葛西臨海公園⛲️は旧江戸川と荒川に挟まれ、東京湾に面する東京の東端にある。中国、韓国、北朝鮮、全ての首都は海に面していない。この公園から日本の首都東京だけが海に向かっていることを感じる。南西方向に富士山が拝め、海岸から房総半島の木更津に向かう海ほたるの風の塔が望め、更にその先へ大海に通ずる東京湾が広がっている。穏やかな細波が日の光を受け、銀色に輝き、どこまでも続く海の広大さを教えてくれる。そして、海を通して全てを受け止めてきたこの国の形を窺い知ることができる。海を越えてやってきた美と文化を認め、育み、更に高みへと引き上げたのが我々の先祖であり今の我々だ。花とて同様。多くの中国、朝鮮から渡ってきた美と香を認め、植え、育て、愛でてきた。大陸から渡ってきた花々、蝋梅、沈丁花、梅、木蓮、牡丹、薔薇、石楠花、槿、百日紅、蓮、蘭、曼珠沙華、金木犀、菊等。然るに遠くシルクロードを越え、同じく中国から渡ってきた水仙については花を愛で、育んだ歴史が残っていない。過去が消えている。日本水仙と我々は呼んでいるが、学名はNarcissus tazetta L. var. chinensis。中国がoriginalと分かる。どのように渡ってきたのか?遣唐使という説が一番尤もらしいのだが、書物に残っていない。正倉院に証拠もないし、万葉集にも愛でる姿はない。球根が椰子の実の如く海流に乗って、渡ってきた説まである。全くの謎。さて、公園で海に見惚れていたが、水仙まつりはどこで開催されているのか?案内がない。都立公園としては2番目に大きい77.8haもある。旧江戸川を越えれば千葉県浦安舞浜のディズニーワールド。海辺のカフェの女性に聞く。彼女曰く「分からないが、観覧車🎡の下ではないか?」催し物はそこで開かれることが多いとのこと。まずは向かってみる。
フランス橋は湾曲しながら横濱人形の家へと誘う。入館は午後4時半まで。もはや時は過ぎていた。1927年米国から12,739体の青い目の人形が船で贈られてきた。全て横浜港に着いている。そこから全国の幼稚園、学校に配られたが、96年を経て、現在残っているのは345体のみ。戦禍を掻い潜った人形は3%に過ぎない。横浜では60体以上配られたが、現存するのは7体。人形は各自パスポートを持っており、特徴と名前が記してあった。1980年に横浜市へ本町小学校から寄贈された1人形ブロッソンが大々的な横濱人形の家建設へと市を動かした。西町小学校に残されたポーリーは横濱人形の家から山下公園へとつなぐ橋の名として残っている。人形を愛する子どもたちは決して戦争を欲しない。人形は平和の使者であり、人形を愛する子どもたちこそ天から与えられた平和の使者に他ならない。何故なら戦争は罪なきか弱きものから殺していくものだからだ。如何なる戦争も例え正義の名の下に悪と戦うものであっても結局はか弱きものを苦しめるものになる。港は海外との架け橋となる。あらゆる文化は人とものを通して、港から入ってくる。横浜が多くのものの発祥の地になっているのは江戸時代の最初の開国の地、港だったからだ。閉鎖された文化は何ものも生み出さない。衰退の原因になる。異文化と接することにより新たな文化を生み出す。衣食住全てにおいて画期的なものは異文化に接して初めて生まれる。人も然り、混じり合うことにより遺伝子は強くなる。一方、港は人の出会いと別れの場になる。赤い靴はいていた女の子の像が山下公園にある。時代に揉まれ流されても、生きていかなければならない、何もまだわからないだろう女の子と異国人にこの女の子を渡さなければならなかった親の辛さを慮るからこの唄が心に染みる。正に港は行くものと送るものの別れの場になる。時代に翻弄されて生きてきた自分の人生を振り返って見る。この人生で良かったのか?港とはこういう所に違いない。山下公園の北西突端に今年4月に開店した店があるThe Wharf House Yamashita、湾を望みながら様々なビールが飲める。1杯1,000円と若干高いが、つまみも美味しく、至極の時を過ごせる。今回黒ビール(ハマクロM350ml)とパテドカンパーニュ、きゅうりのピクルスを頂いた。なかなかうまい。計2,680円になったが、これに相当する風景と食事だった。最終寄港地は 中華街。東南アジア最大の中華街。上海麺を食べて帰ることとした。まず関帝廟に挨拶。いつ見てもこの迫力に圧倒される。久しぶりの中華街だったが、店の半分は占いの店に変わっていたことに驚いた。時代は変わる。食だけの文化は終焉なのだろうか?天后宮を拝み、帰りの石川駅に近い上海餐店を探し入る。名は記さない。私には上海で一人中国語のみの菜単から想像して注文するのが向いているようだ。あの頃の自分が懐かしい。葱油拌麺が欲しいと言ったら、店の老板娘が、私も家でよく食べるが、店にはないと上海語で断られた。仕方ないので胡麻で和えた葱麺を選んだ。980円也。味は日本の中華麺。上海人が湯麺をこの横濱に持ってきた。上海人は商売が上手い。日本各地に店を広げ、日本人の口に合う中華そばを生みだした。これがラーメンに繋がっていく。上海の湯麺は確かに醤油味、酸味がある。小さい頃食べた中華そばの味。
イワナ・クパーラはロシア語で Иван Купала、ウクライナ語ではІванa Купала、東スラブ人の民俗祝日、古代からの民間伝統の夏至祭が、キリスト教受容と共に、洗礼者聖ヨハネの誕生祭(ユリウス暦6月24日)に取り込まれて祝うようになる。この祝日の名称は、東スラブ語の「kàpati」即ち「水浴する・水に浸す→洗礼を授ける」という言葉に由来している。日本では夏至を祝うことも、浮かれたクリスマスは別として、キリスト教は程遠く、仏教神道信者としても宗教上の聖人の生誕を祝う祭りもない。しかし、何処か、夏を彩る日本伝統の盆踊りに近いものを感じる。何故だろうか?
うどんvsそばvsラーメンの2021年市場地図がまた面白い。ラーメンは日本においてメジャーになってまだ50年そこそこに過ぎないが、既に饂飩、蕎麦市場を凌駕している。特に東北、北海道、九州、中国地方と市場への侵食が激しい。饂飩:17,999件、蕎麦:18,978件、ラーメン:24,370件、これが店の数比較になる。短期間で市場を席巻しているには幾つか理由がある。1つは、ラーメンの饂飩や蕎麦にない魅力だ。まず汁の種類、醤油、味噌、塩から選べ。更に出汁の豊富さ。豚骨、鶏がら、煮干し。具も野菜、チャーシュー、味付き卵、ボリューム感で饂飩、蕎麦を圧倒する。東北においてもはや饂飩店をラーメン屋が食っている理由はここにあるのではないか。2つ目は元来、日本人の遺伝子の中に外来のものを自然に取り入れる性質があるということだろう。考えてみれば、天ぷら、カツ、カレー、いつの間にか日本の料理に組み込んでいる。然ればラーメンは饂飩や蕎麦に置き換わるのであろうか、それはまずありえない。まず蕎麦、これは雑穀としての強みにある。”simple is best” 立ち食い蕎麦というコスパの良さもあるが、あっさりしていて胃もたれを起こさない健康食としての魅力もある。更に日本酒や焼酎との相性だ。江戸時代、江戸の街で蕎麦が流行ったのは白米中心による脚気の流行で蕎麦はその防止、しかも蕎麦と酒はセットだったようだ。食の歴史は贖えない。
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