箸🥢と麺🍜

は英語でchop sticks。切り分ける細い棒。フランス語ではBaguette🥖? 元々、枝や棒のことらしいが、食べるためのものであって食べるものではないとツッコミを入れたくなる。欧米人が東アジアの民が箸を使って食べるのを初めて見たときは驚きだったであろう。単なる細い棒が2本でちょっとしたナイフとフォークの役割をする。しかも片手のみで扱う。一種のAsian magic。実際、中国では、4000年前には世界最古のフォークがあったが、およそ3500年前には使われていたに取って代わられ、2000年前に食卓から消えている。一方、ナイフはキッチンナイフであっても所詮は刀。刀は凶器に転じる。従って、食卓には並ばない。食卓にナイフは今でも中国では嫌われている。これはレストランであってもだ。以前は飛行機内にバターナイフであっても置いていないことに驚いたものだ。酒席が荒れることを中国人は知っている。ただ、箸で食事を済ませるには、刃物を使った下拵えが全て厨房で行われなければならない。箸には手間がついて回る。使い熟すのも手間なら、使うまでも手間但し、刃物は厨房に引っ込み、箸によって食卓に平和が訪れた。箸出現前には既にスプーンがあった。箸は寧ろスプーンの補助だった。中国では7000年前にはスプーンを使っており、古代エジプトでも4500年前には使っている。韓国も然り。スプーンに箸、たまにハサミになる。しかし、何故か?日本ではスプーンが省かれ、箸のみになった。手でもスプーンでもできない芸当が箸にはあった。細いものを掴み、熱い汁から取り出し、または浸し、即、口に運べること、麺を美味しく食べられることだった。箸があって麺を生かし、麺があったからこそ箸は必要となった

中国でこの”“の漢字は既に一般的には使われていない。宗教的祭祀・儀礼に使われていた祭具で、殷の遺跡に残る『青銅器製の箸』は神に捧げる供物の食事を俗塵で汚さない神聖・清浄(俗な汚穢を寄せつけない)なものであった。(前202年~後220年)の時代には食具としてのをセットにして使うようになる。箸は筷子(クワイズ)になる。箸が筷子になったのは祭具から食具への転換。とは竹に快い。使いやすい食具の意になる。朝鮮の新羅(356年~935年)は、中国から伝わった金属製のがそのままセットとして使われ、匙箸(スジョ)として今の朝鮮にも生きている。箸が日本に伝わったのは大陸から渡来人が大量に移動してきた弥生時代末期、その頃の日本では手で食べるのが基本で、も要らなかった。青銅も容易に手に入らない。竹製のトングを祭具としてまず受け入れた。魏志倭人伝にはその時代の日本人は手食と記している。🍙や🍣に手食の名残がある。世界の4割の人は今も素手で食べている。ヒンズー教やイスラム教では手が最も清浄なため、箸やフォークやスプーンやナイフを使わない。日本においても礼器としてのみ箸が扱われるのは自然。奈良時代に入り、新羅から金属の箸と匙が入り、寺や宮中で使われるようになるが、一般に普及したのは平安時代。中国由来の仏式作法が食生活まで浸透した。箸は日本らしく金属製から木製へ変換される。木製であれば、手に入りやすく、加工が簡単で、使いやすさが追求できる。鎌倉時代に入ると禅宗が修行と同様にを重視し、から帰った僧侶はを舞台に、精進料理を箸で食べることを当たり前にした。仏式精進料理は手で食べられず、木のお椀を手に持ち、箸で食べることとした。中国由来の箸を日本は継承し、更に生かす独自の食事スタイルを確立していく

日本では、匙は鎌倉時代以降、食卓から消える。匙は薬を調合するためのみ使われる。匙を投げるとは薬がもはや効かない意が如実に表している。中国から茶器として伝わった陶器の茶碗がご飯茶碗になり、味噌汁は木製のお椀で飲む。による食生活が匙を必要としなくした。茶碗を口元に、箸で掻き込めば、匙はいらない。日本では麺を啜って食べる。これは匙に頼らず、お椀から直接食べるための知恵から始まったもの。正に匙を投げた。箸は日本で進化する。コンパクトに。更に先が細く、尖って、細かいものを掴み、切り分けることができるようになる。箸で何でも熟さなければならないからこうなった。中国での箸の進化は取り箸への変換。皆で一つの大鍋、大皿の料理を共有し、直箸でつついて食べることで家族の一体感をもたらす。必然的に箸は長くなった。従って細かい作業には不向き。但し、西方の麺を食す民に一番に箸が受け入れられたことは間違いない。朝鮮では古来の中国の歴史を継ぎ、スプーンがメインで、箸はツマミを取り、スプーンの補助になる。中国、朝鮮でもお椀を直接口に持っていくことは基本的にない。但し、面白いことに朝鮮で冷麺だけはお椀から直接スープを飲んでいいことになっている。麺は即ち箸と共にあった冷麺は日本に来て蕎麦切りになる。

4,000年前に巨大地震と河川氾濫に襲われ、数メートルの土砂に埋もれた中国青海省の喇家遺跡からで作られたの化石が21年前に発見された。その時代には既に西方より小麦粉は伝わっており、麺の製法も一緒に伝播されたのだろうか?しかし、中国由来の主食の粟と稷で麺が作られている。この時代に中国以外で麺状のものが発見されていない。従って、麺は中国で生まれたことになる。但し、中国では麺は寧ろ小麦粉を指す。麺の漢字は麦と面で成り立っている。麦で面の形状のパイを作って食べるからこの漢字ができたと推測できる。確かに中国西安で食べた羊肉泡馍は麺料理の元に違いない。注文すると固いパイと空のどんぶりが出されてくる。ひたすら自分で千切ってどんぶりに入れて服務員に返す、すると厨房で熱い羊の肉を入れたスープを入れて返してくる。これをスプーンで食べるのだが、麺の元はこれに違いないと思わせる風味がする。パイを千切れば千切るほど汁が染み込み柔らかくなり、食べ易くなる。個人の好みにより千切るだけ千切りなさいと厨房は言っているのだ。小麦粉には粟や稗にはないグルテンが含まれ、独特の粘り気がパンや麺を生み出す。イタリアのパスタにも通じる。パスタもけして麺状のものを指さない。パスタも面と同じ小麦を練ったものになる。英語のペイスト(paste)、仏語のパテ(pate)に通じる。麺状にするというは別の次元で、具材を練り、打ち、或いは切り、細く伸ばす。具材は汁に絡み、染み込み、美味しくなり、食べ易くなりながら消化しやすくもなり、喉越しも楽しめる。更に乾燥させやすく、保存に向くこうして麺やパスタが愛されるようになった。ただ、食べ方に問題がある。熱い汁に絡め、喉越しを楽しもうとすると、手食には向かなくなる。どうやって食せばいいのか?中国には箸がある。ここに辿り着くには500年の年月が必要だった。箸は正に聖なる食具となった。イタリアにはフォークがある。パスタを食べられる4本歯のフォークが考えだされたのは230年前、パスタがイタリアに生まれてから670年の年月が必要だった。一般的な弓なり型のフォークは、18世紀中頃にドイツで発明された。そして4本歯のフォークが一般的に使われるようになるのは、19世紀初頭である。は、と新しいフォークが生まれて初めて多くの民が愛するようになった。朝鮮の冷麺、日本の蕎麦、ベトナムのフォー、タイのバミーは箸で食す。日本で生まれたカップヌードルを欧米人はフォークで食べる。多くの西欧人はラーメンをフォークで食べる。正に食具の進化が麺の文化を塗り変えている。

麺食のミッシングリンクがある。麺の元になる小麦10,000年前にはメソポタミアで栽培されるようになり、ヨーロッパには5,000年前、中国へは4,000年前に伝播する。一方、4,000年前中国で生まれた麺がヨーロッパにはイタリアにのみ乾麺として900年前に出現する。日本で言うところのスパゲティー。シルクロード、中央アジアで食されるラグマンから中国からの麺食文化のリンクが途切れる。南アジア、中東には麺食がない。一説にはマルコ・ポーロが船で中国からイタリアへ持ってきたと言われているが、それ以前にシチリアに伝わっていたとことがわかった。出どころはやはりアラブだった。失われた麺イットリーア(itriyyah)が見つかる。正に糸のような麺で、乾燥麺としてアラブ人は船旅に携帯していた。カップラーメン発案の元。スリランカにイディアッパーとして手食の麺を残すが、けして食べやすそうに見えない。なぜ手食文化の中で麺食が失われたか?麺は根本的に手食に向かないと言うこと。手間暇かけて作っても、食べるにも手間では消えざるを得ない。小麦粉はパンとして食べても充分美味しいし、作る手間が省ける。ラグマンは日本の饂飩と同じ、鹹水が入る以前のラーメンの姿、麺の原型になる。これを食べているのは手食を聖とする敬虔なるムスリム。しかし、中国に住むムスリムは箸で食べ、旧ソ連に住むムスリムはフォークで食す。手では食べない。中国のラーメンのオリジナル蘭州拉麺を作るのはムスリムだが、彼らも使うのは箸。ムスリム最大の人口を誇るインドネシアでも麺食が増えたが、フォーク或いは箸で食している。ヒンズー教徒はどうか?基本は英国の影響から麺類はフォークで食している。日本人もカレーはスプーンで食べるように。食の文化は宗教、慣習をも超ええる。

麺をこの世に送り出した人間は誰なのか?何故麺を作ることが頭に浮かんだのか?最初の麺はどのように作られたのか?箸を編み出したのは誰なのか?何故箸を作ることが頭に浮かんだのか?中国の歴史は不思議に満ちている。中国の四大発明は、紙・印刷・火薬・羅針盤になるが、誰がどうやってと言うことがやはりはっきりしていない。中国人から言わせれば、四大発明はシルクロードがもたらした東西の技術的交流を強調するものにすぎず、他の中国の発明のほうがおそらくより高度で中国文明にとってより影響力が大きかった。中国文明は深淵で、幅広く、捉まえ所がない。個々の文明を包括し、吸収し、長江の流れの如く、揚々と押し流していく。箸と麺について正にその通りだ。

 

参考資料:日本の箸文化はどのように根付いたのか? 箸の歴史と文化 なぜ中国人は2000年前にフォークを捨てて箸を選んだのでしょうか? アジアの箸食文化 中国の箸の歴史と日本との違い 箸と匙 お箸の歴史はいつから? 箸と匙 箸について 箸を使う お箸の歴史 箸と匙 古代日本への箸(はし)の伝来:中国と日本の箸文化 コメと匙、麺と箸 伝来の道 パスタのルーツは中国か? ラーメンのルーツはウイグル料理にあり?! 中国における箸の出現と普及 音を立てるのは日本文化? パスタの歴史 パスタの謎 麺食文化のミッシング・リンクをさぐる 小麦の道 図解でわかる 14歳から知る食べ物と人類の1万年史 ラグマン

投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。