老い

老いは忍び寄る影のようなものだ。体の節々に、言葉の端々に、心にじわじわと、自分の意思には関係なく、避けることはできない。ここまで生きたのだから仕方ないと諦めるべきなのだろう。しかし、どこまでどのように体を、頭を、心を蝕んでいくのか、いずれ老いに身を任せそのまま死の床に就くのにしても。

細胞の老化と肉体の老化につながる。人間の細胞分裂限界は120年である。今のところ寿命は最長でほぼ120才。所詮細胞自体が老化していくのであれば、どうしようもない。諦めざるを得ない。差し迫る老化を寧ろ冷静に受け止め、見つめて生きるべきか。

老体に鞭打つという言葉がある。老化の進んだ体に無理を強いても無駄ということだ。年を取れば取るほど無理は利かなくなる。しからばどこまでが無理になるのか、この判断が難しい。頭の中に幻影として若い頃の肉体が残っている。それが邪魔をする。何でもない高さと思われる崖から降りる時が一番危ない。膝を壊しかねない。着地には細心の注意が年と共に必要になる。登るスピードにも注意が必要だ。途中で動けなくなる。老化した体は素直だ。年と共に頭ではなく体の言うことに耳従わなければならない。体の叫びを素直に受け止める勇気が必要だ。

とりわけ頭の老化が一番危ない。頭の中にある画像が言葉として出てこない。画像は鮮明にも拘らず。言語機能のまず老化。脳の中の記憶が途切れる。脳のシナプスがなかなか繋がらない。記憶と実際が結びつかない。脳機能の老化。先日どの山を登ったのか、名前が出ない。時間の経過と共に急に出てくるのだが、何せ思い出すのに時間が掛かる。喉の奥まで出掛かっているのが分かる。辛いものだ。脳が固まる。脳の刺激のため本を読んでいる。しかし、以前に比べすぐ眠くなる。この葛藤の中で脳を活性化させるしかない。テレビではない、読書なのだ。そして書く。何でも良い。書くことにより老いと戦う。

心の老化は諦めで現れる。「もうダメだ」が先に来る。もうちょっとなのだが、ダメになる。足が出なくなる。気が萎える。心の葛藤がか弱い。自分に打ち勝つ余力がなくなっている。自転車ももはやマウンテンバイクからランドナーに変えた。重いペダルに耐えられなくなった。格好はいいのだが、何せ重い。さらばマウンテンバイクよ。一緒に旅した思い出は忘れない。しかしロードではなくランドナーにしたのは意地である。若き頃の旅に明け暮れた日々に戻るためだ。もう一度原点に帰って旅に出る。バックを自転車に括り着け旅に出た、あの若き日々よ。もう一度の気持ちだ。土俵際で老いと戦っている自分を感じる。

老いは天国への階段だ。一歩一歩上っていく。それでいい。遅かれ早かれ天国へは行かなければならない。老いとうまく付き合えばすんなりと天国へ行けるかもしれない。ゆっくりと自分のペースで向かう。間違っても踏み外してはいけない。階段は老人にとって命取り、大きな怪我につながる。今は動けるが、いずれ動けなくなる。階段に上るのもしんどくなる。杖も必要になる。年齢別幸福度調査結果によると60代以上で幸福度が高まり82才がピークだった。最低は47~48才。頷ける。老いと共に人は幸せになっていく。そして幸福度の尺度は金や地位より健康であることが面白い。

山女

ストックを支えに一歩一歩山に登っていると気になるのが、いつの間にか私に追いつき、抜いていく山女の姿である。彼女たちはけして早い訳ではない。こつこつと堅実にひたすら登ってくる。いつの間にか、私が滝のような汗を拭い、休んでいる間にお先にと言って消えていく。挨拶の涼し気なことに驚かされる。どこにどう力があるのか、こちらは喘いでこの世のお終いの呈なのに。

登山は知力体力気力。全てにおいて最早若いのに敵わないのは分っている。やはり華奢で小さくて若い女性に抜かれるのは情けなくなる。意地では勝てない。ただ微笑んで挨拶し見送るしかない。「登山何年目ですか?」山女の覚束ないストック捌きに聞くこともある。「2年目です。」それでも抜かれる。五十で始めた格好だけの登山姿を見透かされているような気がする。ストックが無ければよれよれだ。登山前に飲んだアミノバイタルの効果が切れたころ足が止まる。多くの山女はトレーニングとして山に登っている。更にトレイルランを楽しんでいる女性はもっと凄い。8月の暑い中、水が足らないと不安になっている私の脇をボトル1本で走り抜けていく。縦走のみの自分に対し、もう復路!高尾山から陣馬山までのコース、片道14km、標高差600mある。しかも凄いup-down。けして若くは見えない女性、小さく、細い、筋肉など余計なものはない。全身日に焼けて真っ黒だ。精悍な姿は見惚れるしかない。

「か弱きもの、汝の名は女なり」ハムレットの名言だ。これは嘘ではない。ただ勘違いしてはいけない。女性は確かに筋力、ガタイは劣っているかもしれない。しかし耐久力、適応力に優れ、何といっても生命力が違う。120才まで生きられたのは女性だけ。男性の最高齢は113才を越えられない。65才以上の女性は男性の1.27倍。何が違うのか?高齢に耐えられるだけの精神力、耐久力を男性は兼ね備えていない。女性は人間の弱さを認めた上で耐え忍ぶ力がある。男性には残念ながらその力がない。寛容さが足りない。老いに勝とうとする。到底無理なのだ。ハムレットの言いたかったのはこのことに違いない。

遺伝子的に言えば、女性が元であり、男性は遺伝子の多様性をもたらすため生みだされた。聖書ではアダムの肋骨がイヴを生んだと言うが反対だ。基本は女性。優性遺伝を残すために便宜上男性を造りだした。男性が多く生まれるのは女性にとって優勢遺伝子を選びやすくするため。人類は社会的動物である。男性は最適な労働力、政治力、闘争力、繁殖力を提供する。宗教では社会機能性で男性を上位にする。一方、有用な一方で劣化も早い。宿命とも思える。長生きはできないのだ。70を越えるか越えないかで消える男性の多さである。60代でもはやお役御免となる。正に私は差し掛かっている。

山は昔、男のものであった。これは危険で生命を脅かす場所であった。女性は近寄るべきものではなかった。一歩間違えば死がお待ちかね。獲物はいるが、いつ獲物になるか分からない。道に迷えばさようなら。戻れる道を探すのは容易ではない。水食糧が尽きた時点で終了。狐や狸の餌になる。天候が急激に変わる。急速な体温低下は死を招く。まず安全な道を作り、道標を設け、木を伐採する。過激な重労働である。今でこそ気軽に登山ができるが、これは先人のおかげだ。安全が確保されて初めて山女が生まれる。危険を避けるのが女性本来の本能だから。女性は長く生きる知恵である。今は携帯から、GPSで道を迷うことがない。雨雲レーダーで天候を探れる。トレッキングウェア、リュック、ストック、登山靴の安全、軽量化が進み、アミノバイタルのような栄養食もある。守ってくれる。正に山女を助けている。勿論私のような素人もである。

山に登ることは自然に対峙することに変わりはない。自然は怖い。牙をいつ剥いてくるかくるか分からない。いつも死は隣り合わせなのだから。しかし、山に魅せられるともう居ても立っても居られない。これは山を宗教の世界で捉えた先人に通じる。役行者で登山は始まったという。これは仏教でも神道でもない。自然崇拝の極致なのだ。体の限界を感じながらも一度山を登る陶酔感を憶えるとやめられない。これが山女を生む山の魅力になる。熊野、出羽三山、高尾、修験の場は魅了してならない。これは山に神を見ることに他ならない。森の中は緑に染まる、山上で望む空は永遠の青、流れる雲は白くコントラストを描く、眼下に広がる街並、澄む空気、静寂の世界と木々を騒めかせる風、一度虜になると山は頭から離れなくなる。死を賭けてであっても山女が登り続ける理由がここにある。

ピーターの遺産33億円

Face Bookには様々な方が訪ねてくるので楽しい。日本だけでなく海外からも訪れて来る。ー昨日のメールには驚いた。ドバイに33億円(3千万ドル)の遺産がある。山分けしないか?”Yamaji”を探していた。やっと君に辿り着いた。UAE首都ドバイの国営銀行の頭取さんである。Peter Yamajiなる方が2006年5月のジャワ島地震で亡くなった。彼は結婚しておらず相続人がいない。今年の2月で口座は満期になっている。それで同姓の人間を探していた。相続人にするから山分けという腹。この地震で5000人以上が亡くなっているが日本人の被害はなかったはず。

この話と同じような内容は別のブログでもオープンしているのでご参考に。

https://ameblo.jp/877840971213/entry-12569097394.html

https://ameblo.jp/meimeifinkl/entry-12458341089.html

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10229168430

怪しい理由は他にもあった。何故2004年の22万人被害のスマトラ津波でないのか?リアリティーがない。親戚でもない人間に銀行が金を払うか!同じ名前だけで。私は返事した。丁重に。私はこの話に興味がない。Yamajiなる人間は日本にたくさんいる。彼のメールではYamajiは実に”山地”になっていた。まあGoogle翻訳したのかもしれないが。この返事がまたおかしい。私の名前がShigemoriであると。聞いたこともない名前がでてきた。流石にここまでくると私も言わざるを得ない。人違いとちゃいますか?その後返事は来なくなった。

頭取さんと言われる方のFace Book上の写真がどうも怪しい。今は取締役の写真に変更されたが、当初中東ではなくアフリカの大地とそこに住む人々の写真ばっかりなのだ。私はピンと来た。なりすましである。オレオレ詐欺みたいに会社のトップの写真を拝借、なりすまし、送金するためと言って口座を聞き出し、勝手に使い、遺産の請求費用を前金でセビッテくる。これを実際交渉した勇気あるブログを紹介しよう。勇気のある行動だ。手数料として9,800ドル必要。そのほかに、コンサルティング費用として4,070ドル、管理費用として6,110ドル必要。これが前金。総額19,980ドル、日本円にして2,197,800円。これだけでも十分であろう。送金されたら連絡は取れなくなる。口座も閉められる。交渉された方は成功報酬で話をされたらしいが、揉めたところで連絡がこなくなった。このブログをご参考に。

https://zuuonline.com/archives/130604

この頭取の名前を使う複数の人間をインターネットで検索できる。インド人あり、アフリカ人あり、日本人もあった。よく分からない。このなりすましを摘発しなければならないのでは。実際この頭取はご自身のアカウントがあり、これをFaceBookで確認できる。この頭取以外のなりすましについても他のブログにもあった。ご参考に。

https://rocketnews24.com/2017/03/21/875807/

https://tomitoko.com/archives/10936

https://tomitoko.com/archives/18573

https://blog.canpan.info/sasakawa/archive/5789

https://hiraoka.keikai.topblog.jp/blog_detail/blog_id=7&id=2557

https://torivian.hateblo.jp/entry/2018/07/05/134415

https://mck-asia-traveler.seesaa.net/article/461409287.html

何れにしても共通点はドバイと3千万ドルとピーターの名前である。ドバイは余程金の動く場所らしい。アジアとヨーロッパ、キリスト教とイスラム教の接点となっている。ピーターはペテロのオランダ、イギリス名である。要はクリスチャンネームである。キリストの第一の使徒の一人であり、最初に裏切るとされながら、最後はローマで殉教している。彼はサンピエトロ大聖堂に眠っている。軽々しい名前ではない。

実際に犠牲になった方もいるようだ。次のブログは涙を誘う。

https://torivian.hateblo.jp/entry/2018/07/05/134415

ここ10年、SNSを利用した詐欺が横行している。くれぐれも新種詐欺に気を着けること。FaceBookにおいて安易に友達承認はしない。今まで悪者とされたかのような頭取も被害者。なりすましに使われたにすぎない。明日は我が身なのかもしれない。ドバイの銀行からは詐欺に掛からないように、銀行は決して個人情報、ATMパスワードなど聞き出したりしないとインターネットサイトで明記している。

Caution: Protect Yourself from becoming a Victim of Online Frauds. Please be aware of fraudulent emails and websites that attempt to obtain your banking information. Dubai Islamic Bank never asks for your confidential information, like password ATM, …

もし引っ掛かりそうになったら次のブログを参考に。

https://www3.hp-ez.com/hp/mizugoto/page14/bid-420393

https://ja-jp.facebook.com/notes/takayuki-fujita/%E8%A6%81%E6%B3%A8%E6%84%8F%E3%81%AA%E5%8F%8B%E9%81%94%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%A8%E5%AF%BE%E5%87%A6%E6%96%B9%E6%B3%95/523379761073143/

最初に載せた写真の鴨と鷺の意味がお分かり頂いただろうか?”詐欺でカモ”を掛けた。くれぐれもカモにならないように。FaceBookを運用し約半年、今回は勉強になった。知恵はやはりインターネット上の様々なブログからもらえる。疑問に思ったら何でもインターネットで検索。様々な経験をブログが教えてくれる。一方で、なりすましをしていても実際の姿はFaceBookを通して見えてしまう。今回は写真であった。アフリカの草原と人々の顔、これは有名銀行の頭取とは余りに掛け離れていた。素朴な良い写真だった。自分を偽ることが一番難しい。

ワイン

ワインの故郷はグルジア(現ジョージア)と教えてくれたのは、上海の西、昆山の城市公園に面した粋なレストランの美しい中国人の若い女性オーナーだった。あれから3年経つ。店内には高級感溢れ、入り口脇の木製の棚にはワインボトルが所狭しと置いてあった。どれを取ってもみごとなもの。見惚れてしまう。生まれて初めてだった。こんな美しいワインボトル。どこのものか?グラスウェアから漆器のものまである。どれも民族色豊かであった。上の写真でお気づきになっただろうか、懐かしいフルシチョフ元ソ連第一書記の写真が棚に上部に飾ってある。1963年フィデル・カストロ元キューバ第一書記とグルジアを訪れた際に撮った写真。角杯でワインを味わっている。向かって彼の左に見えるおなかはフィデル・カストロ元第一書記のもの。看板の北箭庄園(North Arrow)は新疆ウルムチのワイン商社、グルジアのワイナリーと提携し、ワインを輸入している。私の住まいはこの店の近く、週末ワインとブルーチーズを食しに良く尋ねた。尚、ブルーチーズは中国人はお気に召されないようで、大量に頂くことになった。ありがたかった。下の写真のブルーチーズのタッパー奥のボトルのラベルの人物、自ずと知れたスターリン。グルジア生まれの旧ソ連の指導者。フルシチョフの前、レーニンの後。グルジアのラベルに彼は健在であった。イタリア料理を出す訳でもないのに店名はナポリだった、不思議な店だった。今はもうない。

今からちょうど30年前、オーストリアのザルツブルグへクリスマスのころ兄を訪ねた。夜ささやかな歓迎会。そこで酌み交わしたのが赤ワインだった。一升瓶だった。ワインは水より安い。日本ではまだワインは高級酒に扱われていたころである。ヨーロッパではワインは生活の一部だ。小さいころ、クリスマスにこのオーストリア人の日本の家に呼ばれていた。必ずワインを飲ませてくれる。これが楽しみであった。ワインはキリスト教徒にとって聖なる飲み物。キリストの血である。最後の晩餐の絵にはワインがグラスに入れられ配られている。

禁酒法時代の米国においてもワインは作られていた。それがカリフォルニアである。イタリア人によって守られていた。3年前ナパバレイで飲んだワインを忘れられない。何故かカリフォルニアワインと言うと白になるが、これは日本人がワインに慣れていないと判断し、日本酒を意識し、白で売り出しただけ、勿論赤もある。訪れたワイナリーでは試飲させてくれた。酸味のあるすっきりした味わいであった。

グルジアにおいてはワイン酒造7000年前の遺跡が残っている。葡萄はシルクロードを経て中国から仏教と一緒に日本に入ってきた。漢字と読み方は中国語そのままである。中国でputaoと発音する。ワインは中国において王のみ飲める高級な酒であり、一般庶民のものではなかった。普通に飲むことができなければ根付くことはない。日本へワインはキリスト教の宣教師と共にやってくる。中国経由ではない。飲める人間は自ずと限られた。作られるようになったのは明治以降になって、フランスの技術である。中国も同様フランスである。多くの日本人は今もボルドーの銘柄を好む理由がここにある。収穫祭になればボジョレヌーボ。全てフランス。私が一番日本のワインにハマったのは5年前長野県茅野にいた時だ。長野では秋になるとワインも新酒が出てくる。アルプスワインの完熟コンコード辛口は値段も1,000円そこそこで香、旨み、コクとも最高であった。是非、秋に飲んで頂きたい日本のワイン。ワイナリーはほぼ塩尻にある。葡萄の木は全てフランスからきている。

長野は日本一の長寿県でもある。健康の秘訣をおじいさんに教えて頂いた。酒は毎日200ccとせよ。グラス1杯である。それで満足しなければならない。ワインは1瓶750cc。3日で飲めば毎日250ccになる。これでほろ酔いにする。アルコール度数を14%を基準とした。丁度いい。赤であればポリフェノールも摂れる。飲み物は冷やしてはいけない。これは中国の教え。体を冷やすからだ。これも赤のワインには当て嵌まる。毎日飲むには1瓶1000円弱に抑えなければならない。最近14.5%でも1000円弱。スペインのワインにある。日本のワインは度数が残念ながら低い。最近円高傾向、ワインの需要も健康志向で増えているのか、酒類も増え、安くなっている。喜ばしい限りだ。スーパーで充分。探せばある。商社の方に感謝。

ところでグルジアは正式国名を2015年にジョージアにした。ロシアとの関係もあろうが、中国では相変わらず格鲁吉亚(グルジヤ)である。慣れ親しんだ名前を大事にするのもいいのではと思うが。一度は行きたい国の一つ。ワインを醸成するのに古より甕を使う。縄文式土器のように先が尖っている。書斎に他の彩色豊かなワインボトルと一緒に飾っている。中国昆山のナポリの店員が、私が撮影し、感動していたところ飾っている数瓶をくれた。日本に持って帰り、書斎に飾り懐かしんでいる。ワインは様々な出会いと喜びをもたらす聖なる酒と思えてならない。感謝している。

東京には1軒吉祥寺にグルジア料理を提供する店がある。駅近なので是非近くの方は訪ねて欲しい。名前はカフェ・ロシア。かわいいワインボトルが待っている。是非ワインもご注文願いたい。店員は今はロシア人に変わっている。数年前はグルジア人であった。

http://caferussia.web.fc2.com/

珈琲

台北の奥座敷北投温泉の渓谷に掛かる橋の袂に粋なカフェがあった。ウィンドウに飾られたカラフルなティーポットに魅せられた。2015年7月初旬、散歩には少々蒸し暑い昼下がりだった。10名入れば一杯、アンティークな雰囲気に懐かしさを感じた。コーヒーのメニューはモカ、ブルーマウンテン、ブラジル、ブレンド、勿論中国語なのだが、定番が似ている。窓際に座り雰囲気を楽しむ。頼んだブレンドコーヒーの味も香も日本。台湾に来て日本を味わえるとは。あれからもう5年、この店もなくなっているようだ。店の名は記憶にない。

日本語のコーヒーはオランダ語”KOFFIE”である。江戸時代に薬とされ、洋学者で医師宇田川榕庵に珈琲と命名された。中国では王偏を口偏に変え、咖啡とした。珈琲では中国語読みでjiabeiでカフェとは読めない。それで咖啡(kafei)をあてた。中国人は日本人ほどコーヒーを飲まない。お茶発祥の地の誇りがある。元々中国でコーヒーを広めたのは台湾人である。上島咖啡が先駆者。一見日本の喫茶店かと思ってしまう名前。今はスターバックス更に中国の会社ラッキンに置き変えられている。米資本のファーストフードの進出、ビジネスマンのライフスタイルの欧米化が中国人の食生活を変えた。日本では喫茶店で珈琲を飲むが、彼らがコーヒーを飲むのは咖啡店である。中国の喫茶店は下写真にようにのんびりお茶をお菓子と共に味わうところである。コーヒーはまずでないし、合わない。

日本の喫茶店にこのお茶の楽しみはない。まず一杯のコーヒーか、紅茶であろう。中国には泡茶という習慣がある。何度でも茶葉にお湯を継ぎ足し、茶の味をとことん楽しむのである。この泡の意味は注ぐという意味で単に泡立てるのではない。半日居ても飽きないようになっている。お菓子は食べ放題であのころで600円くらいだった。何とも優雅な習慣だ。日本のお茶で泡茶ができない。茶葉を蒸してしまい、お湯を注ぐ度に変わる味わいを消してしまうからだ。日本人のせっかちなところを表すものと伊勢茶の博物館で伺った。お湯を入れてすぐに茶を味わいたいためにそうしたようだ。淹れたてを楽しむ。ここにコーヒーを受け入れる素地があったと言えないか。

淹れたてが実にいい。コーヒーの醍醐味。中国でも毎日自分でコーヒーを淹れていた。ドリップ式である。豆はUCCの輸入粗挽き缶、フィルターはMelita。お湯を注ぐその瞬間に広がる香り、口に含んだ時の味わい。掛け替えの無い自分の時間である。バッハのコーヒーカンタータをご存じだろうか。

第4曲 アリア
(リースヒェン)
ああ、コーヒーの味の何と甘いこと!
千のキスよりまだ甘い、
マスカットよりもっと柔らか。
コーヒー、コーヒー、コーヒーなしじゃやってけない。
私を何とかしようと思ったら、
コーヒーをくれるだけでOKよ。

https://youtu.be/YonkJDrJXgg

正にコーヒーを愛する心をバッハは表している。私が若いころバロック喫茶があった。私はしがない予備校生、親元を離れ一人仙台にいた。毎日予備校に行かずともバロックを聞きながらコーヒーを飲んでいた。バロック喫茶は地下にあった。異次元の世界に下りていく。椅子は全て壁に向かっていた。壁には大きなスピーカーが4台。常にバロックが流れていた。それだけである。淹れたてのコーヒーを頂ける。一杯350円だったと記憶している。開店の10時から閉店まで好きな科目のみ勉強しながらバロックを聞き、コーヒーを数杯飲み、悦に入る。そして満足して帰るのだ。

バロックの旋律は心に沁みる。コーヒーの風味を高めてくれる。自分を見つめる、一人静かに、その時バロック音楽の旋律は深く深くコーヒーと共に私の魂を誘ってくれる。自分はどうあるべきか、どうすべきか、そしてあるがままに任せよと。

熊さんは実際怖い!

ある~日、森の~中、熊さんに出会った。花咲く森の道、熊さんに出会った。 熊さんの 言うことにゃぁ、お嬢さん お逃げなさい。スタコラ サッサッサのサ、スタコラ サッサッサのサ、ところが熊さんが後から付いてくる。トコトコ トッコと、トコトコ トッコと、お嬢さんお待ちなさい。ちょっと落とし物、白い貝がらの小さなイヤリング。あら熊さんありがとう。お礼に歌いましょう。ラララ ラララララ、ラララ ラララララ。

今から2週間前、7月29日から31日上高地明神館近くを歩いていた。この間、2回も2日に渡って野生の熊と出くわすとは思いも及ばなかった。生まれて初めてである。1匹は大きな熊、1匹は子熊だった。昨日の8月13日この1匹と思われる大熊が処分されたようである。

https://www.nbs-tv.co.jp/news/articles/2020081400000001.php

最初に熊を見たのは7月30日朝8時15分、明神館から1.1キロ、女性がテント毎襲われた小梨平キャンプ場から3.8キロの古池近くの藪の中、大きな熊がパンダのように笹らしきものにかぶりついていた。子熊も近くにいた。こちらを睨んでいたが襲ってきそうな雰囲気はなかった。8mは離れていた。携帯で撮影しながらそろりそろりと後ずさりしながら離れた。全体像は撮れていないが、顔は40㎝はあった。子熊もその時一緒にいた。親子かと思っていた。

2度目に見たのは次の日の7月31日朝11時ちょうどである。これは小梨平キャンプ場から1.3キロ徒歩16分ほどのところであった。今度は子熊のみ、道路脇の藪の中でごそごそ動く動物らしきものがいたので、猿かと近づいて見たところ黒いので熊かと。目と鼻の先。兎に角夢中で携帯で撮影した。こちらを気にせず、悠々と道を渡り、藪に消えていった。他の登山者も大勢見ていた。

上高地は、相次ぐ地震、大雨による土砂崩れで。道路封鎖箇所も多く、監視員が回っていた。たまたま会った方に報告しておいた。この情報はすぐに流れていたようである。しかし、人は襲わないと聞いていて安心していたが、小梨平のテントが襲われたことには肝をつぶした。人ではなくテントに襲い掛かった。

私は18年前上海野生動物園で、2600円ほど支払い、大きさ150cmほどのジャイアントパンダと家族4人一緒に並んで撮影した。係員がリンゴを与え、座ってかじっている間。一瞬着ぐるみと思われたが、やはり熊は熊である、口は大きい、牙が鋭い、毛のゴワゴワ感、目つきも鋭い、とても遠くから見るのと大違い。恐怖心に駆られた。更に横目で睨まれ、リンゴをかじる音が凄い。身の竦む思いであった。中国ならではと今思う。

熊には遇わないほうがいい。しかし、遇ったらそろりそろりと離れるべし。とても敵う相手ではない。熊も元々犬の仲間と言っても狼もそう、けして甘くはない。日本ではもう狼はいない。残る危険な動物は熊。くまもん、パンダ、クマのプーさんのように日本人は熊が好きである。好きと実際は違う。くまもんも熊のいない九州で重宝され、パンダも日本にはいないが、実際人を襲う。プーさんはぬいぐるみ。要は熊には近寄るべからず。熊の臭覚は人の100倍、そこに怖さがある。風下にそろりそろりと逃げるべし。けしてスタコラサッサと走ってはいけない。寧ろ襲ってくる。くれぐれもそろりそろりと。一緒に歌なんか歌ってくれません。熊にそんな余裕はない。生きるのに精一杯なのだから。

国境は緑

飛行機から眼下に見る景色は忘れられない。まして国際線では地上から伺うことのできない風景を覗けるからだ。2017年6月23日朝の便で大連から成田に向かっていた。一番安く早いCA951便(中国国際航空)。昨日までの大雨と打って変わって朝から良い天気だった。ほぼ満席、中国人の旅行者だ。隣の夫婦はハルピンから日本に初めて行くとのこと。もう旦那の方は酩酊状態だ。ハルピンは遠い。大連に1泊し日本に向かうことになる。やはり大連は日本に一番近い窓口。飛行距離は1,700km、上海より若干近いが、偏西風から若干ずれるので時間的には遅くなる。下地図の通り、遼東半島の先端、渤海の入口、日本に向かうには朝鮮半島を越えなければならない。どこを越えるのか?

以前、北京から東京に向かうとき、眼下にソウルの街並みが見えた。首都を結ぶ線上に首都はあるものだと妙な感慨を受けた。中国と日本の間には朝鮮半島がある。歴史と文化だけではなく地理的な必然も覚えた。大連は北京ルートに比べ北朝鮮近くに位置する。まさか北朝鮮の上を飛ぶとは思わない。しかし、まっすぐであれば通ることになる。私は興味津々で黄海から陸地に向かう飛行機の下を見ていた。緑豊かな大地に道が一直線に走っている。人家がない。ただ緑。何度も韓国に行っているが、開発しきった街並みを憶えている。飛行機は更に飛ぶ。この緑から風景はグレーの世界に変わった。韓国の風景だ。整備された街並みが見える。なんと対称的なのか。国境は一直線。分かりやすい。昔、国境線を臨み、ー10℃の寒さの中戦車を見ながら冷たい眞露を冷めた肴で韓国人と飲み交わしたことを思い出していた。国境はソウルから近い。目と鼻の先である。中国の飛行機はお構いなしで、この国境を越え、韓国を抜け日本に向かおうとしている。今も戦争状態で、北緯38度線を境にいがみ合っている。この国境を両国の人々は越えることはできない。中国の飛行機には関係ない。これが日本の飛行機であればできない話である。北朝鮮と国交がないからである。

あれから3年経っている。何も変わってはいない。相変わらず休戦状態にある両国。あの緑の国境は今も変わらないのか。北朝鮮と韓国の境は夜の衛星写真で一目瞭然。夜の北朝鮮は真っ暗で際立っている。地球上に国境はない。人間が想定しただけのものだ。ただ大地に国の経済状況を色濃く刻み付ける。朝鮮半島は北にロシア、西に中国、東に日米と挟まれ、いつも揺れ動いてきた。何度も統一が叫ばれながら実際は前に進んでいない。かく言う日本であれ、ロシア、北朝鮮とは平和条約を結んでいない。韓国と良好な関係を結んでいるわけでもない。戦争は終わってはいないのだ。国はまず国境を確定しなければならない。しかし、国境は民族の長い歴史から見れば新しい線引きであり、概念に過ぎない。政治の道具になりやすい。国内の世論をまとめるのに外の脅威が一番の材料となるからである。いつの間にか国防費は鰻上りとなっていく。朝鮮戦争開戦から70年、まだ睨み合いが続いているこの国境は当時の米ソが決めたものである。この国境があるために1000万人と言われる離散家族を生んだ。この国境を越えるのは民族愛だ。もう社会主義、資本主義の論争は終わった。戦いで平和は生まれない。憎しみを生むだけだ。

韓国と北朝鮮を分ける国境はただ緑だった。空から見る国境は静かで、人も車も走っていない幾筋かの一本道のみの風景だった。私はいつも飛行機に乗るとき窓側をとる。これはときにささやかな時代の証人になりたいからだ。いずれ朝鮮半島も統一されるだろう。時代の流れに政治家は抗しきれないと信じているからだ。

一人の時へのこだわり

私は北の海で育った。小学校の夏休みは毎日のように海で泳いでいた。家からはいつも海が見えていた。3歳年上の兄と二人で自転車で下りていく、海パンをはいたまま、小1時間で海岸に。あの頃海は美しかった。どこまでも青く、水は透きとおり、波は穏やかだった。真夏の太陽は眩しく照り輝き、青い空を圧倒する真っ白な入道雲がわき上がっていた。どんなに暑くても海の中は涼しい。突然の夕立がこようとお構いなし。潜り、泳ぎ、疲れたら浮く、海に抱かれていた。海は母のようだった。しかし、故郷は遠きにありて思うもの。東日本大震災の後、数十年ぶりに訪れた海にもうその優しさはなかった。泳ぐものはいない。海岸に設置されたプールで泳ぐそうだ。寂しい。

私は長じて東京に出、働くころに海は遠のいた。寧ろバブル時覚えたダイビングに海を求めた。沖縄に行った。私の海が蘇った。ダイビングには不思議な浮遊感がある。海中から空を見上げると自分は海を通り越え、空に浮いているかのように思える。海底が地上になる。海中は静かな透きとおった空のような世界。日の光は海中からも見えている。呼吸を止め泡を立てなければ海にいることを忘れる。酸素欠乏から思考も止まる。首を絞められた時の快感に近い。更に空と海が一体化する幻想の世界に入り込める。魚が鳥のように、人も海で鳥になれる。至極の時を過ごすことができる。しかし、沖縄は遠い。近くに海はない。いつも海を感じていたかった。結婚し、家族を持つ、仕事は更に忙しくなる。家を持ち、毎月のローン、子供の教育費、縛りが増えていく。単身赴任、会社への責任。海に行く時間は更に限られた。

海は人生のロマン。忘れられない。戻りたい。その時、一人その想いに浸れる空間があった。トイレだ。最初に載せた写真は実にトイレの中。TALBOTの”OUT OF THE BLUE” ザトウクジラのポスターを正面に飾った。クジラが空に跳ぶ迫力の写真。私の一番お気に入り。昔から自分の部屋に飾っていた。クジラは4900万年前に陸を捨て海に入っていった。クジラのブリーチングは海から空へ新たな挑戦を見せているかのようだ。だから好きなのだ。この慣れ親しんだポスターに海中で遊泳するマンタのポスターシール、イルカのブランデーボトルを置き、蔓柄のバリ風デザインのモロッコランプで明るく照らすようにした。狭い空間でリアルな世界を醸し出すにはこの装飾が一番であると2年かけて選ぶ。

誰にでも失いたくない思い出はある。得てして美化されるが、過程はともかく、その時得た”美”は永遠だ。感覚として。一度自然の中で見たクジラ、マンタ、イルカは生き生きと泳いでいる、飛び跳ねている、私の脳裏に確かに刻まれている。これは真実の美である。これを一人の時自分の空間に再現したい。邪魔されたくない。自分だけの空間、それは正にトイレではないか。



川を渡る風

川を渡る風を楽しむ。川辺の花々木々の騒めきに風を聞き、体いっぱいに風を感じ、川面のさざ波に風を見る。上海、蘇州にいたときも川辺をどこまでも自転車で走っていた。大陸の川はゆったり流れ、悠久の時の流れを教えてくれた。海は遠く、山は遥か、川は人々の生活と一体化し、のんびりしたものだった。大人(たいじん)はせこせこしてはいけない。自分のペースで自転車を漕いでいく。川辺で茶を楽しむことは忘れてはならない。東京に戻ってもこの考えを踏襲している。自転車はもう体の一部。相変わらず、のんびり走っている。川辺をゆっくりとどこまでも。

ここに一冊の本がある。私が10年前日本に帰還し、病から復帰した時に早速リハビリの参考にしようとした本である。重信秀年氏著「自然を楽しむ多摩緑の散歩道」(メイツ出版2010年版)である。多摩地域の散歩道として50カ所を紹介している。正にお誂えの本を見つけたものである。新刊であった。今も十分参考になると思うが、面白いことに紹介されているのは川辺が多い。川辺は歩きやすく、散歩道として最適な証明になる。多摩川、浅川、秋川、神田川、石神井川は別格として、特に野川、仙川、乞田川、大栗川、平井川を知る機会になった。川ではないが、玉川上水、野火止用水、千川上水と自転車で走るようになった。

川辺は憩いの場、魚、鳥、犬、猫も。自然に身近に接する場でもある。子どもにとって遊びの場にもなる。触れ合い、安らぎを求め集まる。集う人々によって渡る風は何色にも変わる。それぞれに川は楽しめる。楽しみ方は幾通りも生まれる。一方で川は脅威ともなる。氾濫し、全てを押し流す。海より川で人の溺れることが如何に多いことか。川の怖さは接していなければ分からない。川は常に接していなければならない。人工的で安全なテーマパークに行くより、近くの川で遊んだほうが、自然の成り立ち、素晴らしさ、脅威をも知ることができる。

古より川は飲み水をもたらし、土地を育み、作物に滋養を与え、生き物の糧を供給してきた。それだけではない。川は物流の手段でもあった。山から石、木材、石灰を運んだ。川の動力から水車が利用され、精錬、粉挽、更に電力を供給してきた。江戸幕府に繁栄をもたらしたのは治水である。日本の近代化に貢献したのも治水ある。遊水地で荒川の氾濫を抑え、利根川を東京湾から霞ヶ浦に流れを変えた。荒川と多摩川の中間に玉川上水を流し、安定して飲み水を江戸に供給した。川の恩恵は今も生きている。

川辺であれば土手があり、その上を自転車は走ることができる。今、道は華かに整備され、自動車社会を後押ししている。非効率な人力で走る乗り物には振り向きもしない。経済発展に貢献するものではない。道路への投資は経済活動の推進に役立つものでなくてはならない。人に安らぎをもたらし、憩いを与え、息抜きを可能にできるのは川辺の道、土手に違いない。今こそ治水を見直し、川を人が安心して遊べる自然の学校へと戻す知恵こそ必要ではないか。江戸時代の知恵をもう一度見直す時が来ている。

光と影

闇が光に対峙する世界であることは明確である。光は正義であり、生きる道標である。闇は悪であり、闇の中で道は見えない。一方、光に対する影はどうか。影は光によって生まれ、ある意味、対照的な存在である。光がある限り影は必ず生まれる。光に影は忠実に着いてくる。しかし、この影を光が作り出した闇とみたらどうか。光が強いほど影は濃くなる。言い換えれば光が強くなればなるほど、作りだす闇は深くなるのである。この闇は光と共に増殖し正反対の世界を裏で醸し出していく。

人は光を求め、光と共に歩みながら、一方で闇を作り出していく。一見不合理で矛盾することが同時に起こしてしまう。これは悲しいことではあるが、人間の世界で当たり前になる。正にルネ・マグリットの「光の帝国」の世界である。青空の下に夜の世界が描き出されている。絵の中で街灯が夜の世界を照らしている。空は美しく青く澄み渡っている。昼と夜が交錯する。そして光と闇という相反する世界が共存する。人は光を求めながら実際は闇の中にいる。街の灯りは水面に影を落とす。それでも闇の力に勝てない。

信じる光が宗教・民族・国家であれば、相拮抗する宗教・民族・国家があれば否定せざるを得ない。自身の信ずる宗教・民族・国家こそ光であり、光が強くなればなるほど、相対する宗教は邪教であり、相対する民族や国家は蔑むべきであり、闇の中で消さなければ逆に消される論理に陥りやすい。民族浄化、宗教の名を元にした大虐殺、戦争。自らの光の本質を見極めなければ、罠に落ちていく、闇の中で光に反するものへの排除殺戮が行われる。正に光と影の世界となる。

政治であれば、民主主義という名の元に最大公約数の票を得たとき、相対する少数勢力は闇の中で消される。為政者の力が強くなればなるほど光と同様に闇は深くなる。光の中で闇は見えない。汚職が為政者の忖度の名の元に行われる。最大公約数を取れば許される論理である。大衆の多数決による票が根拠であり、誰も個々にまで逆らうことはできなくなる。権力=金である。金は自ずと権力維持のためばらまかれる。民衆は金で踊らされる。金があれば誰も文句は言わない。それが違法であっても。これが政治の光と影の関係だ。更に恐ろしいことは政治が一つの宗教、民族、強力な国家権力(軍)と結びついた時である。光の中に属さない勢力は影の中で排除対象の危機に陥る。民主主義という名の元の暴力、安定を求めるが故の手段としての暴力である。

会社経営であれば、闇と言われる資本主義の中でトップに立つ人間は光という利益の最大化の名の元に別の闇の世界で事業や人の切り捨てを実施する。合理化が大きな旗印になる。手っ取り早く利益の最大化に結びつくからである。利益の最大化、株主への還元、経営資産の温存拡大こそ、企業経営の目標である。取締役は往々に認める。これは人権無視の非情な闇の世界でもある。しかし誰も咎めるものはいない。最大公約数の従業員は守られるが、不要と烙印を押された少数の従業員は消されていく。

光が一元化されると影の存在が見え憎くなる。常に光があれば影も生まれることを見なければならない。強者を光とすると弱者が影となる場合もある。光が強すぎると回りが見えなくなる。これが光の怖さである。影を見ると逆に光の本筋が分かる。影があまりにも深い闇であれば、この光は偽物である。光という名の元に邪道がまかりとおる。騙されてはいけない。光は全ての人に平等に分け隔てなく射すものでなくてはならない。一元化された光には多様性は認められない。あらゆる方向から光が射しこんでいなければ平等な光にはならない。