- 日本三大サイクリングロード半老人一人旅制覇!🥳
- ①ビワイチはMTB、霞ヶ浦りんりんロードはランドナーそして…
瀬戸内海の島々を巡りたいと思っていた。日本三大サイクリングロードの一つのしまなみ海道。昨年は荒れた天候で諦めた。既に二つは走っている。10年前にビワイチ、2年前につくば霞ヶ浦りんりんロード。ビワイチはMTBで鈴鹿越えして琵琶湖へ向かった。まだ元気だった。🇺🇸GTのTimberline、兎に角重い。山を下るに速いが、上るにしんどい。タイヤが大きく、重心が高い。安定しないので、砂利やちょっとした段差で転ぶ。到底旅向きではない。長距離走もきつかった。格好がいいので、年甲斐もなく、意地で乗っていた。何とかビワイチ287.64kmを2泊3日でクリアできた。次に向かったのがつくば霞ヶ浦りんりんロード。筑波山登山も絡めた。163.33kmを2泊3日で駆け抜けた。🚴で東京から筑波まで走り、山を登り🥾霞ヶ浦を周回して帰るには労多くして益少なしで、最早🚲で走れるのはサイクリングロードのみの時代が既に押し寄せていた。輪行と長距離走の両方に向いた🚲を思い描いた。結果的に辿り着いたのがランドナーの🇨🇦LouisGarneauのBeaconだった。メビウスの輪のようなハンドルで一時は一世を風靡したが、過去の話、何故か?この🚲の最大の特長は安定した長距離走行を可能にしたところにあり、丈夫だが、何せ重い!20kgある。輪行可能としても🚃移動が大変。階段でまずへこたれる。担いでホームを歩くのでも肩がしんどい、大きいので🚃の中でも顰蹙もの。倒したら怪我をさせる。日本の道路は決して🚲に優しくない。車中心だ。長距離を走ると分かるが、自転車は車道が基本と言われながら、必ず自動車専用道路が現れる。自転車走行レーンが車道に書いてあるが、右折レーンができると消される。トラックが停まっているのは自転車走行レーン上になる。🚲は仕方なく人の道を通る。時には階段が待っている。しかもサイクリングロードと言いながら車道兼用が多く、結局、車から邪魔もの扱いを受けて走らなければならなくなる。これが日本の現状。りんりんロードも霞ヶ浦周遊は一部で酷かった。休日は走るものではない。車道で自動車と対等に渡り合うには最早ロード🚴しかない。速さ、軽さ、細さが勝負の世界。のんびりゆっくり風景を楽しみながら走りたい人間には縁のない世界になる。狭い日本そんなに急いでどこ行くの?と言いたくなる。



しまなみ海道は広島。若い頃は野宿しながら東京から向かったこともある。しかし、もうそんな時代ではないし、私も年を取った。今さら、のんびり走るスタンスを変えるつもりもない。如何に早く広島に行き、サイクリングロードへ入るか、検討に入った。調べれば、瀬戸内海を楽しむには他にもさざなみ、とびしま、ゆめしまとサイクリングロードがある。折角遠くから行くのだから、5日間かけてゆっくり巡ることを考えた。金はないけど時間は一杯ある半老人の特権!尾道から海道はスタートする。どう行くか?何れにしても輪行を前提に🚲を替えることにした。輪行は日本の文化で、津波や神風のように世界の言葉になっている。🚲を折り畳んで袋に詰めて公共交通に乗るのは日本特有。ただ折り畳み自転車自体は欧米が発祥。ネットで調べると🇺🇸Dahonが軽くて有名のようだ。専門店を巡って、試乗した。乗り心地もいいが、私には高嶺の花。近所にサイクルベースあさひがある。言わば🚲屋さんのコンビニで至る所にある。前の🚲も全てここで買っている。偶々立ち寄った時、私と同じくらいの年のおじさんが折り畳み自転車の修理に来ていた。親切なおじさんで、私がジロジロこの自転車を見ていると軽いですよと持たせてくれた。確かに軽い!軽いとはいえ丈夫そうだった。ルノーのエンブレムが付いていた。ルノーは車だけではないことを初めて知った。しかしブランド物は高いと思った。帰って早速ネットで調べる。🇫🇷RenaultのLight10、5万円しない。今までの自転車の半分ほどの費用。今度はどう買うかになる。よくネットで購入される方がいるが、私は薦めない。なぜなら、必ず購入後トラブルが襲ってくるからだ。特に初期不良が多い。私は特にタイヤで苦しんだ。以前は長距離を走ることが多く、走行後、次の日にタイヤチューブのエアバルブの破損が多かった。以前購入の🚲は全てタイヤを交換している。この🚲を探し、3店舗を回ったが無い!天下のあさひとは言え、そう在庫を持っているものではない。どうもあさひのネットで店舗指定で購入し、オプション込みで引き取るやり方が正解だ。注文して2週間ばかりして店から連絡があり、引き取りに行く。全て装着済みで受け取れるのが嬉しい。オプションはペダルを折り畳み可能なものにしたこと、コンパクト収納と輪行袋保護のため。泥除けを装着、雨天対策。ハンドル前面にスマホホルダー装着、これは基本!夜間走行用ライト装着。この店舗扱いになるので、アフターケアもしてもらえるので安心だ。しかも引き取り時、折り畳みと組み立てのデモンステレーションをしてもらう。簡単そうだ。以前と違い専用工具もいらない。調整用六角レンチ1個、問題ない。輪行にはLouisGarneauのBeaconの大きいバッグを使う。ただ、フレーム色をblackで求めたが、在庫がないのでwhiteになった。しかし、なかなか、白も映える。丈夫にできていて、軸のずれはない。安定している。しかし、スピードは出ない。まあこれは求めてはいないので問題ないが。軽いので坂も楽だし、小回りも効く。7段ギヤがシンプル。折り畳みも組み立ても簡単。軽いので持ち運びが楽で、コンパクト収納、電車内で他人の邪魔にならないのがいい。カゴがつけられればもっといいと思うだけだ。おいおい考えよう。
2. 広島までどう向かうか?移動手段の選択
今度は広島までどう行くかになる。東京から尾道まで850km、安く上げるなら🚞と思ってしまうが、🚅代がバカにならない。早く予約すれば、🛫併用の方が断然安い。しかも早く、肉体的、精神的にも楽だ。実際、尾道まで小平🚉始発、🚅利用だと5時間半、18,954円かかる。🛫併用だと、🛬から🚌と🚃乗り継ぎで5時間、12,899円になる。往復で12,000円以上安くなる。難点は早く予約するので、天候リスクを負うこと。乗り換えの輪行移動が大変なこと。やはり遠方旅行の難しさ、厳しさがある。天気は運を天に任せるより致し方ない。長期予報はAccuWeatherに頼るしかないが、結構当てになる。前回の壱岐・対馬の旅は大当たり。実は今回も大当たりした。最終日若干の雨模様になるも全行程ほぼ🌞。決行日は盆明けの8月、平日(半老人の特権)を基本とし、勿論晴天予報の5日間で8/22〜26とした。ここから2ヶ月前の6/24に🛫を予約し、宿泊先の選定に入る。キャンセル期限の6/26に🌞予報の変わらないことを確認し、宿泊の予約に走る。
3. 宿泊先の選定










宿泊先を選ぶ条件はまず3点、眺望に♨️、リーズナブルな宿泊代。それに酒と肴があればもっと良い。高い金を出せば、全てが揃うのは分かる。しかし、心の贅沢を金の浪費で賄うべきではない。慎ましい旅の中に見合わない贅沢を味わうと喜びは増大する。身の丈に応じた旅こそ全て。一つの旅を安い費用で済めば、次の旅に浮いた費用を回せる。旅のコツに違いない(半老人の言い訳)。一番安上がりが🚲の旅になるが、交通費のかからない一方で、心と体の健全を保つことに苦心しなければならない。途中倒れたら、全てがオジャンになる。1日の距離を延ばせば宿泊費を削れる。若いとはそれで良かった。サドルで股が擦れ、湿布を貼って走った時もあった。距離を稼ぐため、日の出前に出発し、暗くなるまで走ったこともあった。過労と睡眠不足で路上で自転車に乗ったまま倒れ、意識を失ったこともあった。今はこんなことをしないし、まずできない。過ぎたるは尚及ばざるが如し、体への過度の負担は自滅への道、年を取るとわかってくる。体への負担を軽くする1日の走行距離は60kmまでとした。PCのGoogle mapでコースを辿りながら宿泊先を探していった。これはサイクリストの基本、ルートから外れるとそれだけタイムロスと体力消耗に繋がるからだ。道が長くなればなるほど、道から離れて泊まらない。今回見つけた宿泊先は実に良かった。全てルート上で、距離もちょうどいい。宿泊費もリーズナブル、眺望も抜群、何より風呂が最高だった。いい選択だった。予約していく。基本はネット予約だが、民宿はネット予約のできない場合もある。そのときは直接電話し、交渉をする。上蒲刈島の民宿あこうさんは2人以上しか泊めないと言われ、そこをなんとかと頼み込んで泊めてもらうことにした。予算もはっきり言って、1泊2食で11,000円でお願いした。実際は10,700円に値引きしてもらった。美味い肴に酒込みで嬉しかった。旅の醍醐味はここにある。旅に出るとは往々にして見ず知らずのところへ単身乗り込むもの。出発前、宿泊先に直接連絡を取っておくと安心感が違う。旅先では何が起こるか分からない。不測の事態は双方に起きうる。事前に連絡し、確認は必要だ。私は🚲で向かうので、遅れる場合もあると連絡を入れておいた。今回は、最悪の場合を考えながらスケジュールを組んでおいた。明るいうちに宿泊先に着くことばかり考えていた。かと言って、冒険心はまだあり、🚲で上れる山であれば向かうことに躊躇しなかった。結構しんどかったが。
1泊目:瀬戸内の宿 竹原シーサイド:ネット予約:素泊まり4,437円+電話予約朝食代1,200円 さざなみ街道尾道駅から29.8km、途中🐰島に渡る。 2泊目:島宿 あこう:電話予約:2食付き11,000円とびしま海道上蒲刈島 竹原シーサイドから52.4km、途中大芝島を一周 3泊目:しまなみプライムホテル今治:ネット予約:素泊まり11,430円+電話予約朝食代1,320円 しまなみ海道起点今治、岡村島から船、島宿 あこうから岡村港まで29.6km、途中物見台に上る。 4泊目:瀬戸田垂水温泉:ネット予約:2食付き7,500円 しまなみプライムホテル今治から41.3km 途中亀老山展望公園に上る。最終日:瀬戸田垂水温泉から尾道駅まで58km 途中ゆめしま海道に入る。
2024.08.22 羽田🛫…🛬広島🚌..白市🚉🚃..尾道🚉🚲さざなみ街道..忠海港🛥️..🐰島..🛥️忠海港🚲..瀬戸内の宿 竹原シーサイド
4. いよいよ出発 🛫に乗り遅れそうに、更に🥵、🚲トラブル、初日から大変!😰
出発の日、東京の空はどんよりとしていて、先行きに不安を感じるには十分だった。新しい🚲は軽い、🚉に着いて折り畳み、輪行袋に詰めるのに10分とかからない。階段も楽に昇り降りでき、車内でも幅をきかすこともない。尤も朝一の🚃だったからだが、時期も夏休みで、車内も空いていたのも幸いした。ただ、問題は羽田🛫だった。チェックインカウンターが分からず、モタモタしていたところ、間に合わないと言われた。次の便にして欲しいと言われた。輪行の場合、20分前にはチェックインしている必要があるそうで、輪行バックを担いで走らなければ間に合わなかったようだ。何とか載せて欲しいと頼み込んで、助けてもらったが、顰蹙ものだった。🛫の出発が遅れたのは私の所為かと思われ、肩身が狭くなる。いつも乗る前にサンドイッチを買うのだが、結局時間がない。🛬から降りても、輪行バックが荷物受け取りのベルトコンベアから流れてこない。係員に聞くとカウンターで別途受け取ることになっているそうで、これも聞いていなかった。バスに乗るのもギリギリ、白市🚉に店も何にもない。おかげで朝飯が食べられないまま、尾道🚉まで辿り着くことになった。ただ天気がいい。西に行くにつれ天気が回復していった。🗻が✈️から見えた。広島🛬からは青空が望めた。尾道🚉に着く頃には真夏の空、30℃は優に超える暑さになっていた。寧ろ熱中症に罹ったようで😵💫になる。食欲はないが、何か食べないと🚲を漕ぐ力が生まれない。尾道🚉の南口改札口を出て駅中央に私のような旅人向けに案内所がある。地元の方らしき女性が2名座っている。大助かりだ。食事ができるところを伺うと🚉隣りにパン屋さんがあるとのこと。早速向かう。リトルマーメイド、広島発祥のパン屋さん。輪行袋をそのまま外に立てかけ、兎に角腹に溜まるパンとミックスジュースを頂く、腹が落ち着いたところで、🚲を組み立てなければならない。専用の場所があるかもしれない、ということでまた案内所に逆戻り。やはりあった。👍しまなみ海道の起点と納得する。尾道🚉の南口は海に向かっている。海に向かって東側線路沿いに専用組立場、広い。しかし、🥵、日差しが違う。組み立てながら頭が😵💫してきた。出発前に駅のトイレに行き、顔を洗った。🚲はそばに停めた。さあ出発、走り出すとペダルが動かない。嫌な音がする。チェーンロックがギヤに絡んでいる。外すのを忘れていた。この時はまだ傷は浅かった。気を取り直すために駅の2階に上がってみる。駅舎は5年前に建て替えられたばかり。2階は見晴台ばかりか、バーもあり、宿泊施設にもなっている。🚲は駅前に停め置いた。海を越えて向島が望める。戻りはこの島からになる。気を引き締めて出発のつもりだった。🚲に跨り、思い切りペダルを踏んだ。ギヤが悲鳴を上げた。またやらかした。今度は致命的。完全にチェーンロックがギヤに挟まった。抜き出すのにロック部がちぎれた。ギヤもずれた。最早助けが必要だった。また案内所に戻る。3回目、自転車屋を聞く。海に面して専門店があるとのこと。駅を出て海沿いに左へ、渡し船の発着場の近くにあった。尾道ベース@レンタサイクルステーション、まだできて5年と新しい。入ると早速🚲を見てくれる。ギヤを補正してもらい、新しいチェーンロックを買って、現金で8千円ほど支払うことに。熱中症で頭もぼんやりしており、結果については致し方ない。出発前に🚲の整備もできて良かったと思わざるを得ない。尚、修理を待つ間休めるように、隣りにうまくできていてジュースを売っている。尾道ベース@2nd柑橘スカッシュ、500円、一気に飲む、搾りかすが残っているので、更に水を入れてもらい、搾りカスまで綺麗に食べた。これが効いた。頭がスッキリした。出発前に厄落としに成功。5日間頑張れると確信した。実際その通りだったから不思議だ。
5. さざなみ街道を走る 青い空と白い雲、そして藍色の海
さざなみ海道に入るといっても走るのはほぼ一般道でしかも都市間を繋ぐ幹線になる。兎にも角にも呉まで海岸線を走るのみ。一見走りたくなくなるが、さにあらず。この道にはこの道なりの醍醐味がある。他のサイクリングロードにはない、海の近さ、空の広さ、海と空の境を彩る島々の迫力、静かな内海に漣を与える船影、島々を繋ぐ橋、島には家並みが望め、生活の息吹を感じる。内海なればこそ、防波堤が低いからだ。正にこの風景がこの道の生命線になる。この風景を望めないなら何のためにこの道を走るか分からない。この道を走るなら下記三点が基本、まず尾道から呉に向かう。左側を走るので、海を感じながら走れる。次に晴れの日を選ぶ、路肩ギリギリに防波堤、トラック、ダンプが走る危険な道。更により海を感じるため、国道から外れ、漁師町に入る。スマホのGoogle mapで海沿いの道を探しながら走る。行き止まりに要注意。小一時間丁度疲れて一休みしたい時に海沿いに喫茶店が現れる。カフェネジロ、一見アンティークショップと見紛うが、2階が喫茶店になっている。海を自分のものにできる時間を満喫できる。席が海に向かっており、行き交う船を見ながらコーヒーを飲むのは最高。このような店を探せるのはのんびり走る人間だからこその特権かもしれない。もう昼もだいぶ過ぎており、ランチをしても良かったのだが、🐰島で♨️に入りのんびり過ごそうとこの時は思っていた。甘かった。スタートが遅過ぎた。三原市街地は避け、海沿いに須波海岸に着く。この景色は極上。この暑いのに海に出ている人が少ない。既に海水浴場が閉じている。勿体無いような気がした。どこまでも広がる夏の青い空にすじ雲、うす雲、入道雲が迫力をもたらす。藍色の海は静かだが、潮の流れの速さを感じさせる小波が微妙に揺れ逆立っている。これも瀬戸内海ならでは。ただ、幸崎の先から電車道のみ海際を走り、車道が山に入っていく。これが勿体無い。🚲だけでも走れるようにできないものなのかと思ってしまう。
6. 🐰島 癒しの🏝️
小高い山を越え、🐰島へ向かう。正式名は大久野島、港は忠海、ここから渡し船に乗って🐰島へ 。忠海の桟橋に着いたのは最早午後3時前、丁度渡し船が着くところだった。島には国民休暇村があり、宿泊施設だけでなく、日帰り温泉もレストランもある。この時間で温泉に浸かって酒呑んでとやっていると、宿にちゃんと着けるかわからなくなる。温泉は諦めた。しかし🚲だけは港の駐輪場に置いた。時間があれば島を一周できたが、先もあるので、これも諦めた。遅くなったが、昼飯を取りたい。休みたい。それで我慢。急ぎ、往復の乗船チケットを購入し、船着場へ向かう。平日とはいえ夏休み、やはり家族連れが多い。🐰のサンクチュアリーのような島として有名。ただ、戦前は毒ガス製造を日本で唯一行っていた。1929年から1944年にかけて、のべ6,500人が働いていた。島中が毒ガス工場になり、汚染された。敗戦後は米軍に接収され、一時返還されたが、朝鮮戦争勃発と同時に再接収され、やっと1955年返還された。国有地として、現環境省管轄になり、1963年には国民休暇村が開設された。1971年に小学校で飼っていた🐰を8匹放したところ、今は900匹ほどになっている。尤もらしいが、何故🐰だったのか?何故野に放したのか?誰が島いっぱいに増やしたのか?アナウサギは至る所に穴を掘る。誰も言わないが、見えない汚染検知のためとするのが自然。しかし、この🐰が思わぬ観光資源になった。SNSで海外に多くの🐰に触れ合える島と紹介される。アジアを中心に欧米からもこの島に訪れるようになる。🐰島なんて海外にはない。ピークで年間18,000人もの外国人がこの島を訪れている。何の因果関係か、海外との戦争のために毒ガス製造工場の島にし、無人島にするばかりか、動物の住めない島にした。敗戦後、汚染検知のため、🐰を入れ、増やした。結果、島の至る所で見られる🐰の無垢な姿を求め海外から人々が訪れ、島を蘇えらさせている。島を彷徨うと何処からも🐰が出てくる。至る所にいる。毒ガス障害死没者慰霊碑を撮影したのだが、後で🐰が一緒に写っているのには驚いた。彼らも薄々何故ここにいるのかわかっているのだろうか。写真の中でこの🐰はただこちらを真顔で見つめている。島の桟橋に着くと国民休暇村への送迎バスが待っている。多くの親子とバスに乗り込む。皆楽しそうだ。午後3時も過ぎ、休暇村に泊まるのだろう。夏休みのいい思い出になる。休暇村には大勢の海外の旅行客。どうも皆中国系、東南アジア系だ。円安の影響が世界中に訪日客を増やしている。🐰はアナウサギ、ヨーロッパ原産、彼らには珍しい🐰になる。勿論😺同様、元々日本やアジアにはいない世界の侵略的外来種になる。カイウサギとして江戸時代、オランダ人が連れてきたのが増えたのではと見られている。外にいる🐰を窓越しに見ながら遅いランチ。可愛いものだ。触らなくとも見るだけで癒される。桟橋へは歩いて戻ることにする。途中、🐰に餌をあげる数人の姿を見かける。多くは1人。子供ではない。慣れ親しんでいるかのように🐰に話しかけている。なんとなくわかってきた。この🐰たちを守っているのはこの常連さんたち。大きな袋を持っている。餌でいっぱいなんだろう。彼らの後ろ姿に孤独な影が見えた。つぶらな瞳、愛らしい動作、爪を立てることも、牙を剥くことも、吠えることもない。🐰の魅力は優しさの中にある。🐰に餌をあげる代わりに癒しをもらっているのがわかる。だから何度でも来る。島を滅茶苦茶にしたのも国だが、癒しの場にしたのも国になる。戦争をし、人を殺す権利を持つのも国だが、人に癒しの場を提供し続ける義務も国にはあることを忘れてはならない。そして😺も🐰も世界の侵略的外来種に挙げられながら、我々日本人は大事に飼っている。愛すべき動物に国境が関係ないことを島国の我々はよく知っているのではないか。そう思いながら、船に乗る。ふと気がつく、自分もまた孤独な旅人、この島で🐰に癒されに来たことを。
参考資料:大久野島における観光対象の変遷と観光行動
7. 瀬戸は日暮れて🎵
日暮前には街中のネットで調べた小料理屋に入り、美味い地酒と肴をと狙っていた。実際は、この店が夜の営業なしで当てに外れる。全てうまくいくとは限らない。今日泊まりの竹原シーサイドは周りに何もない。ただ、丘の上に佇むホテル。忠海は時間の止まったような街だ。平日の晩、飲める店がない。駅まで行けばあったとは思うのだが、いく力がなかった。小料理屋の近くにお好み焼き屋が見えた。懐かしい広島焼き、出張で広島に来た時は必ず新天地でお好み焼きだった。そんな時代もあった。最後の出張はいつだったか…全て忘却の彼方。竹原シーサイドへは住宅街を抜け、さざなみ海道へ戻る。夕暮れが迫っている。広島での1日目が終わろうとしている。ホテルのある丘の上から美しい瀬戸の夕凪を眺めた。青い空が赤く染まっていき、島陰が濃くなっていく、海は湖のように波を収めていく。静かに日は暮れようとしていた。無事ホテルに着けた。朝早く、東京を出て、今は瀬戸内海を眺めている。1日を長く感じた。このホテルは昭和の香り、忠海の町同様、時間が止まったかのようだ。料金もリーズナブルなので、旅人には嬉しい宿。部屋からの眺めもいい。全て海に向かっている。特に別棟の風呂から見る見るオーシャンビューは最高だ。夜景も美しいが、朝風呂に入って眺める瀬戸内海も。
2024.08.23 瀬戸内の宿 竹原シーサイド🚲..さざなみ海道..大芝島一周..安芸灘大橋 とびしま海道..下蒲刈島 白崎園..松濤園..蒲刈大橋..上蒲刈島 島宿あこう
8. さざなみ海道を魅力あるサイクリングロードにするには







さざなみ海道の2日目、初日30km、この日は安芸灘大橋まで40km、精一杯海岸線にしがみついてきたが、何せ工場が海に向かって伸びており、乗り越えることはできない。せめて漁村街に海を求めるが自ずと限界がある。竹原からは山が海際まで迫っている。とても海岸線どころではない。山越えはキツい。国道に戻り、峠越えになる。寂しいものだ。さざなみ海道を詠うのであれば、海岸線に自転車専用道を作るともっとサイクリストが集まるだろう。昨日、カフェやお好み焼き屋でも聞いたが、さざなみ海道をサイクリストが走る道とは誰も思っていないとおっしゃっていた。安全に走れる自転車専用道路を別に設けないと、サイクリストは集まらない。車道にペンキで🚲の絵を描いてお茶を濁しても認められないということだ。さざなみ海道の楽しみは一重に海に近くを走り、さざなみが聞こえるところにある。海際に是非自転車専用道路を設けることを検討願いたいと切に思う。世界のサイクリストが集まる道にし、🐰島と大芝島とセットで楽しめる観光ルートにしたらどうか?地元の活性化が生まれるのではないか?早急に検討すべきは車道と自転車道の分離、そして国道をサイクリストが避けられる道を設けること。山が迫っている海際にはサイクリスト専用道路を設置することではないか。ルート上の改善提案は3箇所を挙げる。
①安芸幸崎から忠海港に抜ける瀬戸内さざなみ線の脇に自転車専用道路を敷設する。
②竹原と赤崎の海岸線を繋げる橋の設置。竹原から安芸津にかけての海岸線から望む瀬戸内海の島々を楽しみ、赤崎のジャガイモ畑を望むコースとする。
③安浦から七浦海水浴場に抜ける県道465号線の開通。
老いの繰り言はこのくらいにして、山越えで安芸津に入る。楽しみにしていた🦪!かき小屋を目指す。なんと土日しか営業していないではないか!ネット情報をよく見ていなかったのが悪かった。仕方ないので、次の目的地大芝島へ向かう。ここならいいレストランはあるだろうと勝手に思った。
9. 大芝島 🚲で渡れる。眺めを満喫しながらのんびり一周
さざなみ海道で唯一🚲で渡れ一周できる島。周囲6km弱、一周1時間もかからない。この島は小さい上に海が近い。正にさざなみの島、湖に浮かぶ島のようだ。周りの島々を眺めながらのんびりゆっくり走れる。至る所にお地蔵さんが佇んでいる。車が擦れ違えないような細い道がこの島の海岸線を形作っている。山はほぼ柑橘畑。この小さな島に橋を作ったのもこの畑だろう。平日なので人影もない。遊ぶ浜辺がないからだろうか、夏休みを思い出させる子供達の姿も見かけない。レストランもやってない。島を一周しかけた時、民家の軒先に暖簾、看板に余白とある。不思議な雰囲気。飛び込んでみる。やはりレストランだった。ネットで見ると2年前に開店したばかり。しかも水木金のみ予約なしで食事可だった。今日は金曜日、助かった。ランチで2,530円はちと高いが、折角、島にきて何も食べず、寄らず、休まずでは寂しいものと思ったからに他ならない。こぢんまりした4人掛け6席が、昼時で満席に近く、座れて良かったくらい。店内の雰囲気も明るくていい。料理を載せている皿も食材を引き立てて趣味がいい。新鮮な食材で作られ、和洋折衷で、野菜が多くヘルシー、量もちょうどいい、美味しく頂いた。どうも島の雰囲気と古民家と料理がミスマッチが面白い。このレストランから橋まで近い。残念ながら、島の展望所に上り、❤️型の小芝島を見るルートを辿る気力が湧かなかった。先を急ぐことにした。安芸灘大橋に向かう。
10. さざなみ海道に別れ、安芸灘大橋からとびしま海道 下蒲刈島 白崎園へ
旅に出ると如何にリスクを減らすかが勝負になる。決して危ない道に入らない、選ばない、踏み込まないが大原則だ。本当は安浦から七浦海水浴場に抜ける県道465号線に向かいたかったが、google mapで調べると道は北側と南側で繋がらず、空白地帯になっている。航空写真で見ると、道は途中まであるようなのだが、個人の家で消えている。行ってみればわかるが、繋がっていなければ、戻らざるを得なくなり、タイムロスだけでなく、戻る精神的苦痛、体力の消耗になる。結局、国道185号線をそのまま安芸灘大橋へ向かった。途中、峠の茶屋で一休みする。豆な茶屋、オープンな雰囲気に誘われてお茶にする。やはり国道の路肩を走るのは嫌なものだ。ロードバイクであれば気にすることもないだろうが、折り畳み🚲はのんびりゆっくりなのだから、国道には全く似合わない。かと言って、橋へ向かう道をgoogle mapのナビに従って下道に入り、山越えで疲れ果てる。そのまま車道を走って向かうのが正解だった。 安芸灘大橋は有料になるが、人と自転車は無料で、歩道を抜ける。ここでさざなみ海道とお別れ、とびしま海道に入る。橋の上から下を見る。凄まじい潮の流れに漂う漁船が望める。女猫の瀬戸と呼ばれる海の難所、川の急流に浮かぶ小舟のようだ。遥か西に銀色に輝く潮の流れに抗って進むタンカーの姿が見える。海は最早渦巻く川のようだ。内海は確かに穏やかなさざなみを立てているのみに見えるが、内なる渦巻く潮の流れは、外海にはない恐怖の対象だ。潮見ができないと瀬戸内海を渡り切ることはできない。海峡は細く、至る所に岩礁がある。流れに耐えられない船は岩に打ち付けられ遭難する。ここに海賊が生まれる素地があったのが分かる。そればかりではない。文化は瀬戸内海を通して、西の九州から東の大和へ引き継がれた。この渦巻く流れは多くの阻害をもたらしたに違いない。しかし、阻害こそ、乗り越える技術の発展を産む。航海、造船、気象、あらゆる海洋技術の母になった。瀬戸内海が造船業で栄えた理由がわかる。橋を渡ると異様なモニュメントが迎えてくれる。 天を突くオレンジ色の二本の異形のエンタシス柱、「生」土・火・知・空・水と題している。陶芸家、今井眞正氏の作。安芸灘大橋の架設を記念して建てられた。24年前(2000年)になる。二本の柱は、影響しあい、共に発展していく “つながり”の重要さを表現し、その原料には下蒲刈の土、本州の土、下蒲刈島と古より縁のある朝鮮半島の土が使われ、三位一体とし、釉薬にも島のミカンの木を灰にしたものが使われている。まるで巨大な炎立つかのようだ。このモニュメントの意味するものは、三位一体となった土から生まれ、炎の如く共に発展していくことにより、空と水の違いを知るだろうか?2008年、上蒲刈島と豊島が豊島大橋で繋がり、本土側と岡村島までのとびしま海道が完成する。更に岡村島から大崎上島を繋げる計画や大三島まで繋げる計画もある。大三島を繋げれば、芸予諸島を一周でき、さざなみ、とびしま、しまなみの三海道の活性化が図れるだろう。モニュメントに魅せられて白崎園に長居してしまった。最早午後4時近くなっており、後2時間で今日の宿泊先上蒲刈島に渡り、 島宿あこうに着かなければならない。しかし、どうしても1箇所立ち寄りたいところがあった。
参考資料:安芸灘大橋について 土から生まれる命の輝き 安芸灘諸島連絡架橋 離島架橋に伴う島嶼市場の経済学的考察 離島架橋について
11. 松濤園 美しい庭園に善隣外交の歴史が蘇る
この旅の20日ほど前に対馬を訪れている。倭の残影を求めた旅だった。1世紀から5世紀にかけて500年に渡り、倭は対馬を挟んで韓国の南岸から九州北部にかけて栄えた海洋国家だった。韓国南岸は新羅に征服され、九州北岸はヤマト王権に組み込まれて消滅していった。その中で、いかなる形においても唯一生き延びたのが対馬だった。国と国が対峙する微妙な位置にあって、このリスクを逆手に、独自のバランス感覚で国境の島として生き残る術を見出していった。それが徳川時代の朝鮮通信使の取りもちだった。世は鎖国の時代だった。唯一許されたのが朝鮮通信使の往来だった。幕府は許可のみで、接待は同行する対馬藩と通行する藩持ちで、負担は大きかった。しかし、この負担が後の時代になって、別の形で貢献することになる。これがユネスコによる記憶遺産に認定される。平和に貢献した歴史として残った。対馬には朝鮮通信使歴史館がある。多くの韓国人が見にきている。失われた過去を求めて。対馬も朝鮮までも明治政府に取り込まれた過去があるが、この善隣外交の歴史が250年の時を経て、2017年に世界に認められた。この足跡をまたこの下蒲刈島に来て確認できた。しかも対馬以上に詳細に調べられ、しかも立派に展示されていることに驚いた。松濤園は1990年にオープンしており、対馬の歴史館開設の31年前で、温度差の違いに圧倒される。更に驚かされるのは、庭園の見事さだ。三之瀬瀬戸に面して和風庭園は広がり、韓国の石像を随所に配している。展示施設は江戸期から明治にかけて建てられた4件の家を移設したもので、見て回っているとタイムスリップした感覚を覚える。正に感動ものだ。展示を見ながら、海と空を同時に眺めるのも乙なものだ。この風景はなかなか、他では拝めない。1636年、通信使の一員の趙龍州が残した漢詩が石に刻まれていたのを見た。
蒲刈で出た忍冬酒は玉椀に琥珀濃まやか
しばらく唇に入ると李白がうたったように大道に通じる、 一石呑んで奇才の胸中を吐くこともない、ほんの少しでこと足りる、
昔中山では一飲千日も酔うという酒を作ったが、この酒に比べるとまるで小さい。 蒲萄酒が使者によって中国に伝わったように、忍冬酒の秘伝がここに伝わって、 こうした香りよき、こき酒がさかづきに満ちたのであろう
どのような酒か、リュックなので、途中で落とすと悲惨になるので、極力酒は買わないことにしているが、これは買わざるを得ない。もう閉館時間が迫ってきており、帰り際に受付に頼んで購入。家に帰ってから封を開け、早速飲んでみた。正に薬酒、江戸の甘い香り。何処で作っているのか見ると岐阜の犬山!今は小島醸造のみで作って売っている。江戸時代でも蒲刈島では作っていない。作っていたのは他に浜松、紀州になる。しかも元々朝鮮の酒、この酒を日本で作ったのは朝鮮出兵時に連れてきた捕虜と伝わっている。この詩の意味が分かる。朝鮮通信使の目的は豊臣秀吉の朝鮮人捕虜の返還要求で始まっている。要は趙龍州が言いたかったのは、この酒は朝鮮人が伝えたものだと言うこと。
参考資料:文化の香りただよう庭園の島、下蒲刈島/松濤園・蘭島閣美術館・白雪楼 歴史と文化のガーデンアイランド下蒲刈島 引き継ごう朝鮮通信使の記憶 松濤園 朝鮮通信使ナビ in 呉市 しもかまがり
12. 島宿あこう 美しき瀬戸の風景、最良の酒と肴













蒲刈大橋に着いたのが17時半前、タイムリミットの18時に島宿あこうに着けるか、不安。兎に角急ぐ、仏ヶ崎展望台に行けず、残念。何と宿は近かった。住宅街を抜けて、湾沿いに走ると夕日に映える民宿が坂の上に見える。大きな看板もある。ホッとした。宿の入り口のボードには私の名前まで。1人で申し訳ない。オーナーは初老のご夫婦、私より上のよう、わざわざ、外に出られて、自転車を宿の中に入れていいとのご指示。民宿の暖かい雰囲気を感じる。先にお風呂を推められ、入ることに。風呂からは、真正面に、潮流みはらし台がデーンと。夕日に映える湯船に浸かって、最高の景色を堪能する。朝は入れないのが残念だが、尚、夜も9時まで。これは厳しい。部屋もいい。海が近い。宿泊客は、私以外サイクリスト2名と家族連れ大人数のみ。お聞きすると海外からの顧客が直接連絡してきて泊まられるそうで、次の日から海外のお客が続くとのこと。オーナーにさぞや大変でしょうねと聞くと何と問題ないとおっしゃる。オーナーのオープンなお人柄が全てを超えられて意思疎通を可能にしている。だけでなく、私のようなゴリ押しの客は海外にいないのが本当だろう。これが国際的ルールになる。世界中でSNSの映像が流れる。連絡先も確認できる。宿泊費、移動コストに見合う安全、衛生、環境を踏まえ、美味しい料理と美しい風景が楽しめるのであれば、行かない手はないとなるだろう。円安もまた追い風になる。今年はコロナも明け、史上最高の海外からの顧客数を記録するのではないか?しかし瀬戸内海にとって将来全て薔薇色という訳ではない。オーナー夫婦の話では漁師の話として魚が取れない話が出てきた。漁に出ても取れない日が続いているらしい。実際、数値的にみても瀬戸内海の漁獲量は年々減って、1980年代のピーク時に比べ、3割に縮小している。正に瀬戸際の瀬戸内海漁業となっている。この原因は地球温暖化による海水温の上昇。海岸の埋立、護岸整備による藻場・干潟の減少、内海ということで厳しい排水規制による海の浄化から魚の餌が失われているのか?”水清ければ魚棲まず“なのか?確かに海に小魚が見えなかった。私は伊勢にいたことがある。湾内には必ず小魚がいた。何処が違うのか?伊勢の漁師が言っていた。漁師は山で食っている。山に木を植えるのも漁師の仕事だと。この木も落葉広葉樹でなければならない。瀬戸内海の問題は森林植生の問題が大きい。常緑針葉樹では海を豊かにはできない。柑橘類、杉、檜や松では海は肥沃にはならない。ここに瀬戸内海独自の問題がある。乾燥した気候の問題もある。この問題は赤潮で顕在化した公害汚染より深刻なのではないか。海は美しいだけでなく豊かでなければならない。漁業の6割は海面養殖に頼っている。瀬戸内海はまるで養殖池になったかのようだ。晩御飯は広島西條鶴 一家だんらん1合、肴も旨い。翌日は愛媛に渡る。
参考資料:瀬戸際の瀬戸内漁業 漁獲量ピークの3割 瀬戸内海の現況等について 瀬戸内海の環境 瀬戸内海の環境保全 瀬戸内海再生方策 豊かで美しい瀬戸内海をめざして~里海としての再生~ 豊かで美しい自然環境を保全・再生する国土づくり 「茶色の食物連鎖」と「緑の食物連鎖」 瀬戸内海の貧栄養化について
2024.08.24 上蒲刈島 島宿あこう🚲 とびしま海道..物見橋公園 展望台..県民の浜..豊島大橋..豊島 あび資料展示室..しまcafeきたたに..豊浜大橋..大崎下島 御手洗 閑月庵新豊..平羅橋..中の瀬戸大橋..岡村大橋..岡村島 人待瀬戸展望台..岡村港⛴️..今治港🚲..しまなみプライムホテル今治 やきとり 山鳥
13. 上蒲刈島 物見橋公園 展望台から壮大な風景
とびしま海道に自転車専用道路はない。車道を走っていてもさざなみ海道と違い、車の量が少ないので危険を感じることはない。道も整備されている。ただ、ほぼ人も歩いていないし、サイクリストさえも見かけなかった。何故だろうか?今日は上蒲刈島の四国に面する南側を走る。更に島の真ん中近くの標高140mにある物見橋公園 展望台へ上る。実際はその手前の物見台に行きたかったのだが、看板がないので入り口が分からず素通りした。しかも展望台も立ち入り禁止になっていたのには驚いた。ただ、道は荒れていない。物見橋も問題なく渡れる。観光地は道を含めて、人が来ないと荒れるものだ。この橋も最早、交通の手段としては使われていないだろう。展望台も立ち入り禁止になって6年になる。なのに道が整備されているのは、物見橋からの景色を愛する人がいるからなのかもしれない。昔は島の北と南を繋ぐ重要な橋だった。今は下の車道が整備され、トンネルができ、お役御免になった。しかしここからの景色は永遠。また海岸に戻り、県民の浜から夏の海を望み、次の島へ向かう。
豊島橋を越える。島の北側に沿って走る。一昨日走ったルートを対岸に臨む。穏やかな海。小島が浮かぶ。大きな港町に入っていく。豊浜、対岸もまた同じ豊浜、瀬戸を通し、豊かな漁師町を形成していたことが伺える。この漁師町の今と昔に出会えるのが資料館になる。あび資料展示室は港に面した立派な公民館の中にある。あびとは北からの渡り鳥で、漁との結びつきがすぐには理解し難い。何故渡り鳥如きで資料館があるのか?兎も角入ってみる。鵜であれば魚を獲らせる漁法があるので理解できる。あびは越冬のために数千の大群でこの浜にやってきて、大好物のイカナゴを求め海に潜った。追われるイカナゴは阿鼻叫喚した。海底にいる鯛、スズキも刺激され、捕食しようと海面に上がってきた。そこに漁師が餌を垂らし、釣ってしまうという江戸時代から300年続いた伝統漁法。なるほど、海老で鯛を釣るならぬ、あびで鯛を釣る、世界でも類稀な漁法で、鵜飼のような動物虐待と見なされることもない。正に鳥の狩りに便乗して漁をする古人の知恵一つの漁夫の利だ。しかし、この漁法も1986年(昭和61年)以降できなくなる。弱点が露呈する。あびの飛来数の激減。主役の活躍がなければこの漁は成り立たない。原因として高速船の運行であびが脅かされたこともあろうが、何より、餌の問題ではないか?この年を境に魚介類が瀬戸内海で獲れなくなっている。イカナゴは、海砂採取により海底が荒れ、生態系が破壊されたことなどが挙げられている。いずれにしても自然は一度バランスが崩れると元に戻ることは容易ではないことが分かる。自然破壊の怖さがここにある。港に面したしまcafeきたたにで一休み、みかんジュースでビタミン補給、もう次の橋が見える。豊浜大橋、三角形に組み上げた鋼材で橋を形作っている。この三角形が船の帆に見えて、空と海に映える。美しいハーモニーを奏でる。
15. 大崎下島御手洗 閑月庵新豊..平羅橋..平羅島..中の瀬戸大橋..中ノ島..岡村大橋..人待瀬戸展望台..岡村港⛴️..今治港
大崎下島の御手洗は、江戸時代、西廻海運を巡る船乗りが風待ち、潮待ちのために留まった港町だ。豊浜大橋から入ると一番遠い、全く島の反対側。次の島に渡る橋を左手に見て、来年3月一杯で休止が決まっている高速船の着く大長港を越え、尚、先に行く。最東端が御手洗。目の前の瀬戸を挟んで岡村島、南は斎灘を挟んで愛媛 今治。街には江戸の風情が今も残る。そぞろ歩くと時間の止まった風景に出会える。通りに面した家々の格子戸が往時の繁栄を物語っている。海に面した道を走っていくと粋な店に出会う。閑月庵新豊、江戸末期に建てられた旅館を改造し、ゲストハウスと食事処を提供している。土日月曜日しか食事処を開けていないらしく、この日が日曜日で助かった。海鮮賄い丼を頂いた。料理も美味しかったが、何より、店全体が醸し出す江戸時代の趣がいい。格子戸を通して外からと内から見る風景のあまりの違いに感動する。外から見ると内側は何も見えない。内側から景色を見ると、格子戸が邪魔しない。寧ろ独自の光と影を醸し出す。風景に一幅の絵を見るかのように感じる。不思議な感覚。この港町の繁栄は江戸時代で終わりを告げる。帆船の時代の終焉とともに。風待ちも潮待ちも必要のない時代が来てしまった。もはや時代もこの御手洗の光彩を待ってはくれなかった。これが、この街に反映した江戸時代を封じ込めた。忘れ去られた街が今、江戸時代へのノスタルジーとともに訪れる人をタイムスリップさせる。ただ、惜しむらくはここへ通じるとびしま海道のどん詰まりが近いということだ。四国に向かう場合、橋を渡り岡村港から今治港までの船で向かう。船便は1日8便しかない。乗船代870円、更に自転車には190円、車には最低2,100円余計に掛かる。但し、1日4便は旅客船なので車は載せられない。かかる時間は1時間20分、一方広島へ向かう場合、竹原便は来年3月で休止になる。今でも大長港から竹原港まで1日6便のみ。乗船代1,510円、尚、船はフェリーではないので自転車、車とも載せられない。かかる時間はほぼ45分、これでは観光客を呼ぶのは難しい。私も土曜日に来たが、観光客の少なさに驚いた。しまなみ海道と比べると雲泥の差だ。とびしま海道を活かすには終点の岡村島から小大下島、大下島と大三島を繋げる3本の橋が必要だ。しまなみ海道と繋げることにより、東北へ向かえば尾道、南に向かえば今治に通じる。更に呉がさざなみ海道を介して繋がる。島渡りのトライアングルが完成する。自転車だけでなく車も走れれば、住民の生活環境の改善にも繋がるだろう。島の過疎化も防げるに違いない。繋がることによって経済は活性化される。サイクリストもしまなみ海道から流れてくる。常に観光客は旅のバラエティーと利便性を求めている。無人島の平羅島、中ノ島を渡り、岡村大橋中央でいよいよ愛媛県に入る。岡村島に入ると人待瀬戸展望台が右手に、縁結びとあるが、広島県と愛媛県をつなぐ岡村大橋が縁結びなのだろう。ここから港までが結構ある。岡村港に着いたのは15時半だった。15:50で大三島の宗方港経由で今治港へ行こうと思っていた。後で考えると、高く付くし、寧ろ16:15発の直行便より遅くなる。乗らなくて正解だった。急いては事を仕損じる。港の係員に確認して良かった。この係員に時間があるので喫茶店を聞くと、ハッキリとないと言われ、参った。乗船客も少ない。港の前には岡村小学校僻地集会所があり、隣はスーパー。警察官が港に来ていて、話を伺うと、小中学校が一緒になっていて13名ほどしか生徒はいない。小学生は新移住者の3人の子供。この島では60歳代でも若い方と言われたのには流石に驚いた。人口は250人弱、65歳以上が7割近いそうで、毎年1割減っているとのこと。大変だ。あまりに交通の便が悪い。橋は必要と感じた。船は時間通りというか、出航時間が早い。乗客が少ないので見切り。小大下島、大下島と巡って今治港へと向かう。全て見切り出航で、人がいないと即出航になる。早く来ていないと大変だと思った。しかし、風景は美しい。来島海峡大橋を眺め。潜って港に向かう。海峡には渦が巻き、潮の流れを感じる。船からだと海が近い。迫力も増す。船から橋を見上げると、この美しさ、大きさと高さに圧倒される。明日はこの橋を渡るのかと思うと、高所恐怖症の自分には怖くなる。落ちはしまいが。橋に見惚れていて、最後まで来島の存在に気が付かなかった。来島は村上水軍の城があった。本当に小さい島、これで海峡の名になるのだから、いかに水軍が凄かったの証明になる。とびしま海道は岡村島までで、今治からはしまなみ海道になる。海道がリンクすると次の何かが生まれていく気がしている。まだまだ可能性がある海道と感じた。島々にはそれぞれ特長があり、名所があり、景色があり、惹きつけるものがある。これを引き立たせるのが、海であり、空であり、流れる雲、浮かぶ船に違いない。

16. 今治港🚲..しまなみプライムホテル今治 やきとり 山鳥
今治港に着き、早速ホテルに向かう。途中、広場でサッカーのパブリックビューイングが開催されており、すごい熱気を感じた。なんとJ3のFC今治の応援だ。この時はJ2に昇格しそうとは知らず、来年クラブ史上初めてJ2で戦うことになることが後でわかった。雰囲気をこの時感じた。今治からだとおいそれと東京や名古屋くんだりまで行くのは大変だ。J1に昇格すれば行かざるを得なくなるだろうが、まあパブリックビューイングの応援は当たり前なのだろう。200人以上集まって盛り上がっていた。いずれにしても来年勝負。楽しみに違いない。今日泊まるのはしまなみプライムホテル今治 今年3月できたばかり。全てが新しい。welcome drink まで準備していたのには驚いた。インド人が2人で出来上がっていた。海外の客も多い。イスラエル人の女性と挨拶したのにはびっくりした。いいホテルは海外にも早く紹介される。最上階に展望風呂があり、今治の景色を堪能できる。楽しみだが、まずは呑みに行かなければならない。ネットで焼き鳥が有名と聞いている。私のポリシーとして店の予約はしていない。何故なら、ネット情報を鵜呑みせず、まずはネット紹介の飲み屋に行き、自分の目で良ければ入ると決めている。週末、しかもサッカーの応援団の酒盛りで酒屋に雪崩れ込んでくるのも恐怖だったので狙いの店に急ぎ向かう。やきとり 山鳥は狙いの店の2番目で、1番目は呆気なく断られた。これは盛り込み済み。カウンターで1人地酒1杯と肴、もう年で、量はいけないので、値の張らない看板料理を頼んでいく。これで腹一杯になれば良しとする形。店のオススメの品書を見ていると”ナゴヤ“とある。マスターに聞くとフグとのこと。何故フグが名古屋なのか?フグは名古屋に限るだろうか?秋刀魚は目黒に限るの乗りか?フグと言えば下関のはず。今は北海道の生産量が一番らしいが。ふぐ料理は関西で、名古屋のフグ料理は聞いたことがない。若い頃であれば、すぐピンと来たに違いない。昔確かに聞いたことがある。そう遥か昔。年を取るとシナプスがなかなかくっ付かない。この言い回しは瀬戸内海特有らしい。尾張名古屋は城で持つが頭に浮かべれば、分かる。尾張と終わり、もっと言えば、美濃尾張、身の終わりだ。ふぐ毒の致死量は、0.5~2mg、これは青酸カリの約1,250倍。考えてみれば、フグ食を禁止したのも、村上水軍を滅ぼしたのも豊臣秀吉、瀬戸内海でフグを持ってまわしたようなナゴヤと呼ぶ理由も分かる。酒は梅錦、愛媛の酒造。なんとビールを作っている。ドイツ黒ビールボック、雄ヤギだ。深いコク、世界三大醸造酒はワインとビールと日本酒、最近は味わいが一体化しているように感じる。醸造を極めれば同じ味わいを作り上げるのか。今治は鳥皮が有名だが、違いをこの店で教えてくれる。ぷりぷり感がまず違う。これは厚みからくるものだろうが、口一杯に広がる味わい、全て普通に食べている鶏皮を凌駕する。ビールで正解。流石日本三大やきとりの一つ。最早大満足でホテルに向かう。天上風呂が待っている。風呂の階にランドリーが並んでいる。便利!サイクリスト向けのホテルなので、自転車もホテルの中に置け、洗濯も配慮している。眺望も言うことなし。部屋も最高、朝風呂も入れ、朝食はバイキング、しまなみ海道を走り切る力をもらった。
2024.08.25 しまなみプライムホテル今治 🚲 しまなみ海道..来島海峡大橋..大島 道の駅 よしうみいきいき館 ..亀老山展望公園..村上海賊ミュージアム..能島水軍レストラン..伯方・大島大橋..伯方島..道の駅 伯方S・Cパーク..大三島橋..大三島 大山祇神社..サイクリストの聖地石碑..多々羅大橋..生口島..瀬戸田サンセットビーチ..瀬戸田垂水温泉
17. いよいよ世界のしまなみ海道へ 来島海峡大橋から
“bicycle routes top10 in the world”とネットで検索すると、ほぼ必ずShimanami Kaido – Japanがでてくる。🚲は欧米で生まれた。欧米にはサイクリングツアーを楽しむ文化がある。これは歴史に裏付けられた正真正銘の文化だ。日本に浸透するのは高度経済成長を経験した60年代以降で、欧米からツアー用🚲が入るようになってからだ。自ずとサイクリングロードなんて観念がなかった。日本ではまず流通経済を加速させる車道ありきで、単なる遊び道具の🚲のために専用道路設置なんて考えも及ばなかった。バブルが弾け、経済成長が翳りを迎えた時、箱物行政、車道整備に一段落した地方自治体が目指したのが、観光業の育成で、90年代後半から2000年代初頭にサイクリングロードが各地に広がる。しまなみ海道もビワイチもほぼ同時期に名を売るようになっている。ただ欧米と違うのは自然を満喫し、時には喘ぎながら走るルートとなっていない。あくまでも日本らしく生活道路の延長上の観光用なので、誰でもどんな自転車でも走れる。これがいいところだろう。要は素人向きなのだ。片意地は不要。だからいろんなサイクリストが走っている。私もその1人、折り畳み自転車に半袖半ズボン、リュックを背負って走った。何の問題もなかった。私のようにしまなみ海道を往復しない人間は是非、今治から尾道を目指した方がいい。橋上のすれ違う道は左が海側になる。一般道は細いので気にしなくても良いが、橋からの景色を優先すると北上すべきとなる。何故なら、しまなみ海道の最も堪能すべきは橋からの壮大な景色になる。瀬戸内海は確かに内海だが、海に変わりはない。海を渡る景色はすごい迫力になる。まして長大なる橋を渡る。橋からの眺望なくしてしまなみ海道は語れない。特に来島海峡大橋は全長4,105m、高さ65m。正に天上を走る感覚を覚える。空が近く、雲の流れを身近に感じる。眼下に海峡の潮の流れ、船の行き来、遠く重なる島陰を望む。自転車で走る喜びは風を感じ、風景に一体化することだ。疲れれば休めば良い。景色を目に留めたければ止まって眺めれば良い。更にしまなみ海道の魅力はサイクリストを飽きさせない風景の妙にある。6つの島を渡りながら70kmを走ることにより、橋を渡る度にワクワク感をライダーに起こさせる。琵琶湖も霞ヶ浦も広い湖なので、単調な風景を見続けることになる。途中どうしても眠くなる。それがない。橋も美しい。上るのはしんどいが、山に上るのとは違い、先は知れているし、取付道路はすべて勾配3.0%で設計されている。橋の美しさは筆舌につき難い。ハープのようであったり、帆のようであったり、タワーのように凛々しい。渡る島にはそれぞれ特長があり、名所旧跡、美味しいものがある。これを見て食べて回るのもいい。飽きない。
来島海峡大橋から大島へ、橋から下りると道の駅 よしうみいきいき館がある。ここで一休み、駐輪場に自転車を停める。高齢のおじいちゃんが年紀の入ったロード自転車を立て掛けて、着古したサイクリンウェアを着てベンチに座っている。挨拶すると、今日もいい天気になる、スマホで雲行きを示されて、ニコリともせずおっしゃる。私もこのおじいちゃんみたいに元気で走り続けたい。店に入り、みかんジャムや振り掛けの小瓶数個をお土産に買う。スマホ決済可能が嬉しい。酒瓶をリュックに入れているので、そう多くは買えない。店を出て、自転車へ、店のおばちゃんが飛んできた。スマホ忘れましたよ、と。バックに買った物を詰めた後、置き忘れたようだ。感謝、スマホ抜きには生きていけない。スマホナビで島を渡っている。写真もログも全てスマホに入っている。無くしては路頭に迷う。助かりました。自転車に戻る。もうあのおじいちゃんはいない。老いが忍び寄っている。しかし、まだまだ戦わなければならない。まだしまなみ海道の旅は始まったばかり。坂道を上る。2人の青年の乗る自転車に追いついた。若いフィリピン人男性達だった。英語で挨拶を交わす。今治の工場で働いているとのこと。今日は日曜日、休みなので借りて走ってきたとのこと。オンボロ自転車だ。彼らは気にしない。着の身着のままの格好だ。年を聞かれた。64歳というと、驚いて、フィリピンでは家で寝ている年だと言われた。急にビートルズのWhen I’m sixty fourが口から出てきた。そうか、最早64歳なんだと改めて認識した。彼らと離れて更に山へ向かう。亀老山。
僕が年をとって髪も薄くなっても、バレンタインや、誕生日にカードやワインをくれるかい?夜中の3時までに帰らなかったら追い出すかい?必要としてくれるかい?料理も作ってくれるかい?僕が64歳になっても?
何とか女房に捨てられることなく、この年まで生きさせてもらっている。
参考資料:Top 10 Most Beautiful Roads In The World To Ride A Bike The ten most impressive bicycle routes in the world 7 best bike routes in the world The best and most beautiful cycling routes in the world Here are the 30 Most Beautiful Bicycle Routes in the World The 30 most picturesque cycling routes around the world 18 of the world’s best (long distance) cycling routes 10 of the Most Beautiful Cycling Routes in the World Top 10 Scenic Bike Routes Worldwide
18. 亀老山絶景が待っている。ただ、本当にきつかった。😓
亀老山は標高307.8m、結構な高さだ。フィリピン人たちとゆっくり坂道を上っていた時、抜いて行った若いお嬢さんがいた。いい自転車。ロードタイプ、道に迷っているようで、立ち止まっては携帯で地図を確認している。どうも私と同じ山へ向かっているようだ。私は暑いので、スマアホナビに従い、抜け道して山へ向かう。お嬢さんは後から来て、また私を抜いていった。軽やかだ。他にも二人組の香港人が抜いていく。電動自転車を借りたのか、サイクリングスーツとヘルメット、きまっている。山道の電動自転車は大変だ。気をつけるように言った。重いので、踏み込めなくなるととコケる。日本は電動アシストなので、慣れないと大変だ。中国の電動自転車は踏み込む必要がない。理解しているか心配になった。亀老山は山頂まで4km、傾斜5-9%、最後は15%まで上がる。この道の酷さは遊びを設けていないこと。ひたすら路肩を上るのみ。車のための道。5日分の荷物、更にお土産の酒、瓶類を詰め込んだリュックを背負い、折り畳み自転車七段変速でふらつきながらも上る。真夏の太陽が否が応でも照り付け、身体中、シャツ、パンツ全てから汗が被たたり落ちてくる、昔取った杵柄は最早通用しない。私を抜き去ったお嬢さんも途中休んでいた。きつそうだ。ロードサイクルでそうなのだから。香港のお兄ちゃんたちも同様、途中休んでいる。”加油”と元気付けてあげた。尤も彼らは山頂へは私より先に着いている。萎える心と体と気力との葛藤に打ち勝ち、私も何とか上り切る。喜びは山頂、眼前に広がる景色に望んで爆発する。しまなみ海道1番の眺望に違いない。空との境界線を夏の雲が引いている。島々と船と橋が潮の流れを遮って、くっきりと紺青の海を湧き立たせている。正に迫力ある空と雲と海の競演だ。この展望台の素晴らしさは広く、開放的なところだ。先に辿り着いていたお嬢さんも満足そう。東京目黒から今春就職し、赴任先が広島だったので、初めてしまなみ海道を走ったそうだ。香港人も疲れ切っていたが満足そうだ。しかし、海外でもこの山は有名なのだろうか?香港でもこんな山に登ったと記憶しているが。展望台の下の茶屋でポカリをがぶ飲みしながら、店のおばちゃんの話を聞くとを、展望台ができて丁度30年、最初は車のお客さんだけだったが、しまなみ海道サイクリングロードが有名になって、自転車で上がってくる客が増えたそうで、こんな急な坂を誰も自転車で登ってくるとは思わなかったとのこと。そりゃそうだ。同じく自転車で上がってきた青年が話に入ってきた。船乗りになる勉強をしに長崎から来ているそうで、何度かしまなみ海道を走っているとのこと。これから村上海賊ミュージアムに海岸沿いに向かうと言うと、彼も海岸沿いを走って伯方島に向かう由。尤も彼は若く、自転車はランドナーの太いタイヤは着けてはいるが、ロードタイプだ。一緒に走れる訳が無い。
19. 村上海賊ミュージアム 海に生きた海賊の歴史を辿る
村上海賊ミュージアムは大島観光の目玉であり、亀老山の次と決めていた。島の北東にあり、南東にある亀老山からは地図上でパッと見、東海岸を走れば早く着くと思った。海際は景色もいいだろう。単純な話。しかし、実際はそう単純ではない。亀老山で会った若人達から遅れ、東海岸に向かう。何と、あの長崎から来ている青年が私を待っている。いやあ、私のスピードをどう思っているのか。並走してくれるようだ。先に行ってもいいよと言っても、後ろに付いてくる。どうもこの道を薦めた責任を感じているようだ。彼は来たことがあると言っていた。アップダウンの続く細い道で、とても海沿いの道に思えない。灌木を縫って走り、時々海が覗く程度。正にlong and winding roadになる。人家もほぼ見えない。とてもメジャーなしまなみ海道とはほぼ遠い。途中、大きな船着場を抜ける。自販機があったのは嬉しい。汗だくだ。また山に入り、上り切って、下りていくと右手に大きなミュージアムが見えてくる。青年は私に別れを告げる。こんなキツい道ではなかったと弁明するが、時期が悪かったと私は言った。確かに真夏に走る道ではない。ミュージアムに着く頃にはもう昼時で、丁度ミュージアムに面して海側に能島水軍レストランがある。覗いてみる。満席だ。何と香港の若者2名の姿が見えた。美味しそうに食べている。ここにも来ているのには驚いた。結構入り口で並んでいるので、ミュージアムを先にした。彼らも勿論、後からミュージアムに来ている。
ミュージアムの名称では村上海賊になっている。我々の記憶に残っている名は村上水軍で、これは1588年に豊臣秀吉の出した海賊停止令によって村上氏が海賊ではなく水軍として生き延びたからだ。何故、今また海賊に戻ったかというと、2016年日本遺産認定を受けたのが村上氏の栄光の時代、海賊だった頃のことだからだ。海賊と言ってもカリブの海賊のように略奪、殺戮を働くものではなく、瀬戸内海を独自の水軍で水先案内や警護を行い、更に貿易で糧を得、力を有した豪族。世に出たのは南北朝時代1349年のことで、織田氏と毛利氏との1576年の木津川口の戦いで名を馳せる事になる。ただ、これが打上げ花火に過ぎず、覇権を征することはなかった。織田、豊臣、徳川という天下取りに靡く歴史の趨勢の中で流されていく。村上氏がこの地で海賊とし、栄えたのはほぼ230年、丁度日本の中世後期に当たる。群雄割拠の時代に生きた武士の軍団だった。海に生き、海を舞台に覇権を握ったところは日本の元になる倭に繋がる。そして倭と同様、覇権に拘らず、歴史に埋もれていく。彼らは三島村上氏と呼ばれた。因島・能島・来島の三島をそれぞれ根城にし、海峡を制し、権力基盤とした。ミュージアムがあるのは能島村上氏の領地、海賊王と呼ばれた村上武吉の牙城であった。しまなみ海道は彼らの領地を巡る事になる。最終地は因島。城がある。ミュージアムには香港人も来ていた。2度あることは3度ある。何と彼らと会うのはここだけではなかった。もう午後2時になる。能島水軍レストランに戻り、奮発して鯛飯にウニ、生卵をつけた。精がつく。海を眺めながら遅いランチとなる。先は長い。伯方・大島大橋を渡って伯方島へ向かう。途中、海に浮かぶ能島に城跡が眺められる。決して大きくない。海を見張る砦にしていたのではないだろうか?
参考資料:瀬戸内海に見る村上水軍の歴史的役割 秘境!!村上水軍が活躍した海。来島・能島・因島!! 村上水軍の一族
20. 伯方・大島大橋を渡って伯方島..道の駅 伯方S・Cパーク..大三島橋を渡って..大三島.. 大山祇神社..サイクリストの聖地石碑
元々の計画では昼頃には大三島に渡り、大山祇神社の参道で美味いものでも食べ、のんびりして、多々羅大橋を越えて、生口島の瀬戸田温泉に向かうことにしていた。まず、亀老山登山がこの甘い考えを吹き飛ばした。更に厳しい道なりに村上海賊ミュージアムへ向かい、タイムロスした。ここでもう午後2時になる。致し方なく、ここで昼飯、計画は瓦解した。兎も角、午後6時には民宿に着かなくてはならない。伯方・大島大橋を渡って伯方島に着く。どうしても伯方と言ったら塩!塩ソフトを食べなくてはならない。道の駅 伯方S・Cパークで海を見ながら塩ソフト。しまなみ海道は海あり山あり、そして浜あり。浜があるからのんびりできる。サイクリストにとって一番の憩いの場になる。伯方の浜は最高だった。多々羅大橋の袂に辿り着いたのが午後4時、もうそのまま温泉に向かうか、それとも予定通り神社に向かうか、悩んだ。結局予定を優先した。大三島に渡りながら大山祇神社に寄らないのは片手落ちになる。何せ、大山祇神社には謎がある。 大三島は瀬戸内海の芸予諸島中央に位置する最も大きな島、そこで何故、山の神大山津見神を祀っているのか?しかも全国に1万余りの分社を従える三島神社総本山であって日本総鎮守。三島と山の神の関係は?そもそも三つの島とは?誰でも疑問に思うものだ。兎も角向かう。三村峠を越えるまでが大変だが、上ってしまったら降りるのみになる。全て車道だが、それほど車は走っていない。島の北北東から南南西に抜ける。神社は西に向かっている。もしかして朝鮮半島を広島・山口を越えて見ているのかもしれない。対馬の和多津美神社を思い出していた。神は海を越えてやってきた。神社に着くと何と香港から来ていた青年達がいるではないか、今日はこの近くに泊まるとのこと。まさか3度も会うとは思いもしなかった。彼らはこの神社をどう見ているのか、じっくり聞きたかったが、残念ながら時間がない。最早午後5時に近かかった。サイクリストの聖地石碑に着いたのが、午後5時半、着くのは6時過ぎる。ここで民宿に到着の遅れることを連絡する。群馬から来ているというメンバーが写真を撮っている。微笑ましい。モデルは若い女性がいい。サイクリストの未来は若い彼らに託されている。この石碑はちょうど10年前の2014年しまなみ海道と台湾日月潭サイクリングコースによる姉妹自転車道協定の締結と、サイクリング大会「サイクリングしまなみ」の開催を記念して立てられている。この地には、台湾自転車メーカーのGIANT会長の劉金標氏も訪れている。10年前のサイクリング大会は元々、彼らの主催だった。会長が愛媛県知事に初対面で言った言葉がいい。「自転車は人々に健康をプレゼントする、生きがいをプレゼントする、友情をプレゼントする。ここに切り口はある。にぎわいは後から付いてくる」自転車は単なる移動手段ではなく、環境にも配慮したライフスタイルと一体化したツールといった見方に間違いはない。しまなみ海道の世界的成功は正に台湾からの支援があった。今やGIANTバイクは年間生産台数650万台以上で世界最大のシェアを誇っている。一方、しまなみ海道は世界に名だたるサイクリングロードになった。
参考資料:まるで海の上を走っているみたい…しまなみ海道に世界中からサイクリストが集まるようになったワケ
21. 大山祇神社は韓国沖の三島の神を祀っていた








大山祇神社は元々大三島神社と呼ばれていた。伊予国風土記の逸文によると、「坐す神の御名は大山津見神。一名は和多志の大神なり。この神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇(仁徳)の御世に顕れましき。この神、百済の国より渡り来まして、津の国の御嶋に坐しき云々。御嶋といふは、津の国の御嶋の名なり。」風土記から、大山津見神は、仁徳天皇の世、4世紀末から5世紀前半の時代に摂津に鎮座したことになる。摂津に今もある三島鴨神社は4世紀半に創建されたという。何れにしても大三島神社はその時代に創建された。百済の神を誰が伝えたのか?何故摂津に入り、神社を創建し、また大三島にも神社を建てたのか?三島鴨神社が創建された時期に、同じく摂津に三島古墳群が築かれた。世界一の古墳を有する和泉の百舌鳥古墳群が現れる遥か前になる。この三島野の地にヤマト王権に先駆けた王権が樹立されたと見るべきだろう。これが加羅の支援を受けた朝鮮半島南部から九州の北部にかけて力を持った倭国ではなかったのか?この時期は加羅全盛の時代に重なる。百済の一部もまた加羅だった。難波を征するにあたり、潮流の激しい瀬戸内海を漕ぎ切るため拠点を持つ。これが大三島だった。大三島は一つの島であって、島の名は寧ろ大三島神社から来ている。伊豆の三島も三嶋大社から来ている。伊予国風土記では摂津三島を御嶋と読んでいる。三島野の地を遜って御嶋と呼んだとも思えるが、中洲の地を三島と呼ぶのは不自然で、しかも瀬戸内の島には正統を表す大を付け、大三島としたことが解せない。一体三島はどこにあるのか?風土記には、奉じている大山津見神は百済の神で、別名が和多志の大神としている。和多津美(海神)に似ている。倭と共に渡ってきた神ではないか?⛩️は神社より古く、神の通る道とされている。⛩️は、ニつ以上の並んでいる。⛩️の方向に向かえば、神の辿った道が見える。海洋民族だけに方向に間違いはない。対馬では2つの別々の和多津美神社の⛩️が加羅の巨済島の加背港を指していた。同じように百済のどこかの島の港を指しているのではないか?そこからこの神社を奉納した人々は渡ってきたということになる。google mapで二の⛩️から一の⛩️を繋げ、更にその線を延ばす。阿奈波神社を抜け、瀬戸内海、広島、山口、対馬を掠め、朝鮮半島と済州島の間の所安島の港にぶつかった。何と地図上に他に二島が見える。三つの島だ。大山津見神は現在の全羅南道莞島郡の所安諸島の蘆花島、所安島、甫吉島の神ではないのか?大三島には百済からの帰化人の記録はない。この三島は当時加羅に属し、倭人の住む島であった。倭人は海洋民族であり、ルーツを中国の江南の地。氏神信仰を持ち、これが今の神道へと繋がっていく。氏神信仰の総元締めが日本総鎮守。大山津見神信仰の原点が大三島にあり、倭人の支配地として、水軍を擁していたのではないか。これが村上水軍の元になった。白村江の戦い以降、ヤマト王権が山城を瀬戸内海に沿って、海を睨むかのように設けている理由が分かる。山城を作ったのは百済人。大三島の封じ込めだ。倭国は神馬を初めて持ち込み、神道で民を取り込み支配権を得ていた。倭国は500年続いた。この名残が今もある。これを否定せず、更に仏教を取り入れ、神仏混淆により、ヤマト王権は民を支配していく。宗教は今も昔も統治の道具になる。倭国の神道は日本に根付いた。これは日本古来の原始宗教と結びついたおかげだ。倭国の歴史は今どこにも残っていない。焚書したのか否か、ただ、遺跡や古墳、神社の中に残るが現王権は全てを開示させていない。ヤマト王権は倭国の歴史を自らの歴史にすりかえ、日本書紀を編纂する。倭国の歴史をヤマト王権のものとした。倭国の歴史もまた韓国では封印されている。倭国は悪しき日本の象徴とされている。中国においても倭は蔑みの対象になっている。所安島には独立運動で日本に迫害された記念碑を守り、🇰🇷国旗は捧げない日はない。倭国が見直される日は来るのだろうか?倭国は日中韓を繋げた国だった。
参考資料:三島野古墳群 三島・大山祇信仰とは何か しまなみ海道の中心、大三島に鎮座する「日本総鎮守」大山祇神社 大山祇神社と三嶋大社 御嶋・熊野の岑 日本に残るニライカナイを求めて 第3回 大三島・大山祇神社 莞島の旅[201912_01] – 「抗日の地、解放の島」所安島 蘆花島ってどんなところ?
22. 多々羅大橋を渡り、生口島瀬戸田サンセットビーチ そして 瀬戸田垂水温泉
多々羅大橋は、嘗て世界最長だった斜張橋、100本ほどのワイヤが塔から橋へ左右に渡され、橋を支えている。桁橋にはない、空を突き刺すような存在感と奥行きを与えている。吊り橋は一本のワイヤの曲線美になるが、斜張橋は全て直線美になる。見ていて飽きない。橋の袂に着いたのは最早午後6時前、夕暮れが迫っている。それでも夏は日が長いので助かる。まあ予定通り大山祇神社まで行けたので良しとする。本来であれば、大三島を左回りにぐるっと巡りたかったが、贅沢は言えない。橋の下では潮が渦巻いている。すごい迫力だ。さあ急いで、4日目の宿泊先、 瀬戸田垂水温泉に向かう。いよいよ愛媛県から広島県に戻る。ぐるっと海道一人旅も最後の晩になる。半老人よく頑張った。最後のご褒美が大好きな温泉というところが嬉しい。宿泊先には若干遅れると連絡を入れており、瀬戸田に着き、浜辺に出る。なんて美しい夕暮れか。有名な瀬戸田サンセットビーチとは知らなかった。夕日を見ながら1人ビールジョッキーを掲げ飲んでいるおっさんを見かける。良く見ると人形だ。しかしいい風景、写真に収める。孤独な老人には夕暮れ時が良く似合う。老人は人生の夕暮れ時に佇んでいる。日が暮れて、何も見えなくなっていく。過去も未来も消えていく。闇が身を包むと人生の最後を迎える。死は永遠に日が昇らない闇の世界。ゆっくり眠れていいじゃないか。温泉は近く、浜辺にある。着くと私と同じ世代のようなオーナーが迎えてくれた。午後6時を10分ほど過ぎたくらいだった。申し訳ないが、先にお風呂に入れてもらう。リーズナブルな宿泊費ながら、部屋は広いし、窓から浜辺を通し、海が望める。内海は波の音がしない。海の近くなのに静かなのが不思議に感じる。海に映える夕焼けが美しい。風呂も浜に面している。窓から望む景色に息を呑む。静かな内海に映える沈む夕陽の美しさ。まさに時間の止まった風景になる。この風景を拝めるだけでもここに泊まって良かったと思う。疲れも吹っ飛んだ。宿泊客は日曜日でもあり、私以外2組、1組は青年2人、静かな関西人だった。車で来ていた。今時の若者は他人と話すことを好まない。関係ない人間とは接したくない気持ちもわかる。1組は女性一人旅、年齢は私に近いように感じた。愛知県から来ており、レンタサイクルで尾道から今治に抜ける由、なんと今治から松山に抜け、更に佐多岬から大分に渡り、友人を訪ね、九州を巡る旅に入るとのこと。台風が襲ってくる天気予報をご存知か、気になった。次の朝、この旅で唯一の私の写真を撮って頂いた。私の想像だが、彼女も人生の区切りがつき旅に出たいと思われたのではないか?旅慣れされている方とは見えなかった。
2024.08.26 生口島瀬戸田垂水温泉🚲 しまなみ海道..洲江港⛴️..岩城島小漕港🚲ゆめしま海道..岩城橋..生名島..生名橋..佐島 ゆめしま海道佐島展望所..弓削大橋..弓削島 馬立の鼻..上弓削港⛴️..因島家老渡港🚲..やまねカフェ..因島水軍城 本丸..因島大橋..向島 尾道駅前行き乗船場(富浜)⛴️..尾道
22. ゆめしま海道へ向かう
ゆめしま海道は愛媛県越智郡上島町の島を渡る道。岩城橋が一昨年の2022年に開通し、岩城島、生名島、佐島、弓削島の4島を通して走れるようになったばかり。新しい道とはいえ、最初の2島佐島と弓削島を渡る橋は1996年で28年前。次の2島生名島と佐島を渡る橋は2011年で13年前と長い年月をかけて繋げてきた。そもそも島を繋げる計画は1969年に立てられている。なんと全島架橋に55年もかけている。正にゆめしま海道は、全ての島民の長年の夢を叶えた海道になる。やっとここまできた感があるが、ここで終えた訳ではない。次はしまなみ海道とゆめしま海道を繋げることになる。因島と生名島の距離は最短で252km弱、4島最短の佐島と弓削島間255kmより狭い。島民の生活の利便性向上も考えると計り知れないものがある。尾道、今治と4島が繋がることになる。小さな橋だが、未来へ向けた大きな架け橋になるだろう。橋は島がある限り繋がっていく。生口島の洲江港から岩城島まで⛴️で向かう。瀬戸田垂水温泉からは生口島を右回りで向かった方が早い。しかし敢えて今回時計回りで向かった。単純な話、来た道を戻りたくなかった。また、右回りだと生口橋を臨んでから行ける。しまなみ海道から外れるので、サイクリストも見かけない。夏休み期間中の平日なので、車も少ない。のんびり走った。今日は旅の最終日、夜の便で広島空港から東京に帰る。尾道からまた輪行、今日は旅の最長距離58kmを走るので、尾道で温泉でもと思っていたが、到着時刻次第で諦めることも視野に入れていた。飛行機に間に合わなかったら目も当てられない。運がいいことにこれまで雨に一度も降られていない。暑いは暑いが、自転車に乗っている間は風がある。体調もいい。なんとか乗り切れそうだ。瀬戸田垂水温泉を出たのが朝8時、洲江港に着いたのが9時半、9:40発の⛴️に丁度間に合った。行きはラッキーだった。岩城島の小漕港まで10分かからない。正に小漕ぎになる。内海なので波もない。海もそう荒れない。揚子江を20年前、常熟から南通の港に渡った時を思い出す。今は蘇通大橋ができ渡しもなくなっている。この橋も斜張橋だった。あの頃世界一最長だった多々羅大橋を抜いていた。今はロシアの橋に抜かれている。揚子江の渡し船も降車用ランプウェイは下ろしたままだった。大河も瀬戸内海も波がない。⛴️のランプウェイに”ようきたのう“と大きく書いてあるのが微笑ましい。
参考資料:造船業不況により島が沈むと言われた島 つながる上島4島 半世紀見た夢実現
23. ゆめしま海道 空と海の狭間、3つの橋を渡り4島を巡る
小漕港から自転車を漕ぎ出したのは9:50am.スマホナビに従って、岩城橋まで、住宅街を抜けていく。綺麗に整備されてはいるが坂道になっていて、寧ろ、海岸線を走れば良かったかもしれない。海岸線に古い造船所が見えたので避けたところはあるが、長江港の脇を走れたはず、まあ後の祭りだが。選んだ道は山の裾野を走るので、結構アップダウンがあった。岩城橋に着いたのが、10:20am. 30分ほどで着く。この橋の怖さは高さと歩道がないこと。高さは最高で45.5m、15階建てビルの高さになる。路肩を走る。路肩は怖いので車道を走る。まあ車は少ないのでいいが、跳ねられて橋から落ちたらと考えるとゾッとする。高所恐怖症の自分にとっては堪らない。橋の長さは735m、ひたすら耐える。しかしこれは序の口。あと2つの橋が待っている。生名島に入り、コンビニで水分補給、子供達がいる。和気藹々。そこへ欧米人数人が町所有のライトバンに乗ってやってきた。英語教師とのこと。驚いた。こんな離島に欧米人が数人も英語を子供達に教えにきている。対岸が因島、世界シェアトップクラスの造船所が近い。生名島はそこで働く人々の住む島で、住宅街が発達している。正に粋な島。生名橋は海岸線を走ると見えてくる。橋の長さは515m、高さも最高で24.5mと岩城橋よりは21mほど低いが、それでも海までビル8階の高さ。やはり路肩を走る。問題は防護柵が1mと低く、6本の円筒のみ、外へ広がるデザインでできている。不安定さを増大する。正に落下の恐怖を味わう。足が震えた。強風の時、果たして渡れるの?佐島へ渡るとゆめしま海道佐島展望所が左手に見えてくる。とびしま海道やしまなみ海道と違い、名所旧跡や砂浜が道沿いにないので、ひたすら車道を走る形になる。佐島はあっという間に終わり、弓削大橋に辿り着く。この橋の長さは980mと距離は長いが片側に自転車道と歩道が設けてある。高さは21mあり、防護柵もそれほど高くはないが、防護柵から離れて走れるので、恐怖感が違う。弓削島に着いたのが11:15am、ここは愛媛県の北端で、更に北端が馬立の鼻になる。折角なので最北端に向かう。馬立の鼻には何もない。ただ静けさのみ。途中防波堤アート「天の花」も見られるが、全て単なる島の風景の一部に過ぎない。因島までは上弓削港からの⛴️になる。頻繁に出ていると聞いており、ついついのんびりしてしまい、墓穴を掘った。12時台の船便が減らされていた。昼休みかな?急げば間に合った。後悔先に立たず。10分差で船が出ていた。50分待つことに。桟橋には何もない。地元の高校生らしき体格のいい学生1人が自転車を傍に佇んでいる。真夏の太陽が照り付ける。とても私は耐えられない。日陰を探し、右往左往すると道を挟んで、トイレのある休憩所が見つかる。助かった。中途半端な時間待ちなのでどこへも行かなかった。自販機で買ったポカリを飲んでいた。近くに食事をするところがない。あっても平日特に月曜休みが多い。桟橋を見ていた。何とあの学生はそのまま立っている。暑くないのか?ついに船が来るまで彼はそのまま立っていた。すごい忍耐力だ。船で「暑くなかったのですか?」と聞くと、気にしないと言っていた。正に島人の忍耐強さを感じた。あの橋だって怖くないし、橋から自殺なんて考えも及ばないのだろう。平日昼下がり、船に乗っているのは学生、私も含めて4名ほど。因島家老渡港には10分とかからないで着く。
参考資料:初めてのゆめしま海道・船×自転車の旅 愛媛県 開通した岩城橋と生名橋・弓削大橋の3斜張橋で地域振興を 造船業の現状と課題 生名橋 弓削大橋
24. 因島やまねカフェ驚き🦑のペペロンチーノから迫力の因島水軍城 本丸
因島家老渡港に着いたのは13:20昼はここと決めていたやまねカフェ、スマホナビで向かうも、全くの住宅街にあるのには驚いた。普通の民家がカフェになっている。しかも古民家。ここでパスタ料理なの?物凄いギャップ感。頼んだのは🦑とキャベツの麦塩麹パスタとサラダのセット、1,080円也、客は他に3人の小さい娘をあやすお母さんのみ。娘が初めてGWに行った沖縄にまた行きたいと言っている。因島に住んでいても、また島に行きたいのかと思わず突っ込みたくなったが、確かに島に住んでいると、また別の島に行きたくなる。次々と島渡りをしたくなる。島の良さをしている島人だから言えるのかもしれない。料理はなかなか来ない。のんびりした時間が過ぎる。やっと来ると山盛りのパスタ!量が半端ない。体力を使うと歳をとっても量を熟せるものだ。一皿平らげた。腹も一杯。さあ、城に向かう。因島水軍城 本丸じゃ!いざ出陣、1人だが。山越えしなければならないと3人娘のお母さんに言われていたので覚悟はしていたが、流石にきつかった。途中トンネルに入るのが慰み。大山峠を越えることになる。あとは山の裾野に沿って下りていく。因島の中央に出る。城は何処に?案内板は山の上を指している。きつい坂が待っている。遙か坂の上、山上に城がある。この城は因島村上氏の菩提寺の金蓮寺が1983年に建てたもの。全く新しい。村上氏族は能島、因島、来島の三島をそれぞれ根城にした。因島以外は小さな島だが、共に城は全く残っていない。そもそも城が必要だったのか?5日間の旅を終えようとして分かった。海に囲まれている彼らは潮がよめ、周りの地形を熟知している。瀬戸内海を知らない人間が通ろうとするとまず島と岬の区別がつかない。島の間を越せばいいが、岬の先は入江で、潮の満ち引きに巻き込まれると二進も三進も行かなくなる。村上氏にとって海は城壁だけでなく堀にもなった。島が城塞そのもの。攻めるものを島陰から見つけ叩けばいいのであって、目立つ建物は敵の目印になり、攻められる対象にもなる。もし攻められても、余計なものがなければ、海に家財諸共逃げればいいのだ。だから立派な城は必要なかったのが正解。因島の城は菩提寺として昔の英華を伝える金字塔が欲しかったからに過ぎない。それはそれとして認めた方がいい。地方で城を作り続けている訳がわかる。また香港から来ているお兄ちゃんたちに会えるかと思ったが、流石に奇跡は起きなかった。因島水軍城は博物館にもなっており、一見の価値あり、自転車は流石に城までは運べない。山門の脇に停めた。登るのが大変だが、下りる時は寺に向かって下りる。墓の中を抜ける。古い時代の墓もあるが、墓誌名がない。時間がない。城を出たのは既に16時に近かった。最早、温泉なぞ行けない。因島に別れを告げ、最後の島、向島へ向かう。
25. 因島から向島、島々との別れの時、尾道で最後の晩餐
城のある町から、向島まで渡る因島大橋へは坂をやはり下りていく。旅の5日目に初めて雨がポツリポツリ降り出した。大したことはない。お湿り程度に過ぎなかった。やっと浜沿いに着く。海に八重子島が望め、その先に島々を従えた因島大橋が美しい。吊り橋で橋桁が2重になっているのは上を車、下を自転車と人が通るため。安全だが、橋からの景色は芳しくない。檻の中を走るようだ。余程、ゆめしま大橋のざっくばらんな橋の方がいいが、交通量も多く、無理なのであろう。向島に渡ると有名な心臓破りの坂が待っている。幸谷峠を越える道、最後の難関になる。これを越えれば、渡し船の乗れる富浜桟橋に一直線になる。因島大橋に着いたのが16:15、桟橋に着いたのが16:50、丁度、渡し船が出発するところだった。滑り込んだ。船は学生や地元の人々で混み合っている。帰宅の時間に近い。この旅も終わる。無事終えることが何より嬉しい。無理をしなかったことが一番良かったに違いない。自転車を畳み尾道駅から電車に乗って、バスに乗り換え、空港を目指す。尾道駅発の時間は18:42、乗車まで1時間半以上ある。温泉に向かう時間はないが、シャワーを浴びて、着替えをし、酒を飲んで、ラーメンを食べる時間は取れそうだった。尾道駅前の桟橋に着いたが、駅が分からない。道ゆく人に聞いてやっと分かった。目の前だった。初日同様、駅の中の案内所に向かう。シャワー室の場所を聞く。何と今上陸した桟橋のすぐ近くのOnomichi U2 前にあるとのこと。何故この施設がU2なのか、有名なロックグループとは全く関係ない。県営上屋(うわや)2号倉庫という名称だった海運倉庫をリノベーションしたから。丁度10年前の2014年3月にオープンしている。Onomichi U2横コインシャワーはトイレも綺麗でスッキリ。さあ祝杯は駅上カフェレストラン&バー 舷 -GEN-で、自転車は一度駐輪場に停めた。畳むのは簡単だが、荷物になる。どうしても🦪が食べたかった。そして桜尾ジンと鯛のカルバッチョを付けて2,530円也。🦪も鯛もジンが最高に合った。大満足!更に尾道と言えばラーメン!駅に並んであるのが素敵、尾道ラーメン たにに向かう。シンプルに尾道ラーメンを頼む。汁に浮かぶ背脂がいい味わいを醸し出す。旅の締めとしては最高だった。あとは自転車を畳み、電車に揺られ、空港を目指す。車窓から眺める瀬戸内海の夕陽のなんと美しいこと。真っ赤に染まる海も格別なものだ。
25. 旅を終えて、未来に夢をつなぐ道と橋を





海道ぐるっと一人旅、5日間で211.1km走った。来年は高齢者の仲間入り、年金を晴れてもらえる。この年で頑張ったのは一重にやれるうちにやりたいことを片付ける気持ちからだ。50代に癌を経験し、なんとか凌いできた。今年は前立腺の手術も熟し、健全な体へと少しは近付いた気持ちでいた。一方、若い頃碌な生活をしてこなかった付けで身体中、叩けばどこか埃が出る。無理ができない。友人の中でも既に鬼籍にいち早く入った輩もいる。天国からいつお呼びがかかっても不思議ではない年になった。若い頃、自転車が好きで好きでたまらなかった。その頃はサイクリングロードなんて整備されていなかった。整備された頃には既に勝手に遊べる年ではなくなった。やっと50代になって窓際に座れ、子も大きくなり、借金もなくなり、自由な時間を持てるようになった。遅ればせながら、やっと三大サイクリングロードを回れるようになる。しかし、時間と自由はあっても体力も気力も財力も失っている。今回の真夏の長旅はこたえたが、準備に手間と時間をかけたおかげでなんとか無事終えることができた。何より天気に恵まれた。神に感謝するしかない。
最後に老いの繰り言をひとしきり。しまなみ海道はまだまだ面白くなる。世界のサイクリストをもっと惹きつける広がりと可能性がある。これはサイクリストのためだけではない、旅人や住民にとってもだ。この道の良さは海と島と空の醸し出す風景にある。この風景の広がりは永遠だ。この風景を守り育てるには橋が必要だ。ゆめしま海道を半世紀かけて作り上げてきたように、全ての海道をつなぐ橋の設置を訴えたい。まず とびしま海道の終点の岡村島としまなみ海道の大三島を繋げることだ。これでさざなみ海道と共に海道のトライアングルが完成する。尾道、呉、今治が海道で繋がる。交流の地になるだろう。島の住民も増えるに違いない。住民の利便性の改善。特に岡村島の過疎化の問題の解決に繋がるのではないか?次はゆめしま海道としまなみ海道を繋げる橋が必要だ。これは生名島と因島間に橋を架けることで解決する。距離は251.58m、ゆめしま海道のどの橋よりも短い。可能に違いない。ゆめしま海道に訪れるサイクリストが増えることに間違いない。住民の利便性も格段に改善される。尾道も近くなる。全ての海道が繋がることにより未来への夢が繋がる。
更に言うなら、瀬戸大橋への歩道、自転車道の敷設だ。今年、橋上で電車が架線事故により止まり、乗客が5時間半も車内に閉じ込められている。もし歩道が敷設されていたらこのようなことはない。早急に歩道を敷設すべきであり、この機会に自転車道も合わせて敷設すべきだ。このことで岡山倉敷と香川坂出が繋がる。自転車で渡れることは観光の誘致にも繋がる。朗報もある。淡路島と徳島を繋ぐ大鳴門大橋に4年後の2028年、自転車道が敷設される。もし明石海峡大橋に自転車道が付設されれば、セトイチとアワイチが完成されることになる。是非、検討すべきではないか。但し、問題がある。広島、岡山側の自転車道の改善が優先すべきになる。四国側はお遍路道があり、旅人への配慮ができている。しかし、広島、岡山側は工業地帯であり、サイクリストにとって走る環境にない。経済は全てに優先される。サイクリストをどう守るか、サイクリストにとって魅力ある道にどうすればできるか、さざなみ海道を走って分かった。まず車道に青ペンキで自転車道を作るだけではダメで、自転車専用道を各所に設けるべきだ。線路への付設や、橋の設置、幹線道路を自転車がなるべく通らなくて済む道の設置等、改善すべきだ。さざなみ海道は美しい海岸線を走る。ただ、危険を伴ってはのんびり走れない。是非配慮できたら、この海道の魅力も増すに違いない。セトイチにさざなみ海道も含まれることになろう。
もう私もまた走れるとは思っていない。ただ、少子高齢化の環境の中で、島々の人々にはまだ将来の夢が描ける。1時間近くも船を待ち、桟橋に佇んでいた高校生の姿が忘れられない。半世紀かけて島々を繋げたのだから、あと1世紀かけても橋を架け続けるのはなんでもない。要は立ち止まってはいけないことだろう。




















































































































































































































































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