🎡葛西臨海公園水仙祭り⛲️水の精の長く遠い旅:地中海🏝️-シルクロード🐫-中国🐼-越前海岸🌊 🌏1/3周2,300年

葛西臨海公園⛲️は旧江戸川と荒川に挟まれ、東京湾に面する東京の東端にある。中国、韓国、北朝鮮、全ての首都は海に面していない。この公園から日本の首都東京だけが海に向かっていることを感じる。南西方向に富士山が拝め、海岸から房総半島の木更津に向かう海ほたるの風の塔が望め、更にその先へ大海に通ずる東京湾が広がっている。穏やかな細波が日の光を受け、銀色に輝き、どこまでも続く海の広大さを教えてくれる。そして、海を通して全てを受け止めてきたこの国の形を窺い知ることができる。海を越えてやってきた美と文化を認め、育み、更に高みへと引き上げたのが我々の先祖であり今の我々だ。花とて同様。多くの中国、朝鮮から渡ってきた美と香を認め、植え、育て、愛でてきた。大陸から渡ってきた花々、蝋梅沈丁花木蓮牡丹薔薇石楠花槿百日紅曼珠沙華金木犀等。然るに遠くシルクロードを越え、同じく中国から渡ってきた水仙については花を愛で、育んだ歴史が残っていない。過去が消えている。日本水仙と我々は呼んでいるが、学名はNarcissus tazetta L. var. chinensis。中国がoriginalと分かる。どのように渡ってきたのか?遣唐使という説が一番尤もらしいのだが、書物に残っていない。正倉院に証拠もないし、万葉集にも愛でる姿はない。球根が椰子の実の如く海流に乗って、渡ってきた説まである。全くの謎。さて、公園で海に見惚れていたが、水仙まつりはどこで開催されているのか?案内がない。都立公園としては2番目に大きい77.8haもある。旧江戸川を越えれば千葉県浦安舞浜のディズニーワールド。海辺のカフェの女性に聞く。彼女曰く「分からないが、観覧車🎡の下ではないか?」催し物はそこで開かれることが多いとのこと。まずは向かってみる。

公園の目玉になっているのがダイヤと花の大観覧車🎡。どこからでも目立つ、大阪吹田 の観覧車🎡OSAKA WHEELが2016年に登場するまでは日本一だった。お目見えして23年。お台場の観覧車🎡が2年前になくなり、東京の湾岸唯一のランドマークとなった。ビルの高層化が進み、わざわざ観覧車🎡に乗る必要もなくなった。のんびりゆっくり回って景色を眺めることは、時代の急速な流れの中で最早そぐわないようになってきてはいるが、ランドマークとしての役割は残っている。頑張って欲しい。観覧車を目指して行くと、周りに水仙は植えられていた。日本水仙は花が白く、小さい。57,000株植えられているとは言え、黄色く花の大きなラッパスイセンに比べてやはり迫力に欠ける。可憐ではあるが、極めて地味になる。香りは品がいい。日本水仙の良さは高貴な香りにある。チューリップや彼岸花にはない楽しみだ。沈丁花や蝋梅ほど強くはないがほのかに漂う甘く爽やかな香りは香水になるほどだ。

葛西臨海公園に咲く水仙は日本各地の群生地から取り寄せられた球根から。東京の市場としての特権を感じる。尤も日本水仙は関東以西しか咲いていなかった。しかも限られた場所。元々イベリア半島から北アフリカ原産と言われ、温暖な地に咲く花。地中海、シルクロードを越えて遥か極東の日本に辿り着く。紀元前800年ホメロスのデメテル讃歌の中で詠まれ、紀元前300年にはギリシャで品種を拡大し、球根栽培を可能にした。シルクロードを渡ったのはこの球根。1,300km地球1/3周2,300年もかけた旅路の末に日本。原産地を含め、北緯30〜35度にあたる地域に咲く花と分かる。日本水仙の原種は揚子江の南で生まれ、上海崇明島韓国済州島長崎 野母崎淡路島 灘黒岩越前海岸伊豆下田爪木崎千葉鋸南へと群生地を作り出す。群生地が海際に、しかも日本各地に分散していった不思議。水仙の名は中国由来であり、中国でも朝鮮でも水仙花と呼んでいる。水仙は唐時代の段成式の随筆集酉陽雑俎に記されていることから、9世紀には中国に既に伝わっていた。この時、水仙の名はついていない。東ローマから到来した捺祗(ナジ)と紹介している。ナルキサス(ヨーロッパ水仙)を指す。シルクロードを経て1,700年かけて辿り着いた。更に香高い白い花水仙へと進化するのは11世紀の時代に入ると黄庭堅に聖なる花と謳いあげる。中国に到達して更に200年経っている。これが日本水仙のoriginal。日本において水仙が初めて書物に記されたのは東大寺の僧が残したとされる15世紀の漢和辞書下学集。同じく蔭涼軒日録1486年初めて水仙が妙法寺全恵上人から将軍家に献上されたと記される。日本水仙が中国江南に生まれ400年の時が既に流れている。然るにこの時代の三代集「古今和歌集」「後撰和歌集」「拾遺和歌集」水仙を愛でた歌がない。和歌に詠われるようになるまで、更に18世紀の江戸時代を待たなかればならない。日本で水仙が愛されるようになるまで実に300年の時が必要だった。水仙とは何だったのか?

日本において、ヨーロッパや中国のように水仙が花として愛でなかったのは、中国からこの球根を持ってきた目的が違った。水仙に接したのは禅宗を学ぶため中国に渡った僧侶。彼らは生薬として水仙を見た。地下部の鱗茎を掘り上げ、水洗後に外皮とひげ根を除いたものが生薬「水仙根」。生の鱗茎を擦り下ろし、布でこした汁に小麦粉を加えてクリーム状にしたものを消腫薬として、腫れ物、乳腺炎、乳房炎や肩こりの患部に貼る。中国では花を日干ししたものを生薬「水仙花」といい、活血調経薬として、子宮の諸症、月経不順に煎液か散剤にして内服する。一方、水仙を誤食すると中毒症状として、嘔吐、下痢、発汗、頭痛、昏睡を発症する。また、切口の乳液が皮膚に着くと皮膚炎を起こすこともある。葉はニラ、アサツキ、ノビルと、また鱗茎はタマネギと間違えやすく、毎年のように中毒事故が発生している。(日本薬学会生薬の花スイセンより抜粋)。日本では中国や韓国と違い水仙花と呼ばない理由が分かる。水仙花は生薬だった。更に水仙を遠ざける理由も寺にあった。「不許酒入山門とはニンニクを主に指すが、ニラ、アサツキ、ノビルも含まれ、これを食し、修行してはならぬとしていた。ニラに似た水仙を寺近辺に植えなかった。誤食を避けるため民家の近くにも植えられず、花壇に植えたとしても2年足らずで消えていく。人家に遠く、日当たりが良く、水捌けに優れた場所、海際の崖が向いていることが分かる。正に越前海岸が選ばれることになる。水仙は球根から球根が生まれ、花のクーロンを作っていく。球根が増えれば増えるほど滋養分が必要になる。土に栄養価が足らなく、十分な光、水分がなければ2,3年で花を咲かせなくなる。消えていく。非常に難しい栽培。2,300年前からクローンで増え続け、絶滅せずに今も維持され、気候の違いにも耐えて野生化した日本水仙は、類まれな植物であることは間違いない。しかし、集団としての生き残りには、人間の手助けが必要だった。

水仙の群生地の成り立ちを見ていこう。一番広大な群生地は越前海岸70haに及ぶというから何と葛西臨海公園の広さと変わらない。日本における水仙の聖地であり、発祥の地と分かる。永平寺に近く、道元を追って南宋より来日した禅僧寂円が越前海岸近くに扶桑五山の一つ妙法寺を1278年頃に建立している。水仙を伝えたのは彼ではなかったのか?寂円は1279年に亡くなっている。1574年には一向一揆により寺は記録とともに跡形もなく消失している。名刹はなくなっても海岸に咲く水仙は残った。そして花を愛する人々によって越前海岸の水仙は守られた。 淡路島灘黒岩水仙郷 は文政年間(1818年〜1831年)紀州から漂着した球根を黒岩の漁師が山に植栽したといわれている。安房郡鋸南町房州は、安政年間(1854年~1860年)に植栽され、元名水仙として、船で江戸に運ばれ、武家屋敷や町家に売られたのが始まり。歴史は浅い。しかし、この水仙の人気を江戸で大衆化したことが大きい。伊豆下田爪木崎長崎野母崎についてはいつから自生しているかわからない。面白いことに上海崇明島韓国済州島も同じ水仙の群生地になっているが、いつから自生しているかはわかっていない。シルクロードから日本へ続く水仙の海の道があったことを思わせる。水仙は海流に乗って日本へたどり着いたのか?これを全面的に否定はできない。しかし、越前海岸に広大な群生地を作ったことは球根を中国から持って来て、植え、育てなければ、広大な土地に水仙を花開かせることはできなかっただろう。水仙をよく知る中国人だからできた、そして、ニラに間違えて食すことがないように一般に栽培範囲を広げることはしなかった。更に海流に乗って球根が日本に仮に流れ着いて自生できるとしたならば、もっと群生地が各地に広がっているはずではないか?群生地が限られているところに人の関与の証拠が垣間見られる。何故、越前海岸だったのか?南宋の中心は揚子江の南、水仙の花咲く地だった。水仙を愛で、育てた経験のある人間が水仙を日本へもたらしたと考えるのが自然だ。水仙は生薬でもあった。医薬に詳しい禅僧こそ、相応しいといえよう。南宋は1279年に元によって滅ぼされた。南宋より来た禅僧寂円も同じ年に亡くなっている。伝えたい花を遺したかった。水仙は死者に捧げる花。鎮魂の花。寂円は水仙の咲く越前海岸の丘に立ち、海の彼方に帰れぬ故郷を想ったであろう。水仙祭りに北京から裕福そうな中国人家族がきていた。もう中国の正月。「新年快楽」と中国語で挨拶した。喜んで日本語で「新年快楽」を何と言うか聞いてきた。「明けましておめでとう。」と行ったら、難しくて言えないと言って終わった。彼らは何故水仙祭りを見に来たのだろうか?わからないかもしれない。昔、南宋と言う国があり、元に滅ぼされた。海を渡って日本に逃れてきた禅僧がいて、水仙を見て故郷を懐かしんだことを。

私の生まれた年にヒットした「7つの水仙」というフォークソングがある。この歌が水仙の美しさを素晴らしく表現している。水仙の7つの花言葉、自己愛、うぬぼれ、エゴイズム、気高さ、尊敬、神秘、そしてもう一度愛してと、何もない若者にとって愛おしい彼女に告げられるのは7つの愛、水仙のみ。私は純白の日本水仙が一番相応しいと思うのだが、いかがだろうか?

参考資料:越前水仙 越前海岸の水仙畑 スイセン/遣唐使が持ち込んだ説 スイセン(水仙) 花の名前・スソン 園芸豆図鑑 Vol.11スイセン ニホンズイセン 【スイセン(水仙)の怖い花言葉】  水仙を抱いた羅漢像 【知られざるニッポン】vol.30 水仙の秘密 贈る前に知っておきたい水仙の花言葉、7つの意味 スペインの水仙 穴だらけの知恵袋”水仙” 生薬の花スイセン 中国の水仙文化 北宋の黄庭堅は何故水仙を愛したのか 水仙を詠む スイセンの仲間 うたびとの歳時記 越前の五山派寺院 越前妙法寺縁起

投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。