ギョウザと満洲

ぎょうざの満洲の餃子

駅前のぎょうざの満洲で餃子をつまみにビール。師走の空の下、忙しそうに街行く人を傍目に眺めながら。日頃何気なく見過ごしていることに呑みながら考えるとハタと気が着く。何故この店の名前は満ではなく満なのか?何故餃子ぎょうざなのか?店員に聞いても分かる訳もない。創業者に会って直接聞けば判るだろうが、瘋癲呑兵衛に付き合うほど経営者に暇はない。コロナ禍で経営も厳しくなっているであろうし、大枚を叩いてくれるでもない半爺のお付き合いなんて時間の無駄でちゃんちゃんになるのが落ち。然らば時間のある呑兵衛は自分なりに考えてみる。これが暇な呑兵衛の特権である。時間はいくらでもある。金と命に限りはあるが。

wiki pedia外満洲から抜粋

満州か?満洲か?教科書で習ったのは満州。日本の傀儡政権であった満州帝国をほぼ指す。一方、中国では満州満洲は日本では八重洲や中洲など海や川に自然にできた土地のイメージだが、中国では更に民族までも意味する。満洲は嘗て広大な土地を有する国だった。更に世界一の帝国であったは実際この満洲から生まれた。満洲が実際先で後になのだ。外満洲は今やロシア領になり、ウラジオストックハバロスクなどが有名だ。外満洲を含めた満州の総面積は155万㎢になる。日本の4倍強。今では、中国では満洲は満族になり、少数民族の一つに過ぎない。満洲イコール日本の傀儡政権の意味で、既に歴史の中で消えた国家。今でも小数民族の人口としてはウィグル族、チワン族に次ぐ3位1千万人強である。これだけの人口を有しながら遼寧省、河北省、吉林省に11満族自治県があるのみで州クラスがなく、文字や言葉も認められていない。内モンゴルとして少なくとも言葉、文化、自治区が残っているにも拘らずだ。中国に駐在していた際、何度か満族の方に会う機会があった。全く漢民族と区別できない。同化が進んでいる。お話しすると親日的な対応をして頂ける。何か申し訳ない気持ちになる。私が中国に足掛け9年間中国にいたが、”にほんじん”と言われたのは昔の満洲の領地の遼寧省の大連だけだった。北京ではルーベンレン、上海ではサパニン、成都ではズーベンレン、香港ではヤプンニャンだった。中国では様々な日本人の発音があり困惑する。

満洲から生まれたは、最盛期世界のGDPの3割の富が集中したと言われている。中国では大清帝国とされる。が日本の配下で満州国として復活を図ったが日本軍にそれだけの力がなかったし、実際中国全土を制圧なぞ到底無理な話であったろう。中国の奥地は遥か遠く、深い。日本が早晩力尽きるのは火を見るより明らかだった。苦し紛れに米国に戦いを仕掛け、敗残する。最早人民政府の政権下で満洲の文字や言葉や文化の消滅が進む。2年前で満洲語を母語とする方は15名に過ぎないと言う。遥か遠く、西のカザフスタンとの国境近く、新疆ウィグル自治区のシベ族3万人ほどが満州語を伝えているとは驚きだ。消滅危機言語の一つになっている。尤も日本のアイヌ語も母語として話せるのは15人に過ぎない。厳しさが一層だが。

満族の女優では内モンゴル出身の葉青と香港出身の関之が有名。日本の三大美人で有名な秋田、新潟、博多。遺伝子研究により共通点が明確になった。これは満洲の血にある。全て日本海側、はるか昔、渤海国との交易で栄えた地であった。渤海国は698年から926年に栄えた、契丹と共に満洲の礎を作った国だ。日本とは奈良、平安と密接な交易関係を持ったと史書に遺してある。港に美人あり。渤海国の血を繋いでいる。日本と満洲の間には長く深い歴史がある。

新疆ウイグル自治区の中のチャプチャル県の位置Sealeg25.png葉青個人資料満族の身体的特徴 | 元チャイナドレスの実績日本一 店長の運営ブログ渤海の位置
新疆ウィグル自治区イリ・カザフ自治州チャプチャル・シベ自治県と満州語、満族の女優の葉青と関之林と渤海国   

最近ドイツなどの研究者チームが発表した「日本語の起源は中国東北部のキビ・アワ農家」と言うのが面白い。正に日本語の起源は満洲になる。何処か故郷に近い親近感があった。中国の東北部に出張する時、朝、ホテルでアワのお粥が必ず出る。日本では鳥の餌でしかないアワが実に美味いのだ。満洲のアワは品種が違うとのこと。これも驚きだ。道理で美味い。日本語は昔はウラル・アルタイ語系として西はハンガリー、フィンランド語からユーラシアを横断し、トルコ、モンゴル、ツングース、朝鮮語と同じ系列とされてきた。実際、フィンランド人の言葉を聞いたが、チンプンカンプンで同じ語系列か分からなかったが、彼らも難しい言語と自ら認めていた。今はトランスユーラシア語系と言う。日本語満洲起源説に見るストーリーとしてはキビ・アワを食していた9000年前西遼河に住んでいた満洲族が稲作の適地を求めて日本に下って行き、稲作と同時に言葉と言う文化も伝えたことになる。因みにアワは中国語で小米と言う。米は大米だ。小麦の無い時代、アワでラーメンを作ったのがラーメンの始まりとされるぐらい古い主食だ。稲作は中国南部で始まり、弥生文化として日本に入ったことになっており、このストーリーに沿えば満洲から朝鮮経由で文化と共に入ってきたことになる。弥生人が大陸系であることはよく判っており、肯ける部分が多い。今中国東北部(満洲)は中国有数の稲作地域になっており、この米は寒さに強く北海道で品種改良されたジャポニカ米だ。故郷への恩返しのようで嬉しいではないか。

私が中国遼寧省を訪問したのは15年前の冬鞍山から盤錦までバスで移動した。車窓から凍土と化した大地に没する太陽を見た。満州を開拓しに来た日本人を想い、暫し沈思黙考したことを思い出す。省都の瀋陽には東京駅にそっくりな駅舎が残されており、驚く。街中を歩くと美しい女性が否が応でも目に入る。背が高く、足も長い、しかも顔が小さい。モデルの様な女性が多い。明らかに南方の中国人とは違うのが一目瞭然。やはり今思うと民族が違うのだろうかと思わせる。更に大連近くには二百三高地が残されている。軍港が近く、基本的には日本人は近寄れないようだが、黙っていれば判らないと言われ見に行った。日露戦争の跡がそのまま残されていることにまず驚かされる。因みに中国人から初めて”にほんじん”と言われたのは大連から瀋陽に向かう電車の中だ。

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アワと日本語の起源   

日本に残る満州語で一番有名なのがぎょうざではないか。満州語辞書によると餃子はgiogiyan efenと発音する。ギョウジャンフェンである。これがぎょうざになったのでは?意味は餑餑(だんご)。黍を軟かく蒸して槌で叩き小豆餡を入れて長目に作り、油揚げしたものとなる。水餃子はhoho efenで別になる。日本と一緒で違うものになる。中国では基本的に餃子イコール水餃子だ。戦前は中国語をそのまま使った”じゃおず”がレシピに残っている。ぎょうざの満洲が何故ぎょうざと敢えて使っているか意味が分かる。満州語だからだ。一説によるとぎょうざは宇都宮の方言とまで言われているが、そうではない。満州からの復員兵や引揚者が中国を懐かしみ食したとされるが、それは水餃子のはずである。然も水餃子を焼いても美味くはない。全然別物だからだ。最初から焼き餃子として作らなければ味は出ない。それを教えてくれたのは、上海の屋台で食べた焼売(鍋貼)だ。生煎包とも言った。作り方が日本の餃子と一緒なのだ。これが日本の一般的な餃子になったのだろう。考えてみれば、昔北海道ラーメンが一般的になる前、ラーメンはシナソバだった。中華料理店で出すシナソバは薄い醤油味の酸っぱいスープにストレート麺だった。私が上海で初めて食べたラーメンと味が一緒だったのでこれも驚いた。中華料理が一般的になる前、日本人が主に食べていたのは上海料理だった。それは革命の度に日本に逃れて来たのが上海人だったからだ。上海では普通に焼き餃子を食べる。ここが他の一般的な中国と違う。

北方の中国では餃子は主食であり、ごはんと一緒に食べるものではない。日本人は何故餃子をおかずにご飯を食べるのかと中国人に聞かれたことがある。そう水餃子であればこれだけでお腹が膨れるのでご飯を必要としない。しかし焼くと主食から離れつまみとしてビールに合うし、ご飯にも合う。これは日本人の発明した食べ方であろう。また、中国では餃子を引っ繰り返すことはしない。あの形が重要なのだ。中国のお金の形なのだ。馬蹄銀(元宝)と呼ばれ、縁起物でもある。しかし、屋台の焼き餃子であれば、焼き面を上にするのは焼き具合を見るため必要となる。そもそもそこが違う。こだわりを忘れ、ぎょうざの満洲でビールと餃子、至極の時を過ごせることに日本人としての喜びを感じる。日本は中国から美味しい文化を取り寄せた。極東の文化の終着点でいいとこ取りができた。何と幸せなことか。

投稿者: ucn802

会社というしがらみから解き放されたとき、人はまた輝きだす。光あるうちに光の中を歩め、新たな道を歩き出そう。残された時間は長くはない。どこまで好きなように生きられるのか、やってみたい。

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