東京では蕎麦汁で饂飩を食べ、大阪では饂飩出汁で蕎麦を食う。どちらも旨い訳ない。 蕎麦は江戸、関西は饂飩。上方落語の「時饂飩」が東京では「時蕎麦」。江戸蕎麦は江戸人の粋。しかし、江戸の昔は蕎麦ではなく饂飩。 うどんvsそば続きを読む “蕎麦と饂飩、つなぐもの”
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醤油に秘められた歴史
投稿を表示 国破れて 山河あり 城春にして 草木深し 時に感じ 花にも涙を濺ぎ 別れを恨み 鳥にも心を驚かす 人類は愚かにも戦争を繰り返してきた。人類の歴史は戦争の歴史でもある。人は自らを守るために国を作る。国を律し秩序続きを読む “醤油に秘められた歴史”
納豆と味噌は何処から?そして何処へ?
納豆は昔もっと臭かった。食べるとすぐ分かる。納豆臭いとよく言われた。納豆臭いイコール田舎臭い。今でこそ健康食と持ち上げられて皆こぞって食べるようになったが、昔は世間一般で品の良い食べ物とは思われていなかった。我が家では仙続きを読む “納豆と味噌は何処から?そして何処へ?”
中華そばのなぜ
55年以上前、ラーメンなぞなかった。あるのは中華そばだった。しかも、中華そばは中華料理店で食べるもの。つまりラーメン屋なるものもなかった。中華そばは中華料理の一つで、けしてメインにはならなかった。まずチャーハン。チャーハ続きを読む “中華そばのなぜ”
ギョウザと満洲
駅前のぎょうざの満洲で餃子をつまみにビール。師走の空の下、忙しそうに街行く人を傍目に眺めながら。日頃何気なく見過ごしていることに呑みながら考えるとハタと気が着く。何故この店の名前は満州ではなく満洲なのか?何故餃子がぎょう続きを読む “ギョウザと満洲”
将棋
私の将棋との出会いは小学生、父と兄に教えてもらった。強くはなかったが、たまにとんでもない手を指すのが嫌われて相手にしてくれなくなった。もう55年、相変わらず変な手を指している。上図は指した将棋の最終局。私が先手、相手が飛続きを読む “将棋”
日記
2010年9月6日(月) 50才になって初めて日記を書こうと思う。何となればガン宣告されたからに他ならない。丸善にてこの日記帳を買う。2,100円也!若林堂にてニーチェの言葉という本を買う。1,785円也!まず”カタチ”続きを読む “日記”
庭を蘇らせる
庭とはもともと農家の軒先の脱穀や籾すりなど農作業を行う作業場のこと。校庭がこの意味に近い。中国では家の庭のことを『院』と言う。宗教的な意味合いからだ。理解できる。ただ、中国の院を日本で個人の庭に持ってくるには烏滸がましい続きを読む “庭を蘇らせる”
窓辺にミューズを
窓は光の通り道。日が昇り、朝が訪れたことも日が暮れ、闇が帳を下ろすことも教える。窓は風の通り道、春は微風を、夏は凪を、秋は涼し風を、冬は凍てつく空気を届ける。窓は景色が通う道、カーテンで縁取られ、風景を切り取る。鳥の鳴き続きを読む “窓辺にミューズを”
花
願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃 人は老いを迎え、死の遠くないことを感じ、人生最後に最良の姿を求める。満開の桜の下、甘い香りに包まれ釈迦の涅槃の如く死を迎えたい。西行法師はこの句の10年後、73才で望み通り続きを読む “花”
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