🌌京都五山の送り火🔥

京都五山の送り火はしめやかに執り行われる。同じ京都の葵祭や祇園祭や時代祭とは違う。隅田川や諏訪や長岡各地で催される華やかな花火大会に比べると線香花火、質素で哀愁が漂う。ただ、厳かで闇に瞬く炎は力強い。午後8時から5分毎に火が入れられ30分、それぞれ、送り火を山に浮き上がらせ、全て終わるのは8時50分。五山全てを見ることができても50分のみ、内10分だけが全ての送り火を眺めることができる、何せ短い。人の一生は儚い真夏の夜の夢であることを告げる。ただ、死者への送り火として見るとこれほど相応しいものはない。お盆に家族の元に降りてきてくれた亡き人の魂が冥府へ戻る別れの時を惜しむ。日本古来のお盆の姿がここにある。

京都五山とは禅宗の名刹とは全く関係ない。送り火の由緒も明確ではない。いつどのようにどうやって始まったのか、書かれたものがない。京都北面の標高の差ほど高くない山々。大文字は如意ヶ嶽(472m)。妙法は松ヶ崎西山(135m)、はその東山(186m)、舟形は西賀茂船山(317m)、左大文字は大文字山(230m)、鳥居形は曼荼羅山(191m)、いずれも中腹で送り火が焚かれる。一番低い山の標高135mは30階建てビルの高さほど。私の泊まった京都駅前の京都タワーが京都一の高さ131mとなる。京都の建物には31mの高さ規制があり、景観が保たれているが、五山を全て見渡すとなると自ずと限界が生じる。五山の送り火は山を守る人々によって、信仰に帰依する心から、親から子へ、子から孫へと引き継がれてきたもの。決して単なる見せ物ではない。第二次世界大戦中を除き、台風や地震やコロナの災禍を乗り越え、少なくとも400年以上毎年行われてきたことに驚かされる。

京都五山送り火は日本古来のお盆の姿を守ってきた

送り火の開催は8月16日と決まっている。休日平日問わずとなる。勤めているとなかなかこの日を休むことはできない。またハイシーズンで旅費代も高くなる。高くともホテルもとれない。この僅か50分のためにこの時期無茶苦茶暑い京都に高い旅費をかけ、休みを取り、向かうのも気が引けた。しかも五山全てを見る場所を確保するのさえ難しい。この時期、東京-京都往復は新幹線で28,340円になる。京都タワーホテル宿泊費20,980円(五山送り火鑑賞立見チケット付き・朝食込み)、合わせ、大人2人で98,640円かかる。実際、この費用を安く上げるため、今回、JR東海ツアーズのツアーに3月末応募した。大人2人で74,600円也(朝食込み)。但し、これには五山送り火鑑賞チケットが付いていない。結局、旅の1ヶ月前に京都タワースカイラウンジ空(地上45m)に予約を入れた。なんと2人で30,000円(食事+飲み放題付き)也。京の夜で2人で飲んで食ったら20,000円は下るまいと思い、決めてしまった。結局10万円を越えることになる。致し方あるまい。私がこの五山送り火をどうしても見たいと思ったのは単に物見遊山の気持ちからだけではない。これは幼い頃に読んだ漫画に理由がある。遥か51年前になる。

私が小学生だった頃、少年漫画週刊誌の創成期だった。サンデー、マガジン、ジャンプ、チャンピオン、どれをとっても面白く、親から怒られながら、毎週読んでいた。とりわけ好きだったのはマガジンで、ちばてつや川崎のぼる楳図かずおジョージ秋山松本零士の漫画はお気に入りだった。明日のジョー、まことちゃん、銭ゲバ、男おいどん、鉄の墓標等。自分も漫画家になれないか、デザイン学校に漫画を送っていた時期もあった。少年時代の夢は夢として儚く消えていったが。思い出しただけで涙が出るのが、川崎のぼるの「浪人丹兵衛絶命」だった。主人公丹兵衛を通して自分の生きる価値がどこにあるのか?死にゆくものに対して一瞬の輝きを残す意味を我々に問うものだった。正に大文字山の送り火の意味を問うものだった。

丹兵衛三吉という身寄りのない少年と知り合うところで始まる。しかし三吉は労咳を煩っていて、余命幾ばくもないことを丹兵衛は知る。妻と子に先立たれていた丹兵衛は自分の家に三吉を引き取り、看病を続ける。

ある日三吉丹兵衛の家から挑める如意ケ岳(大文字山)を見て、親子3人で見た「大文字の送り火」の思い出を語り、もう一度見たいと願う。そしてその年の「大文字の送り火」を見ることだけを楽しみに、病と闘うのだった。

その年の「大文字の送り火」は、台風のために中止になることが決定する。それを知った丹兵衛は、武士の魂である刀と鎧兜を売り払い、薪と油と馬を購入し、風雨の中ひとり「大文字の送り火」を決行し、炎の中で絶命する。

今年3月に私は母を見送った。死に向う床で精一杯、感謝の気持ちを伝えた。母は涙で応えてくれた。この夏が新盆。母を家に迎え、五山送り火を通して冥府に帰す。そんな想いで眺めた。静かに古女房と酒を呑みながら。台風の影響で、新幹線が7時間も遅れ、東京駅のホームを5時間座っては彷徨い、それでも一番早く出発する新幹線に飛び乗る。京都駅に着いたのは送り火の始まる1時間前、なんとか間に合った。古女房との生活も30年になる。何もできなかったが、なんとかここまで生きてきた。子供もなんとか学校だけは卒業させた。後20年、金婚式を迎えることを京で誓った。これはお互いの両親ができなかったことだ。天国でお互いの両親は待っているが、今暫く時間を頂戴したい。両親とまた酒を酌み交わすにはまだ早いと思っている。

関東人は大文字焼きと言うが、これは箱根の大文字焼きから来ている。京都では大文字の送り火と言う。比叡山の焼き討ちを思い起こすためという。五山送り火は正に宗教行事であり、厳かに祈り、亡き人を思い冥府に向かう姿を炎の中に見る、それぞれの山を守る民衆の思いが送り火となる。花火大会の原点に位置し、見るものの心により重く強く響く力を持つ。浪人丹兵衛三吉の最後の時に大文字の送り火を自らの命を捨ててまで見せた気持ちがひしひしと伝わってくる。

投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。