ロウバイ

我が家のロウバイが満開。春を呼ぶ花として花言葉は「先導」。早春を彩る香り貴き花。甘い香りから英語では「Winter Sweet」。同じく香水のような沈丁花に先立ち一早く咲く姿が愛おしい。中国原産のクスノキ目の木で正確に言うと梅ではないが、華やかに花が咲く姿は梅のようだ。日本では蝋梅。蝋のような透き通る柔らかい花を咲かせる。中国では臘梅。中国で云う臘月の旧暦12月に花が咲く。12月と言うと年末のイメージだが、寧ろ旧年と新年をつなぐとき。けして終わりとはしない。臘祭は収穫祭。臘八粥はその年の豊作を祝う八宝粥。臘月は新年に向けたプロローグ。今中国ではこの臘月を迎えている。ロウバイは私にとっても日本と中国をつなぐ花だ。

2009年米国に発したリーマンショックが中国ビジネスにも大打撃を与えていたころ私は開き直って蘇州の庭園を廻っていた。日本の本社はもう中国の子会社まで支え切れなくなっていた。私も日本に呼び戻されそうになっていた。逆らって中国に居座った。何せ金が来ない。払えない。売れない。正に三重苦。もう気が着けば旧正月が近い、蘇州も寒かったが、新春を迎える喜びに街中は溢れていた。正月は中国にとって一番大切な祝いごとだった。休日が少ない中国人が唯一長く休めたのが正月。そして豊かさを家族と共有する。家族と一緒に新年を祝う。正月を前に最高に賑わう街を散策し、何気なく庭園に入る。考えてみれば旧正月は日本にいつも帰っていたのでこの寒空の下庭園に入った記憶がない。庭園の冬は人もなく物悲しくて入る気もなかった。ふと気が着いたのが、甘く蕩けるような香り、そして冬空に映える淡いレモン色の花であった。名前を知らない。しかしどこかで見た。そうだ!日本のうちのお隣さんの玄関前に植えてある木だ。うちにいる女房に早速携帯で何という木か聞いてみた。案の定「知らない」と素っ気ない返事。日本ではあまり見ない木。中国人に聞く。”腊梅”と書いた。この”腊”に引っ掛かった。燻製だ。燻製されたような梅?腊とは元々生贄を供え祀ることである。生贄が燻製に変わった。祀りは供物を収穫に対する神へのお礼として供える12月につながった。”腊月”は12月、旧暦12月に咲くのがロウバイである。

中国は香りの国だ、沈丁花から梅、花海棠、梔子(クチナシ)、クスノキ、木犀、年中木花の香りが漂っている。お茶もそうだが、まず香りを重視する。美味しいを中国語では”好香”と言う。木々の中でもクスノキは凄い、自転車で走っているとこの甘い香りに癒される。花ではない木そのものから漂ってくるから凄い。街路樹がクスノキであればずっとこの香に包まれて走ることになる。中国語で”香樟”と言う。樟脳の元と言えばわかってもらえるだろう。木犀は日本と違い黄色ではない、白、金木犀ではなく銀木犀になる。香りは一緒。芳しい香りだ。実は中国の桜も甘い香り、しかも鼻の先ほどの低い位置に咲く。日本のように見上げる高さに桜は咲かない。桜も実際は中国原産である。最早中国の桜は日本では山桜に見るだけだ。春を迎えた天津の花海棠の桜の様な美しさと香りも思い出に残る。遠い北国に春が来たんだと感じる。尚、沈丁花は朝鮮経由で来たのか、花を”げ”と言うのは韓国語、ムクゲ、レンゲもそうだ。中国では春になると丁子の花を飾る。沈丁花は香木の沈香と同じ高貴な香りを漂わせる。全て中国由来の花々だ。

中国での仕事を終え日本に帰ってきた。私の中に中国の思い出は”香り”として残っていた。香りを大切にしたい。先ず、香りのある花木を求め日本の野山、公園を歩いた。そして庭に植えていくことにした。梅、金木犀は元より庭の木。クスノキはまず無理であったが、沈丁花から花海棠、梔子を植えた。ロウバイは何処に。答えは秩父宝登山にあった。みごと!秩父鉄道長瀞駅から直接登れる標高497mの。 山頂一帯、約15,000平方メートル、3,000本のロウバイの花が咲き乱れる。ロープウェイの駅前で売っていた苗木を買った。もう8年前。毎年大きくなり見事な花を咲かせるようになった。裏切らない花。宝登山には東京に拠点を構えている時はほぼ毎年登っている。これからも健康でいる限り毎春登り続けるであろう。そのくらい魅力ある山である。登るのが簡単だからなのだが。頂上で見上げる空は何処までも青く、空気は清廉。遠く眺める秩父の山並みも美しい。眼下のロウバイはレモンイエローの花を青い空に映えさせ、芳しい香りを風に漂わせる。因みに宝登山のロウバイを植えたのは秩父鉄道の駅員と聞く。観光の目玉として山をロウバイで彩りたかったと聞く。いい話だ。

毎年宝登山のロウバイの咲く時期は異なる。2月中旬を基本に考えればいい。宝登山のロウバイの開花時期は毎年異なる。開花状況は前もって下記のサイトで確認する必要がある。さもないと満開まで何度も登らなければならなくなる。私はめでたく瘋癲になったのでロウバイが満開になった天気の良い日に登るつもりだ。因みに私の遺言書に骨を粉にしてそっと宝登山の頂上に捲いて欲しいと書いてある。他にも庭、蘇州の橋から京杭運河にもと頼んでいるが、死んでしまった本人には分からないので、遺族がしてくれるかは疑問。女房は一度一緒に宝登山に登って膝を痛め、もう二度と行かないと言っている。大した山のうちには入らないのだが…ロープウェイで登ってもいける。

宝登山ロウバイ園

登って一番は宝登山神社奥宮の売店。焚火を囲んで80才過ぎて尚元気なおばあちゃんから頂く甘酒と焼きミカン、寒い中登って来て冷え切った体があっと言う間に暖かくなる瞬間だ。是非味わいたい。おばあちゃん今年もお元気だろうか。またお会いするのが楽しみだ。

祈り

皆川達夫さんが今年4月に亡くなられた。その1月前までNHKFMの『音楽の泉』のDJをされていた。92才であった。私が皆川達夫さんを初めて知ったのは中学のとき。やはりNHKFM「バロック音楽のたのしみ」朝6時、紹介される曲はいつも心に響き、崇高な光を感じ気持ちよく目が覚めた。wikipediaによると1965年から10年間担当されていたそうだ。55年前からDJをされていた。なんと長いことか。

皆川さんの凄いところはバロック音楽に造詣が深いばかりでなく、日本の隠れキリシタンの讃美歌「オラショ」の原曲をイタリアからスペインに探し求めたところにある。長崎・天草の隠れキリシタンは2018年に世界遺産に登録された。皆川さんの思いは世界に通じた。隠れキリシタンの歴史は豊臣の時代から2世紀半に及ぶ。島原の乱以降の厳しい迫害から逃れ、隠れ、故郷を或いは捨て、踏み絵の試練も何度も乗り越えた。明治以降も迫害は続いた。明治憲法が発令するまで耐えた。宗教を捨てず、守り続けた。祈りは通じた。彼らのオラショ「ぐるりようざ」と原曲「Gloriosa Domina」を聞き比べて欲しい。祈りの気持ちは通じる。

祈りは救いを求める声である。讃美歌はだから心に響く。特にグレゴリア聖歌(キリエエレイソン)はいい。聞いているうちに心が落ち着いてくる。これは旋律の美しさは勿論、コーラスからくる心地よさにあるのではないだろうか?言葉は分らないのだが。オラショを歌う人々に歌の意味はもう伝わっていない、口から口にただ歌詞と曲のみ伝わってきたという。歌とは心情の発露である。

西洋かぶれと笑われるかもしれない。しかし、美しいものに触れることを否定できるだろうか?何故世界の人々にクリスマスは受け入れられているのか、これは普遍的な愛を慈しむ心があるからではないか、私は30年以上前、五島列島を一人、教会を巡ったことがある。隠れキリシタンは迫害の歴史から解放されたとき教会を作り上げた。私は復活の喜びをこの教会群から感じることができた。ギリシャの島々の教会、そしてサンピエトロ教会、何故、崇高な中に愛を感じることができるのであろうか?

今日はクリスマス。インターネットから流れる聖歌を聞きながら一人過ごしている。皆川達夫さんのラジオが私の音楽の原点だ。ただ感謝の一言だ。日本中に私のような人間がたくさんいるだろう。しかし、45年前にバロック音楽の番組が何故花開いたのか、人々が求めていたものがここにあった、精神の救いの求めに応じてくれる音楽がここにあった。既に同じ師の服部幸三氏もいらっしゃらない。師は去るとも音楽は残る。これが讃美歌の意味。オラショと同様に愛を求める人々に讃美歌は永遠に伝わっていく。人々の祈りの音楽、これが讃美歌。

ジョンが遺したもの

かつて住んでいた街の小さな喫茶店、古い書店が数年前から店先で開いている。全てが変わって何も思い出す縁は残っていないが、妙に懐かしい。師走、冬晴れ、木枯らしが冷たい。コロナに翻弄された2020年ももう終わる。珈琲一杯。ふと目が留まる。若い女性が白いバックを肩に下げている。黒い縁取りの中にモノクロのジョンとヨーコが此方を見つめる写真がプリントされている。全ては過ぎ去っている。しかし変わらないものがある。ジョンの瞳に今も映るのは…

John&Yoko

ジョンがニューヨークで殺されて40年。漠然と思い出された。1980年12月8日、ジョンは25才の見知らぬ男から撃たれ、5発の銃弾が全身の8割の血液を奪い、失血性ショックが彼の命に終止符を打った。私は学生だった。悲しかったのか、悔しかったのか、私は余りに若く、居た堪れない気持ちから喪に服した記憶。彼は何故殺されなければならなかったのか?しかも見知らぬ男に。彼の人生は呆気なく一瞬で閉じた。彼の人生を想う。

若い女性は知らないだろう、ジョンの生きた時代を。彼が生きたのはたった40年。今も生きていれば80才。私にとってはまだ栄光のビートルズの一人、彼の生き方も歌も曲も憧れた。何故若い女性がジョンを?不躾に聞いてみた。彼女は嬉しそうに”YES”のペンダントを見せてくれた。そう彼女にとってジョンではない今も生きるオノ・ヨーコが魅力なのだ。この”YES”はジョンとヨーコを結びつけた、1966年ロンドンでオノ・ヨーコが開いた個展、天井に小さく書いた”YES”、脚立に上がり虫眼鏡で見つける。『自ら動いて初めて潜在的な自己の肯定を得る。』ジョンはヨーコに惚れ、妻と子を捨てた。ジョンにとってヨーコとの生活が全て、また素晴らしい曲を世に送り出すことができた。

私はといえば過ぎ去った40年をどう生きてきたのか?生きるために生きてきた。ただ平凡に、好きなことは好きなだけしたが、家族を捨てることはなかった。当たり前の人生を当たり前に。ジョンが言いたかった、やりたかったことを何もできなかった。”Power to the People” “Give Peace the Chance” しかし、心の何処かにある。それはジョンが遺したものだ。心の片隅に。若い女性がジョンとヨーコに触れた六本木の展示会、私も行くことにした。何かが見つかるかもしれない。何かが分かるかもしれない。変わっていいものと変わらなければならないもの。新型コロナウィルスの蔓延で、都心に向かうのは心が引けるのだが。

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もうすぐクリスマス。若い頃の燥ぐような気持ちはにはなれない、ただ本来の神聖な”とき”を静かに祝う気持ちが強くなっている。この時、無償にジョンの唄を聞きたくなる。”Happy Xmas (War Is Over)”。今も通じる人間の無力感に対する変革の希望を感じるからだ。

クリスマス(争いは終わる)、弱い人も強い人も(もし望めば)金持ちも貧乏人も(争いは終わる)、世界は間違っている(今)ハッピー・クリスマス(争いは終わる)、黒人も白人も(もし望めば)黄色人種も赤色人種も(争いは終わる)、争いをやめよう(今)

彼の唄”Imagine”は我々の永遠に解決できない問題を訴えている。

想像してごらん 天国なんて無いんだと ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし 僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんながただ今を生きているって…
 
想像してごらん 国なんて無いんだと そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんながただ平和に生きているって…
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
 
想像してごらん 何も所有しないって あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い 人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが世界を分かち合うんだって…
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ (和訳 Akihiro Oba)

ビートルズが解散したのは1970年、個々の道を4人のメンバーは歩きだした。1980年ジョンが亡くなり、最早ビートルズの再結成は不可能となった。ところが1995年四半世紀ぶりに新曲をリリースした。”Free as a Bird”、ポール、ジョージ、リンゴが亡きジョンの未完成のデモテープを元に見事に完成させた。素晴らしいこの曲のMVはビートルズを今に蘇らせた。これが最後のビートルズになったのではないか。ジョージもこの6年後に58才で癌により亡くなっている。

六本木の展示会に行ってきた。入場料2,500円也。この高さ、たかが展示会だろ。しかし驚いた、狭い会場に老いも若きも男性も女性も平日にも拘らず一杯来ているではないか!行った感想、見るべきだ。心に残る『価値』が違う。来年1月11日までやっている。来ているのは、私のように感傷に浸りたくて来た過去の人間だけではない。今も彼らの人生に共感し、問題意識を持ち、『答え』を求める人々だ。親子で、夫婦で、或いは恋人同士で、”Double Fantasy” 彼らが戦ったのは平和や真実の愛だけを求めてだけではない。人種、性、宗教、階級に対する偏見、差別、抑圧に対するものであった。私が図らずも涙しそうになったのは、ジョンがTV司会者にヨーコの前で、ヨーコのことを話したシーンだった。報道に対してだ。ヨーコをはっきり醜いと書く、しかも日本人、旧敵国だ、寝首を取られるのではないかとまで。確かに英国の誇りであるビートルズのメンバーが英国の女性を捨て、どこの馬の骨とも分からぬ日本人と結婚するとは、なのだろう。あの頃、私もそう思ったことを白状しよう。自分に中にある白人至上主義、有色人種としての劣等感、敗戦国としての悲しみ、民族差別、美に対する偏見、考えさせられた。場内で流れる”Happy Xmas (War Is Over)” “Imagine” に合わせ、来た人々が一緒に歌い出したことに彼は決して死んでいないんだと充分思わされた。実際ジョンの葬式は挙げられていない。ヨーコは挙げていない。ジョンは愛する人々の心に永遠に生き続けるんだ。私の心にも。あらゆる差別・偏見・嘲笑・抑圧がなくなるまで。

侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館

2007年12月13日、侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館はリニュアールされた。13年前である。私はこの日初めて訪ねた。ずっとリニューアルのため閉館していたからである。初めて南京に来た時は中国人の部下と顧客訪問で来た。その時、顧客対応を巡って部下を叱った。その時彼は私に言った。『ここは南京だ』ただで済まないような言いっぷりだったことを憶えている。記念館再開の年、南京に日本軍が占領した日から丁度70年であった。天気は良く、青い空の元、凄い人だった。私はただ圧倒されるばかりだった。30万人の犠牲者の文字が大きく張り出され、日本軍の怖さを知るに十分であった。日本語の説明も自然であった。説明資料も日本語があり、日本人の支援があったことを窺わせていた。来ている日本人は私だけだろうか?様子を見ていたが、最後まで分からなかった。反日運動の折り上海にいたが、黙っていれば分からないと部下に言われたが、その通り黙って見て回った。中国人の列は永遠に続くかのようだった。

私はアジアを韓国からインドネシアまで隈なく歩いていたので、日本軍の進駐、殺戮の話、残虐な面を嫌と言うほど聞いていた。謝れば良いと何度も言われた。因みに、私の義務学校での勉強では、戦争の話は米国との太平洋戦争が始まりで、1941年12月8日の真珠湾攻撃で1945年8月15日の天皇の玉音放送で終わりを告げている。しかし実際、1937年7月7日盧溝橋事件から中国の宣戦布告の無いまま戦争は始まっており、北京から上海、広州まで永遠と1945年9月9日南京における降伏調印をするまで戦争は終わらなかった。もっと言えば1931年9月18日の柳条湖事件から始まる満州事変まで日中戦争は遡ることになる。よくも14年も戦争をしていたものだ。ドイツがロシアに攻め入って戦争に負けたように、日本も米国に負けなくとも、いずれ中国に負けるだろうと予測していた軍人がいたと聞いている。実際、重慶の陥落はできなかった。私も中国の武漢から重慶まで営業に行っているが、よくぞここまで日本軍が攻めたものだと感心するぐらい遠い。上海から重慶は上海から東京とほぼ同じ距離になる。武漢だって遠い。東京から岡山くらいある。台湾からとしてもゼロ戦は良くも往復したとこれにも感心させられた。因みにゼロ戦の名前を一躍世界的に有名にしたのは日中戦争であって、日米戦争ではない。要は日本の戦争は1941年の遥か10年前に始まっていた。疲弊するはず。市街地無差別爆撃と言うとB29を日本人は思い出すが、既に日本軍は中国の南昌、南京、広徳、杭州で各都市で既に行っている。日本はゼロ戦により中国の制空権を握った。しかし結果的に勝つことはできなかった。これが真実だ。北京、上海、広州は抑えられても。

戦争は軍対軍が基本だった。しかし日中戦争で日本軍は市民を巻き添えにした。日米戦争では人間を武器と一体とした。カミカゼ特攻隊だ。1937年の話に戻る。日本軍人による100人斬り競争があった。野田少尉と向井少尉の上海から南京に向けて日本刀で何人斬るか競争したという話。上海から南京まで300km、東京から仙台までくらいある。その間戦争をしながら行軍する。南京攻略のためだ。南京大虐殺はこれにつながる。2人の少尉は勝つために斬って斬って殺し捲ったのだろうか、単なる武勇伝で終われば一笑に付せるが、彼らはこれで戦後南京に呼び戻され死刑になる。戦争とは大量殺人が法的に許される。国家間の戦いだからだ。国家の名の元の殺し合い。誰も広島・長崎に原爆を落としたり、東京空襲をしたB29に乗った軍人を罰すことができるだろうか?しかし彼らは死刑になった。本当に100人を日本刀で斬れたのか、疑問なのは間違いない。数字の一人歩き、南京大虐殺の20万人と同じだ。

ここで考えなければならない。数字の裏で真実が見え隠れする。軍は殺戮のために編成されれば、殺すのは至上命令になる。殺された側の人間は記憶に刻まれるということだ。被害者意識である。一方殺す側の人間にも罪悪感が生まれる。ここに殺戮の現実が浮かび上がってくる。野田少尉の部下望月氏の回想。

「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。
戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの理由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。
その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。
両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦闘中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。
この残虐行為を何故、英雄と評価し宣伝したのであらうか。マスコミは最前線にいながら、支那兵と支那農民をぼかして報道したものであり、報道部の検閲を通過して国内に報道されたものであるところに意義がある。
今戦争の姿生がうかがえる。世界戦争史の中に一大汚点を残したのである。
終戦后、連合軍は両少尉を如何に処置したか、ここで”潜行三千里”の著者、元参謀辻政信大佐の手記を引用してみる。
彼は敗戦の報を知って、戦犯をのがれるためビルマ、タイ、仏印、昆明、重慶へとのがれ南京に至って支那の重臣の庇護の許に、混乱する状況下で共産軍毛沢東に対処する戦略をアドバイスしていた。それから戦犯容疑が時効となり日本に帰ってきたときのことである。
野田・向井両少佐(※3)が南京虐殺の下手人として連行されてきた。この二人は、一たん巣鴨に収容されたが、取調べの結果証據不十分で釈放されたものであるが、両少佐は某紙の100人斬りニュースのお陰で、どんなに弁明しても採上げられず、ただ新聞と小説を証據として断罪にされた。
永い間の戦争で中、小隊長として戦ってきた人に罪は絶無であることは勿論であるが、証據をただ古新聞や小説だけに求められたのでは何とも云えぬ。
両少佐の遺書には一様に”私達の死によって、支那民族のうらみが解消されるならば、喜んで捨石になろう”との意味が支那の新聞にさえ掲げられていた。
年も迫る霜白い雨華台に立った、両少佐はゆうゆうと最后の煙草をふかし、そろって”天皇陛下万才”を唱えながら笑って死についた。おのおの二、三弾を受けて最后の息を引きとった。
(「私の支那事変」望月五三郎著私家版1985年P43-45)

野田少尉も向井少尉も赦せないのか。今も遺族は裁判で彼らの無実を訴え、戦っている。何故なら100人と言う数字の信憑性にある。しかし敢えて言おう、事実は事実として日本軍の戦地での戦いとしてそうせざるを得ない体質があったのではということだ。彼らの遺書がすべてではないのか、私にはそう思えてならない。

野田少尉の遺文(wikipediaより抜粋)

一 日本国民に告ぐ
私は嘗て新聞紙上に向井敏明と百人斬競争をやったと云われる野田毅であります。自らの恥を申上げて面目ありませんが冗談話をして虚報の武勇伝を以って世の中をお髄がし申し上げた事につき衷心よりお詫び申上げます。『馬鹿野郎』と罵倒嘲笑されても甘受致します。
只、今般中国の裁判に於いて俘虜住民を虐殺し南京屠殺に関係ありと判定されましたことに就いては私は断乎無実を叫ぶものであります。
再言します。私は南京において百人斬の屠殺をやったことはありません。此の点日本国民はどうか私を信じて頂きます。
たとい私は死刑を執行されてもかまいません。微々たる野田毅の生命一個位い日本にとっては問題でありません。然し問題が一つ残ります。日本国民が胸中に怨みを残すことです。それは断じていけません。私の死を以って今後中日間に怨みやアダや仇を絶対に止めて頂きたいのです。
東洋の隣国がお互いに血を以って血を洗うが様なばかげたことのいけないことは常識を以ってしても解ります。
今後は恩讐を越えて誠心を以って中国と手を取り、東洋平和否世界平和に邁進して頂きたいのです。
中国人も人間であり東洋人です。我々日本人が至誠を以ってするなら中国人にも解らない筈はありません。
至誠神に通ずると申します。同じ東洋人たる日本人の血の叫びは必ず通じます。
西郷さんは『敬天愛人』と申しました。何卒中国を愛して頂きます。
愛と至誠には国境はありません。中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中国提携の楔となり東洋平和の人柱となり、何等中国に対して恨みを抱かないと云う大愛の心境に達し得た事を以って日本国民之を諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたいのです。
猜疑あるところに必ず戦争を誘発致します。幸い日本は武器を捨てました。武器は平和の道具でなかった事は日本に敗戦を以って神が教示されたのです。
日本は世界平和の大道を進まんとするなら武器による戦争以外の道を自ら発見し求めねばなりません。此れこそ今後日本に残された重大なる課題であります。それは何でしょうか。根本精神は『愛』と『至誠』です。
此の二つの言葉を日本国民への花むけとしてお贈りいたしまして私のお詫びとお別れの言葉と致します。
桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。

野田少尉自筆の遺書

死刑に臨みての辞世

 此の度中国法廷各位、弁護士、国防部各位、蒋主席の方々を煩はしましたる事に就き厚く御礼申し上げます。
 只俘虜、非戦闘員の虐殺、南京屠殺事件の罪名は絶対にお受け出来ません。お断り致します。死を賜はりましたる事に就ては天なりと観じ命なりと諦めて、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。
 今後は我々を最後として我々の生命を以つて残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代へられん事をお願ひ致します。
 宣伝や政策的意味を以って死刑を判決したり、面目を以て感情的に判決したり、或は抗戦八年の恨みをはらさんがため、一方的裁判をしたりされない様に祈願致します。
 我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携の基礎となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来する事を喜ぶものであります。何卒我々の死を犬死、徒死たらしめない様に、それだけを祈願致します。
 中国万歳
 日本万歳
 天皇陛下万歳
 野田毅

私は大連の二百三高地も行っている。日本は日露戦争も実に中国で戦っている。訪れてみると納得する。しかし何故中国はこの地を残し、後世に何を伝えようとしているのか?戦争の傷跡を見せ、戦争の悲惨さを見せることが一番重要だということだ。拉致問題、慰安婦問題、民族差別、領土問題、過去の戦争を振り返らず殊更事なき主義を決めつける政府の何と浅はかなことか、後世に伝えるものは何もないのでしょうか?

先ず足元を見よ

山に登るとは常に上に向かうことだけではない。先ず足元。一歩間違えれば奈落の底。足元を確保してこそ登れる。上に登るには眼下が重要となる。山が険しくなればなるほど足元が重要となる。登るとき、体重を支えるのは一本の足。もう一本は前に踏み込むため浮足になる。先ず一本の足元がしっかりしていなければ次の一歩が出なくなるばかりか最悪真っ逆さま。死がお待ちかね。

コロナ禍が遠くへ向く目を足元へ戻した。先ず足元を見よ。私の住む東京は日本の総人口の11%が住む言わずと知れた日本の首都だ。しかし、遠くなかなか行けない島嶼部を除いたとしても実質25%は緑溢れる山である。コロナ禍の御蔭で気が着いたのだが、魅力ある山々が連なっている。八王子、あきる野、青梅の西部からは山山山である。しかし東京の山と侮るなかれ。舐めて掛かると火傷する。

あきる野市から檜原村に跨る戸倉三山は特に厳しい。刈寄山と市道山と臼杵山の連山。標高は差して高くはない。臼杵山の842mが一番高い。しかし、ここが東京かと疑ってしまうほど、岩山が連なっている。何が辛いのかと言うと岩山の登り下りだ。これでもか、これでもかと続く。しかも一度入ると抜け出せない。蟻地獄のような一本道で山と山を繋いでいる。登山は高さと距離のみで辛さは計れない。登り下りの頻度がものをいう。また登るのか、また下りるのか、この繰り返しで精神的に参る。これが戸倉三山の厳しさだ。驚かされるのはこの三山が東京西部の山々の入口にあることだ。入口で最早東京の山が舐めたもんではないことを思い知らされる。一度登ったものが二度と登りたくない山の一つとしてよく挙げられる。

私は今年2020年10月25日八王子の今熊山から登った。景色が好いのは今熊山まで、後は只管このあきる野市戸倉の三山と向き合うことになる。会えば気分が晴れる山女に一度も見かけることはなかった。余程魅力のない山と自ずと知れた。この三山から途中逃げられるのは市道山から嫁取坂で笹平バス停に下りるのみなのだが、山頂で黄色いテープで封鎖されていた。市道山から臼杵山に向かう途中でお会いしたお爺さんグループがこの道を目指されていたが、どうされたのか気になる。結果として私は昼食休憩も摂らず、16時過ぎのバスに乗るため、檜原村の元郷に下りた。荷田子の温泉に入る当初の予定は吹き飛んだ。秋になると17時が山歩きの限界だ。暗くなると道が分からなくなり、街灯なんて無い山では、暗闇との闘いになる。最悪山で一夜を過ごさなければならなくなる。夜の山は寒くなり、汗で体温を下げた身に過酷。山の怖さだ。暗闇で聞く鹿の鳴き声の恐ろしさは聞いたものでなければ分からない。暗闇の中で足元は見えなくなる。一歩間違えた時致命傷になる。私は登山で無理はしないが、下りるときは別である。走るメロスになる。山の中では日はあっと言う間に落ちていく。

我々の足元日本を見ていこう。コロナ禍の中で、経済は最悪の状況に陥っていくであろう。国境を越えて経済の立て直しを図ることが急務だ。先ず足元を見よ。全ての恩讐を越え、近隣国と相携えてこの苦境を乗り越えるべきだ。強固な経済共有圏を構築すべきだ。あらゆる領土問題、戦後補償問題をドイツのように一歩引いて解決せよ。乗り越えて経済の立て直しに向かうこと求められる。対立していては解決策は見いだせない。 老子の名言がこの国には必要だ。「取らんと欲する者は先ず与えよ」、「上善は水の如し。 水は善く万物を利して争わず」島国たる日本は外交の国となるべきだ。広大なシーレーンや海域を守ることは実質不可能だ。国防に無駄な費用を投じるより、平和外交によりミサイルの撃たれない国を目指すべきではないか?これこそオリンピックの成功へと導く唯一の道だ。全ての問題の解決をパワーポリティックスを優先させるアメリカに頼るのではなく、自らを律する国となるべきだ。早く戦争を終わらせてほしい。敗戦後75年、旧領土で実際戦争は終わっていないことを自認すべきである。旧領土に平和をもたらす責任を痛感して欲しい。この国が暗闇の中で足を滑らすことが二度とないように。

Pitié

わたしたちの神に帰りなさい。 豊かに赦してくださるからである。 イザヤ 55:7,旧約聖書

彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。イザヤ 2:4,旧約聖書

何故いがみ合うのか?何故赦せないのか?いがみ合う先に何があるというのか?そして何故自ら死に向かうのか、日韓民族の中に不思議な共通点を感じる。いがみあい、赦せない、行き場のないストレスの先に自らに死を課してしまう。共通点は自殺率の高さだ。精神的心理的な負のスパイラルに陥ると最早抜けきれなくなり、自殺へと向かう。他人を赦せない人間は自分までも赦すことができない。自らの死が最終的な安らぎとする。しかし、何故自からの死に向かうのか?他に道は残っていないのか?死を選ぶ理由は何処にあるのか?この民族に共通の独特の死生観があるのか?いがみ合いを止める道はあるのか?お互いを赦すことをできるのか?

宗教を信じるものは自殺しないという。現にイスラム教徒の自殺率は低い。キリスト教徒も仏教徒も然り。命は神から与えられたものとする。命を粗末にするものは神への冒涜である。神の名の元に死してはいけない。自殺も他殺も否定される。しかし宗教だけが人を救うものだろうか?宗教の名の元に現に殺人は行われている。国家間の戦争にも見え隠れするのは宗教対立だ。ある宗教が正とすると別の宗教は正ではなくなる。お互い信じる神以外は許せない。そこに正当性を求めた宗教戦争が生まれる。危険な対立となる。同じ宗教内でも対立は生まれる。シーア派とスンニ派、正当性を求めると話がややこしくなる。更に言えば、イスラム教もキリスト教も聖地は一緒である。同じ神より生まれたと言っても過言ではない。何故いがみ合うのか?の問題は戻っていく。

医師が語る、3月に自殺者が増えるのはなぜ? (3ページ目):トピックス:日経Gooday(グッデイ)

死に寛容な宗教は自殺を敢えて否定していない。仏教がそうかもしれないが、苦しみを救うことこそ仏教の目的であり、究極の形に死がある。安易な死は否定される。やはり死に走るのは無宗教の人間に多いとなる。韓国、日本ともに似ているのはイスラム教、ヒンズー教、仏教とも全てではないことである。神道を含めた原典や教条なき信仰が約半数を占めている。アニミズムである。ここに自殺の誘惑が入り込んでくる。この信仰に自殺への明確な否定を示すものはない。死の誘惑に対し歯止めがない。個人の問題にされる。自殺をするかしないかは個々の考え方に頼るしかない。

  韓国の宗教

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    日本の宗教

故人や遺族を最大限尊重できて葬儀費用も安くなる無宗教の葬式方法と注意点

宗教は経典を通し、明確に人の道を示し、社会における人間の在り方を説くが、信仰にはそういったものはない。全て個々の問題に立ちることはない。普遍的な正義は混とんとした中にある。救いは何処にあるのか?宗教は救いを求めたものに道を与え、信ずるものに魂の平和を与える。神道は信仰であり、宗教とは言えない。経典無き祝詞のみ、正に空の世界である。尚、お賽銭は仏教からきている。鳥居もまた然り中国でも韓国でも同じようなものがある。けして日本独自のものとは思えない。神道は民族のための信仰である。個々の魂を信仰によって癒すものではない。自ら死すことを否定させるものではない。神に祈っても神は何も教えない。ただ自ら答えを見出していかなければならない。神はただ黙って見ているだけである。

原点にもどるべきである。朝鮮半島と日本、国境に関係ない同じ文化圏であった。国境ができたのは高々160年である。お互いの文化の交流は1600年以上である。朝鮮半島なしで今の日本の文化はありえない。理解しなければならない。恩讐の彼方に何が見えるのか、本来のあるべき姿だ。越えなくてはいけない。お互いを認め合い高め合うこと。差別ではない、違いを認めた上で、もっと上なるところへ高め合う。もっと言おう、分断されているのは朝鮮半島だけではないモンゴルもである。責任は何処にあるのか?旧宗主国たる日本である。世界中で分断された残された国はこの2つである。どうすればいいのか、日本は考えなければならない。責任を感じた上で何ができるのか?この二か国に平和をもたらすことを考えなければならない。拉致問題、領土問題、徴用工問題、慰安婦問題、これを解決するのはアメリカではない。日本自らである。本来の歴史勉強をもっと海外との関係で見直さなければならない。何故このように問題が拗れたのか、今一度冷静になって考え直さなければならない。何故原爆が落とされたのか、原因があって結果がある。胸に手を当てて過去を反省し、どうすれば東アジアに平和が来るのか、考えなければならない時が来ている。

自ら死を選ぶ精神的心理的負のスパイラルを乗り越えるのは民族の融合が必要だ。助け合う本来の姿に戻り乗り越えなければ解決にはならない。宗教には頼らず、本来のウラルアルタイ語の文化圏としてお互いに助け合わなければならない。敵対に解決を見出すことはできない。差別に平等な関係は見いだせない。奈良のナラは韓国語で国を表す。日本で一番多い八幡神社は遠く朝鮮から来た神を祀っている。この事実を冷静に受け止め、日本民族の歴史を今一度見直す時期に来ている。日本も韓国も本来死を自ら選ぶ民族ではない。現状に行き詰まっているからに死を選んでしまうに過ぎない。宗教を越える共通の民族としてお互いに理解し合い、朝鮮、モンゴルの問題に話し合っていくべきだろう。コミュニケーションこそ平和への唯一の道なのだ。

幸せ

幸せとは目に見えるものとは限らない。目に見えないところに寧ろ隠れていることが多い。「愛、喜び、笑い、感謝」といった肯定的な感情にこそ幸せはあるという。そう全て個人的価値観の中に幸せは存在する。幸せになるとはこの自分の理想とする価値観に少しでも近づくこと。しかもこのプロセスの中にも得てして幸せは隠れているものだ。これは頭の中で描いた絵である。正に想像の中である。理想の絵を頭に描いて悦に入る。これが幸せなこと。

球根を85個買った。チューリップもあれば水仙もある。他にもアリウム、イフェイオン、ホメリア、ワトソニア。我が家の庭に植える。庭の絵を描き、何処にどの球根を植えるか決めている。これだけあると植えるのは勿論疲れる。球根や土、肥料に全部で5千円も使っている。三つの店を回りかき集めた。全く無駄な投資ではないか。全く自分のためだけに費用と時間と労力を掛ける。何も生み出す訳でもなければ、ましてこれにより美味しいものが食べられたり、利益をもたらしてくれるものではない。一つ一つ土を掘り、肥料を少々捲く、球根用の柔らかい土を入れ、球根を埋めていく。85回。全て来春のための作業だ。球根は種と違い、決まった時期に花を咲かせてくれる確率が高い。冬の寒さに耐え、早春に芽吹き、花を咲かせる。今咲いている花々は凡そ冬には枯れ一旦土に戻るがまた夏に蘇る。早春は従って寂しい。そこを見越し、球根を植えていく。庭が寂しくなるときに今手を打つことが球根を植えること。しかもこの球根は毎年咲いてくれる。この労力は少なくとも5年間を見越した投資となる。美への投資と思えば如何。花は美であり、春を迎える喜びである。花の美は季節に応じ移ろうがまた蘇るところがいい。

我が家は勿論オランダのキューケンコフ公園でもなければ、日本の昭和記念公園でもない。しかし、私一個人の空間にとっては同じ価値上にある。私の空間は限られており、一人占めできる空間が大きくなる必要はない。小さくても自分の美というものを満足させてくれればそれで良い。人はそれぞれ自分の空間を持っている。この空間を満足させれば良いのではないか。それはけして庭である必要はない。窓辺やベランダ、部屋、玄関、あらゆるところに自分の欲する美の空間を設けることが自己満足につながる。これは金銭的価値観とは掛け離れた自分の価値観を満足させる幸せの空間。

幸せはけして遠くに思うものではない。自分の間近に感じること、自分のできる範囲内にそしていつも心の中にとっておくもの。自分を大事にする人は幸せを感じやすい人なのではないか。幸せと言う言葉はなんて暖かい言葉なのか。私は自分の感じる美の中に、そして身近な花や木やそして庭の中に庭を訪れる鳥の声に風の音に幸せを求めていきたい。これは小さな幸せ、けして仰々しいものであってはならないと思う。

平和への想い

幸いなことに私は戦争を身を持って経験したことも、戦火に見舞われたことも、戦争のために人を殺めたことも、殺戮の場に立ち会ったこともない。もう戦争に引っ張り出されることもあるまいが、巻き込まれる可能性はある。戦争は突拍子もないところから起こり得るからである。若いころはまだ戦争の傷跡が至る所にあった。街中には傷痍軍人がアコーデオンを弾きながら金銭的援助を求めていた。両親も戦争の経験をよく話していたし、テレビでも戦争の検証番組も多かった。反戦を訴えるデモもあった。私もデモに参加したことがある。戦争の匂いはまだ身近に残っていた。ソ連が北海道に攻めてくる話もあった。時の流れ、人の変遷、経済成長と豊かな生活が戦争の記憶を風化させた。

日本では今まで75年間、他国と戦争をせず、戦場になっていないアジア唯一の国だ。これは戦争を放棄した戦後の憲法によるものと言えようが、そればかりでもない。日本は国連たる米軍から監視され、勝手な行動ができない。野放しすると怖いと見られているのか、中露に対する前線基地と見ているのか、寧ろ日本の要請にも拠るものか、動こうとしない。もう75年である。一方で、虎の威を借る狐よろしく日本は平和国家を標榜している。米軍の在留経費をほぼ補っており、一蓮托生と見て構わないのでは。米国は世界一の軍事国家である。この75年間の戦争にほぼ関わってきた国だ。以前北方領土を取り戻すためにロシアと戦うしかないと酒の勢いで元島民のお爺さんに絡んだ議員がいるが、自衛隊は独自でまず動けない、米軍は黙っていない。敢えて言えば、朝鮮戦争の二の舞になる。世界に展開する米軍45万超のうち1割強は日本におり、東京の横田基地には国連軍の武官も駐在している。国連の監視下にある。朝鮮戦争、アフガンにおいて戦争状態にした国連軍は米国主導の軍隊だ。

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何故こうなったか、実際、日本は75年前戦争に負けた。先の米国大統領が述べた悪の枢軸国と言う言葉にピンと来た人間は多くはあるまい。日本は枢軸国側として連合国側と戦い第二次世界大戦で負けた。今でも枢軸国は国連にとって有無を言わさず軍事的制裁の対象となっている。戦後秩序は連合国を中心に動いている。英国、米国、中国、今のロシアである。国連とは連合国であり、元枢軸国は今も監視下に置いている。日本が勝手なことはできないようになっている。このことを憶えておかなければならない。自主憲法をと言うトップがいるが、身の程を弁えなければならない。戦後秩序は今もここに成り立っている。

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一方、この調子でいけば米国という名の連合国管理下、安寧に過ごせるではと言うと俄に信じ難い。虎の威を借りていても所詮、狐は狐。虎の権威が落ちれば単なる狐に成り下がる。米国は大戦後明らかに勝った戦争はない。いつ権威が地に落ちるか分からない。世界はアメリカが思っているように動いている訳ではない。遠くの親戚より近くの友人というように近隣と仲良くすべきなのにできないのが日本である。いざこざが絶えないのは何故か?連合国たる国連より権限を持っているのは個々の国である。国の権限の方が国連より強い。従って国連が何と言おうと個々の国の決定に従う。朝鮮戦争は国連軍が北朝鮮及び中国に駆逐される結果になっている。個々の国はそんなにやわではない。

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日本はまず今からでも過去をきちっと清算することだ。近隣諸国に対し戦争の歴史を検証し、その上に立って主観的ではなく客観的に判断、対処すべきだ。けして外交関係に感情も持ち込んではならない。相手の立場になり踏み込んでみることだ。殴られた人間は殴られたことは忘れない。殴った人間は得てして殴ったこと自体を忘れる。自己正当化、自己防衛バイアスである。相手に対し、一歩引き、相手を立てて話し合うべきだ。忘れてはいけないのは先の戦争で一番死んでいるのは旧ソ連ロシアである。日露戦争、第一次大戦後のシベリア出兵(ロシア内植民地化)、ノモンハン事件(ハルハ河戦争)、戦争の歴史が壁として残っている。朝鮮半島は日本が35年に渡り領有している。ロシア、朝鮮が日本を領有した歴史はない。

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まず清算すべきは日本にとって一番の紛争地域である朝鮮半島であろう。平和の構築は朝鮮半島からが基本だ。元の自国である。個人の訴えを現政権に政治的に利用されない。事実確認の上、きちっと補償すべきだ。慰安婦問題、徴用工問題も個々に事実確認し補償すべきだ。けして自ら運営する団体以外に政府から金を渡すべきではない。金は更に金の要求を生む。然し解決にはならない。個人を元日本国民として対応すべき。客観的事実確認の上での個人補償が平和のカギになる。くれぐれも政治に流されない。韓国人への原爆補償が参考になろう。北朝鮮に帰った人々にも被害を被った人には事実確認の上要求に応じ支払うべきだ。人的交流の拡大、相互留学生優遇も視野に入れなければならない。韓国も日本も人口は減少に転じてくる。北朝鮮の優秀な人材を発掘、育成し、広域文化交流を実現すべきだ。草の根交流の実現こそ重要だ。日本の文化は朝鮮半島経由で大半がやってきたことを忘れてはならない。朝鮮半島の遺跡を更に検証すれば新たな日本の文化の流れが分かるはずだ。朝鮮半島の和平は日本の防衛費の無駄な出費を減らせるばかりでなく恒久的なアジア全体の平和につながっていく。ここを重視すべきだ。朝鮮人も日本人も一番近い人種、文化圏といった目が必要だろう。相互の言葉を勉強し、お互いの文化の違いを理解し尊重し合うことが重要だ。1千年前の交流はより密であったことを思い出すべきだ。

領土問題は費用対効果で判断すべきで、保有する意味を再考すべきだ。自国民は確実に減る。紛争領土を維持する費用に対して効果はどのくらいあるのか、冷静に判断すべきだ。国家の三要素は領域、人民、権力である。領土は国家の基本になるが、保有すべきか否かは維持費用次第になる。時代は変わっている。漁業権で維持する経費は補えるのか?資源の採掘費用は?どのくらい利益が上げられるのか?住民に還元できるのか?自国に紛争地域を持つことによる警備費用はそれに見合ったものなのか?日本は広大な海を保有する。今持つ海の開発こそ先行すべきと考え直す時がきたのではないか?自国に紛争地域を持たないことは平和を維持するうえで最も重要なことである。しかも人口は減っていく。領土にこだわる必要があるのだろうか?頭を冷やして考えるべきだ。領土問題より早く講和の機会を重視すべきで経済優先に転換すべきだ。時代は変わっている。領土問題を政治的に利用することは止めるべきだ。元々領土確定の意味はそこに住む人間から税金を取り、福祉で返すことから必要なのである。住んでいる人間が帰属を希望しなければまたこれも紛争の種になってくる。無駄なことは止めた方がいい。住んでいない地域であれば、維持経費で考えるべきだ。住民に紛争地域の維持経費を払うことの無駄を説明すべきだ。200海里問題は資源開発、維持運用経費を見ていない。単なる陣取り合戦であれば無駄な経費を生むだけである。

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拉致問題については、何故このような事件が起きたか、考える必要がある。北朝鮮も元の自国であったことを忘れてはいけない。腹を割って話し合いのできる環境を整備することから始めるべきだ。政治家は拉致問題の解決優先というが、個人の問題より政治が優先になるのは自明である。奪われた個人より飛んでくるミサイルの方が優先される問題になる。脅しで人間は本当のことは言わない。信頼関係の上で本当の話は出てくる。これを理解すべきだ。早く相互理解できる土俵に上るべきだ。このままでは永久に解決せず、不信感の中で埋もれていく。人より国家が優先されてしまう。国防の前でちっぽけな人権は優先されない。ごまかされてはいけない。

古い国家観に縛られることが平和を否定することにつながる。恒久的な平和は武器では生まれない。恐怖政治を生み出すだけだ。相互理解と人的交流で平和は初めて可能になる。草の根からの平和、力に頼らない平和こそ真の平和となる。もはや原宿ではない。より刺激のある新大久保だ。様々な人種の交流こそ面白いし、平和はここにある。

老い

老いは忍び寄る影のようなものだ。体の節々に、言葉の端々に、心にじわじわと、自分の意思には関係なく、避けることはできない。ここまで生きたのだから仕方ないと諦めるべきなのだろう。しかし、どこまでどのように体を、頭を、心を蝕んでいくのか、いずれ老いに身を任せそのまま死の床に就くのにしても。

細胞の老化と肉体の老化につながる。人間の細胞分裂限界は120年である。今のところ寿命は最長でほぼ120才。所詮細胞自体が老化していくのであれば、どうしようもない。諦めざるを得ない。差し迫る老化を寧ろ冷静に受け止め、見つめて生きるべきか。

老体に鞭打つという言葉がある。老化の進んだ体に無理を強いても無駄ということだ。年を取れば取るほど無理は利かなくなる。しからばどこまでが無理になるのか、この判断が難しい。頭の中に幻影として若い頃の肉体が残っている。それが邪魔をする。何でもない高さと思われる崖から降りる時が一番危ない。膝を壊しかねない。着地には細心の注意が年と共に必要になる。登るスピードにも注意が必要だ。途中で動けなくなる。老化した体は素直だ。年と共に頭ではなく体の言うことに耳従わなければならない。体の叫びを素直に受け止める勇気が必要だ。

とりわけ頭の老化が一番危ない。頭の中にある画像が言葉として出てこない。画像は鮮明にも拘らず。言語機能のまず老化。脳の中の記憶が途切れる。脳のシナプスがなかなか繋がらない。記憶と実際が結びつかない。脳機能の老化。先日どの山を登ったのか、名前が出ない。時間の経過と共に急に出てくるのだが、何せ思い出すのに時間が掛かる。喉の奥まで出掛かっているのが分かる。辛いものだ。脳が固まる。脳の刺激のため本を読んでいる。しかし、以前に比べすぐ眠くなる。この葛藤の中で脳を活性化させるしかない。テレビではない、読書なのだ。そして書く。何でも良い。書くことにより老いと戦う。

心の老化は諦めで現れる。「もうダメだ」が先に来る。もうちょっとなのだが、ダメになる。足が出なくなる。気が萎える。心の葛藤がか弱い。自分に打ち勝つ余力がなくなっている。自転車ももはやマウンテンバイクからランドナーに変えた。重いペダルに耐えられなくなった。格好はいいのだが、何せ重い。さらばマウンテンバイクよ。一緒に旅した思い出は忘れない。しかしロードではなくランドナーにしたのは意地である。若き頃の旅に明け暮れた日々に戻るためだ。もう一度原点に帰って旅に出る。バックを自転車に括り着け旅に出た、あの若き日々よ。もう一度の気持ちだ。土俵際で老いと戦っている自分を感じる。

老いは天国への階段だ。一歩一歩上っていく。それでいい。遅かれ早かれ天国へは行かなければならない。老いとうまく付き合えばすんなりと天国へ行けるかもしれない。ゆっくりと自分のペースで向かう。間違っても踏み外してはいけない。階段は老人にとって命取り、大きな怪我につながる。今は動けるが、いずれ動けなくなる。階段に上るのもしんどくなる。杖も必要になる。年齢別幸福度調査結果によると60代以上で幸福度が高まり82才がピークだった。最低は47~48才。頷ける。老いと共に人は幸せになっていく。そして幸福度の尺度は金や地位より健康であることが面白い。

山女

ストックを支えに一歩一歩山に登っていると気になるのが、いつの間にか私に追いつき、抜いていく山女の姿である。彼女たちはけして早い訳ではない。こつこつと堅実にひたすら登ってくる。いつの間にか、私が滝のような汗を拭い、休んでいる間にお先にと言って消えていく。挨拶の涼し気なことに驚かされる。どこにどう力があるのか、こちらは喘いでこの世のお終いの呈なのに。

登山は知力体力気力。全てにおいて最早若いのに敵わないのは分っている。やはり華奢で小さくて若い女性に抜かれるのは情けなくなる。意地では勝てない。ただ微笑んで挨拶し見送るしかない。「登山何年目ですか?」山女の覚束ないストック捌きに聞くこともある。「2年目です。」それでも抜かれる。五十で始めた格好だけの登山姿を見透かされているような気がする。ストックが無ければよれよれだ。登山前に飲んだアミノバイタルの効果が切れたころ足が止まる。多くの山女はトレーニングとして山に登っている。更にトレイルランを楽しんでいる女性はもっと凄い。8月の暑い中、水が足らないと不安になっている私の脇をボトル1本で走り抜けていく。縦走のみの自分に対し、もう復路!高尾山から陣馬山までのコース、片道14km、標高差600mある。しかも凄いup-down。けして若くは見えない女性、小さく、細い、筋肉など余計なものはない。全身日に焼けて真っ黒だ。精悍な姿は見惚れるしかない。

「か弱きもの、汝の名は女なり」ハムレットの名言だ。これは嘘ではない。ただ勘違いしてはいけない。女性は確かに筋力、ガタイは劣っているかもしれない。しかし耐久力、適応力に優れ、何といっても生命力が違う。120才まで生きられたのは女性だけ。男性の最高齢は113才を越えられない。65才以上の女性は男性の1.27倍。何が違うのか?高齢に耐えられるだけの精神力、耐久力を男性は兼ね備えていない。女性は人間の弱さを認めた上で耐え忍ぶ力がある。男性には残念ながらその力がない。寛容さが足りない。老いに勝とうとする。到底無理なのだ。ハムレットの言いたかったのはこのことに違いない。

遺伝子的に言えば、女性が元であり、男性は遺伝子の多様性をもたらすため生みだされた。聖書ではアダムの肋骨がイヴを生んだと言うが反対だ。基本は女性。優性遺伝を残すために便宜上男性を造りだした。男性が多く生まれるのは女性にとって優勢遺伝子を選びやすくするため。人類は社会的動物である。男性は最適な労働力、政治力、闘争力、繁殖力を提供する。宗教では社会機能性で男性を上位にする。一方、有用な一方で劣化も早い。宿命とも思える。長生きはできないのだ。70を越えるか越えないかで消える男性の多さである。60代でもはやお役御免となる。正に私は差し掛かっている。

山は昔、男のものであった。これは危険で生命を脅かす場所であった。女性は近寄るべきものではなかった。一歩間違えば死がお待ちかね。獲物はいるが、いつ獲物になるか分からない。道に迷えばさようなら。戻れる道を探すのは容易ではない。水食糧が尽きた時点で終了。狐や狸の餌になる。天候が急激に変わる。急速な体温低下は死を招く。まず安全な道を作り、道標を設け、木を伐採する。過激な重労働である。今でこそ気軽に登山ができるが、これは先人のおかげだ。安全が確保されて初めて山女が生まれる。危険を避けるのが女性本来の本能だから。女性は長く生きる知恵である。今は携帯から、GPSで道を迷うことがない。雨雲レーダーで天候を探れる。トレッキングウェア、リュック、ストック、登山靴の安全、軽量化が進み、アミノバイタルのような栄養食もある。守ってくれる。正に山女を助けている。勿論私のような素人もである。

山に登ることは自然に対峙することに変わりはない。自然は怖い。牙をいつ剥いてくるかくるか分からない。いつも死は隣り合わせなのだから。しかし、山に魅せられるともう居ても立っても居られない。これは山を宗教の世界で捉えた先人に通じる。役行者で登山は始まったという。これは仏教でも神道でもない。自然崇拝の極致なのだ。体の限界を感じながらも一度山を登る陶酔感を憶えるとやめられない。これが山女を生む山の魅力になる。熊野、出羽三山、高尾、修験の場は魅了してならない。これは山に神を見ることに他ならない。森の中は緑に染まる、山上で望む空は永遠の青、流れる雲は白くコントラストを描く、眼下に広がる街並、澄む空気、静寂の世界と木々を騒めかせる風、一度虜になると山は頭から離れなくなる。死を賭けてであっても山女が登り続ける理由がここにある。