早稲田通りを直走り。夏目坂を越えたら、夏目漱石が居を構えた山房記念館は間近に迫る。走り慣れた道、大通りを避けながら都心へ向かう道だ。正味24km、約2時間半、ほぼ下り坂。





夏目漱石は明治維新の1年前に生まれ、大正初期に亡くなる。激動の明治を生きた。新宿で生まれ、育ち、新宿で亡くなっている。終の住処になったのが記念館のある早稲田南町の山房、晩年の9年間を過ごすことになる。作家としての名を馳せたのは亡くなるまでの僅か10年間に過ぎない。この間、15の中長編と9の短編を世に残した。代表作は吾輩は猫である、坊つちやん、草枕、三四郎、それから、門、彼岸過迄、こゝろになろう。この記念館は区立、清潔で、広々としていて、拝観料300円が良心的だ。カフェがいいが、ただ週末のみ。漱石山房は戦災で跡形もなくなっているが。戦後、都営住宅が建ち、新宿区が漱石の旧宅として全く新しく記念館を建てた。唯一、無料で入れる庭の猫の墓だけが往時を偲ぶ縁となっている。蔵書は散失せず、遺されていたことが驚かされる。一度は訪れる価値あり。

子規庵は漱石山房記念館から神楽坂を抜け、後楽園を通り、東大前から根津を抜け、鶯谷駅を越えてすぐ。6kmほど、1時間かからない。コロナ禍期間中閉じていた。HP上は再開したようなので満を持して行ってみたら門を閉じている。張り紙には土日のみ開門とのこと。HPをよくチェックしなかったのが不味かった。参った。正岡子規は晩年の8年間をここに寓居した。趣のある建屋で、墨汁一滴、病狀六尺、仰臥漫録がここで書かれたと想像する。胸が痛くなる。35年の人生は余りに短かった。子規庵の訪問に当たっては事前にHPをチェックすることをお薦めする。私は2度空振りしている。時間制約もあるのがややこしい。この庵も戦災で焼失しており、戦後再建されたものだ。しかし、戦前そして明治の雰囲気を蘇らせているのが素晴らしい。子規が亡くなってもはや120年の月日が過ぎ去っている。

子規庵から板橋前野原温泉さやの湯処へ向かう。10kmある。約1時間、王子までは京浜東北線、新幹線に沿って走ることになる。途中、日暮里、西日暮里、田端、上中里、王子駅前を走るので、食事には困らない。日暮里で懐かしい中国手打拉麺馬賊へ。この店は駅前ロータリーに面し、50年近く続いているそれほど大きくはないラーメン屋。昔お世話になった。昔の味と外観、雰囲気は変わらない。値段は高くなったが、時代の流れか、致し方あるまい。頼んだのは馬賊つけ麺1,250円也。麺がもちもち、たれは鰹節が効いている、言わばだし汁で麺に絡みやすい。

前野原温泉さやの湯処は源泉掛け流しの温泉になる。湯は淡い緑白色、鉄の匂い、塩辛い味のする湯だ。露天風呂が気持ちいい。空が広くないのが残念だが、館内の食事処では庭園を楽しめる。風呂上がりに塩辛と生ビール890円也、入館料は平日で900円、土日祝日では1,200円に跳ね上がる。従ってまだ混まない方であろう平日昼間に訪れるのが一番、それでも結構混んでいた。庭がいい。板橋は嘗て荒川沿いに多くの中小の工場が立地していた。この温泉も工場をこの地に有した会社の経営者の家であった。圧延材メーカーの工場もあった。今は海外に市場を広げ、工場も埼玉に移っている。風呂に入り大満足、帰りは環八に沿って走り、富士街道から新青梅街道に戻る。
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