徒然

私は還暦をもって定年退職の道の選んだ。学校を出てから、夢中で会社生活を突っ走ってきた。精神的、肉体的にも疲れてきていた。自分にとって会社は何なのか?人を使うとは、使われるとは、何なのか?二度ほど会社は変わっている。50歳を過ぎ、体の変調と仕事への責任を取る重要性に気が着いて、都度辞める決心をし、次の会社を選択する必要に迫られたためである。立つ鳥後を濁さずであれば、また鳥は別の水辺に降りる権利はある。生来自由人の私は、潮時をいつも見ていた。日本文化の良き慣習である定年を自分の仕事における潮時とした。借金もない。子供も働きだした。結婚はまだだが。女房も元気。自分だけガタがきている。人生においては、親父が生きた75年を潮時とみている。あと15年徒然なるままに生きていこうと思っている。

2015年7月八ヶ岳西天狗から硫黄、横、阿弥陀、赤岳を望む

有相無相

私は幸せなことに2001年より足掛け9年間中国で生活した。そのうち悠久の歴史を味わえる呉の国の古都蘇州に5年間滞在した。そこでは、980年余り前から造られてきた数々の古典庭園が楽しめた。庭園で感じられるのは自然美にのみ頼った公園にはない”有相無相“である。まさに人為的な小宇宙から人に無限のおもしろみを教えてくれる。”有相”すなわち人が見える全てのもの、庭園においては様々な事象が存在する。人為的な建物装飾の風景と自然との融合、四季の変化による変幻自在のおもしろみが生まれる。人が見て感じる”無相”に限界はない。日本に帰り、終の棲家の庭に様々なオーナメンツを飾り、風を感じる木々と香漂わせる花々を植え、身の丈に応じた”有相無相”を感じるようにしている。

月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎ふる者は日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。” 芭蕉の”おくのほそ道”の旅立ちの冒頭。旅立ちは45歳の時、その5年後、”旅に病み夢は枯野を駆け廻る“の句を残し、別の旅先で亡くなる。“おくのほそ道”は、死出の旅となる出立のひと月前の春に彼の心の書として纏められた。死を予感していたのか?芭蕉にとって人生は漂泊の旅の中にあり、そこに死すとも厭わない。私も芭蕉にならい旅に出る。人生の新たな旅立ちである。”漂泊の思ひやまず” トルストイの言葉”光あるうちに光の中を歩め“に従い、まだ間に合う。生きている限り、光は平等に人の上に注ぐ。光がまだ自分にも射しているうちに旅に出るべきと