老いを生きる術4選🗻🛌🧔‍♂️🐕

いよいよ、政府公認の高齢者の仲間入りができる65歳👏👏👏!年金を満額戴けるようになる。ありがたい🥲。友人の中には既に鬼籍に入ったものもいる😭。一生懸命働き、税金を払い続けてきたにも拘らず、年金も貰えず、この世を去るのは実に寂しい。生きていさえすれば年金が下りてくる。年金のみで生活なんて到底できないが、生きていく足しにはなる。しかし、老いを迎えて生きていくことはそう生易しいものではない。老人はいつ死んでもおかしくない。運良く永らえたとしても呆けが襲ってくる。75歳以上で10人に1人80歳を超えると5人に1人認知症にかかる。問題は要介護75歳を超えるとほぼ4人に1人が認定を受けるようになる。自分のことができなくなった時、人生は自分のものではなくなる。楽しい年金生活なんてアッと言うまで、後は暗黒の世界が待っている。75歳がボーダーで、10年間がやりたいことをやれる正に勝負の時になる。今までの蓄えを全て注ぎ込むべきだ💪。尤も日本の男性の平均寿命は81歳なので、75歳で要介護になっても6年も我慢すれば永遠の安らぎの世界に入れる。老いを生きるとはどう言うことか?限られた時間と資産を見つめながら、衰える肉体と精神と知能と共に生を全うすることだ。生きるとは身の丈にあった人生の旅を楽しむこと。今を生きる喜びを噛み締めること。そのために何をすればいいのか?余計な鎧や兜は脱ぎ捨て、身軽になって一歩でも前に歩み続けること、そして老いを理由に全てを諦めないことそして何より終の伴侶を迎えることだ。

  1. 🗻は眺めるもの

老いてまず知らなければならないことは身の丈だろう。論語にあるように「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」、自らを弁え、決して若き日の幻想に溺れ、道を踏み外してはいけない。🗻は眺めるものであって、登るべきものではない。老いたるものは美を愛でる目はあるが、美を我が物にする力はもはや諦める。君子危うきに近寄らず。美しい景色に包まれ、美味しい空気を思い切り吸い、旅の終わりに、美味い酒と肴に舌鼓を打ち、温泉にどっぷり浸かる、それだけで良しとすべきだろう。身の丈に応じた登山計画と無理のしない山行き。老人は山へ向かう。何故ならそこに神はいる。天国が近い。死後の世界を垣間見られる。メジャーな山は若者に任せる。マイナーだって構わない。身の丈に応じた山を目指す。ヤマレコで紹介された🗻の見える山54座踏破をまず考えている。もう40座まで来ている。富士見不死身に通じる。吾も🗻を見て不死身にならん。🗻を様々な角度から見てきたが、顔がそれぞれ違うのが分かってきた。これがまたいい。あと14座、残りはほぼ静岡側になっている。どんなお顔を見せてくれるのか、今から楽しみだ。

2. 生きるための戦い(膀胱から前立腺から血糖値)…🛌ために

山へ向かうには体調を万全にしなければならない。老いは肉体の疲弊から忍び寄る。若気の至りで身体中、叩けば埃が出るのは当たり前。50歳代で抗癌治療から膀胱が萎縮した。間隙を縫って前立腺が我が物顔に肥大化した。膀胱を更に圧迫し、萎縮させる。頻尿が厳しくなる。夜、何度もトイレに起きなければならない。睡眠障害が心理的ストレスを引き起こし、血糖値を押し上げ、頻尿を更に誘発する。頻尿の相乗効果が起きていた。泌尿器科のクリニックに通っていたが、前立腺の肥大を抑える薬はもはや効かなかった。昨年1月、前立腺膀胱3倍になっている映像を見て、削除を決意した。3月に手術をする。半年経って、前立腺1/3になり、膀胱3倍に広がった。しかし、頻尿が治った訳ではない。抗癌治療による後遺症はそう簡単に治りはしない。相変わらず夜1回はトイレに起きている。ただ、頻度が減り、睡眠時間が最長5時間までいった。睡眠時間の確保は血糖値の押し下げに効果がある。あとは血糖値との戦いで頻尿を克服できる。そして、何より嬉しかったのは睡眠導入剤と鎮痛剤の量を半分にでき、泌尿器科クリニックに行く必要がなくなったことだ。手術を決して薦めたくないが、膀胱前立腺両方で苦しんでいる場合致し方ないと思う。

3. 髭🧔‍♂️は口ほどにものを言う

退職して髭🧔‍♂️を生やした。もうすぐ5年、老人に髭は有効と分かった。1番の効果は他者との距離が図れること。髭🧔‍♂️を生やしている人間に対し、大体の他人は構える。必ず不審人物と見る。大抵、そういう人間には近寄りたくない。マイナス効果だが、これで壁ができる。それでも近寄る人間は同種の人間と見ていい。同種の人間であれば話せるが、そうでなければ話す必要がない。2番目の効果は、世捨て人と思われ、相手にされなくなる。蔑む目で見られることもある。金のない人間を相手にする暇は世知辛い世の中にない。結果的に通俗社会との決別と自己の世界への耽溺に繋がった。女房子供からは嫌われた。貧相に見えるからだ。近寄らなくなった。一緒にも歩かない。これで自由になった。自分の世界に集中できる。あとは自分の世界の確立に他ならない。これが第3の効果。老人には残された時間がない。相手にされなくてけっこう。寧ろ老人は自分の残された人生に集中しなくてはならない。他人からどう見られようと我が道を行く決意が必要だ。髭🧔‍♂️を生やすことは老いを生きる必須アイテム。次に自ずと進むのが断捨離。世の中からfade outする準備。老人の孤独死の問題がクローズアップされているが、可哀想なのか?本来、老人は隠居し、孤独を楽しみ、孤独の中で死んでいくべきなのではないか。その死に方に問題がある。他人に迷惑をかけるから問題なのであって、そうではない死に向かう王道を歩むべきだ。煩わしい人間関係は清算すべきだ。これは友人、肉親、親戚に対しても関係を断つ。終活、スッキリする。定年を迎え、久し振りに友人に連絡を取った。彼らが恐れるのはまず会うことにある。用があるから会いたいのだろう。定年を迎えた友人が会いたいと言うのは、一様に職の紹介か、借金かと疑うようだ。最早関係のない旧友は煩わしさをもたらすものでしかない。一昨年、母と伯母を立て続けに失った。母は94歳、伯母は100歳を越えていた。親戚との繋がりがここで切れたと感じた。年とともに親戚付き合いの意味も失う。宗教上の繋がりや、共通する地域コミュニティーがあれば別だが、何も利害関係がなければ会話は成り立たない。老人は1人正に荒野に向かうか、山に向かうべきだ。フランク・シナトラのマイ・ウェイが心に響くのはなぜか。人生の終わりに思った通り生きた喜びを自分も唄い上げたいからだろう。


さて、どうやら終わりは近いらしい
人生の幕は閉じようとしている今
友よ、打ち明ける
私の本心を
精一杯生きた
人生の旅路をまっすぐに
そして、何よりも
他でもない自分のやり方で

後悔?ないと言ったら嘘になる
気にするほどではない
なすべきことはやった
やり尽くした
己の路を
迷った時はより注意深く
そして、何よりも
他でもない自分のやり方で

身の程知らずで挫けたこともあった
でもその経験があったからこそ、
全ての状況を冷静な判断を下してきた
どんな困難に直面しても、正々堂々と胸を張って生きてきた
他でもない自分のやり方で

何のために生まれ、何を得たのか
己の望むがままになっていなかったら、何を得たと言えるのか
自分が感じたままに生きた
他人の言うがままにならなかった
それが荒波に抗って生きた証だ
他でもない自分のやり方で

そうだ、これが私の生き様だった

参考資料:マイ・ウェイ 和訳 フランク・シナトラ

4. 終の伴侶は🐕

山で🐕に会ったのはほぼ一年前になる。🗻を拝みに精進湖畔から標高1,418mの三方分山に登る途中だった。愛知県から若い女性のお供で来ていた豆柴。ほぼ零℃の極寒の中、健気にご主人の前後して走る姿が今も目に焼き付いている。この女性、歩くのが滅法早い。正に山女の鏡。車中泊し、朝5時前に出発している。真っ暗な山の中、零下の世界。私が2kmほどヒーコラ、ヒーコラ、ストック頼りに蹌踉けながら歩いて山頂に向かっている中、既に標高1,714mの鬼ケ岳から王岳を巡って21kmも歩いている。滑る岩を飛び跳ねるように歩く。平気の平左、舌を巻く。連れそう🐕も大したもんだ。こんな小さな体で…恐れ入る。私が追い付いて来ないのを女性の後ろから覗いてきて、どうしたの?と見つめる。パノラマ台でまたお会いできたのだが、もう可愛いのなんのって。🗻を背景に写真を撮らせてもらった。この女性、いつも山には🐕を連れている。ブログ名もワンコと登山になっている。私もかくありなんとこの時思った。そもそも🐕は🐺。野山を走るのはお手のもの。何せ🐻も同じ仲間。🐕は🐻をも恐れない。40,000〜15,000年前、🐕は🐺から進化したと見られている。人間は🐕と共に生き、滅びずに済んだ。ネアンデルタール人は🐕を味方にすることができず滅びたとみられている。🐕は猟を助け、他の獣の襲撃から守ってくれる。そして何より人類最初の友人だった。柴犬は縄文犬の血を引く。縄文人と共にこの島へ一緒に渡ってきた。7,200年前から我々の先祖と共に生きている。仲良くない訳がない。柴犬こそ、終の伴侶になると確信した。寿命は12〜15年という。何とか一緒に余生を過ごせそうだ。私にもしものことがあれば女房、子供に見てもらう約束をした。私が65歳になるこの春に家族として迎えるつもりだ。

参考資料:犬と人間のつながりの歴史。どうして人間は犬と暮らすようになったの? 大昔、人類が生き延びたのは「犬のおかげ」だった?

老いを生きる術を紹介した。要はピンピンコロリを目指して、生きていくことだ。🛌を得ることにより、最低限の体をキープし、柵から抜け出して、自分らしく🧔‍♂️生きていく。1人では寂しいので、終の伴侶🐕を探し、一緒に山へ向かう。死ぬまで、下を見ず、前を向いて歩いていきたいものだ。🗻はその美しい姿を見せて、待っていてくれるに違いない。

投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。